臨床保育学

 前のブログで紹介したように、人間が非常に複雑な、高度な社会構造を構築する能力は、人類が他の生物と比べて特別に大きい脳を持っていることと関係があると言われています。それは、逆にいえば、人間の複雑な社会の中で生きていくためには、巨大な脳を必要とするということです。それは、「社会脳仮説」と呼ばれているものだそうですが、この仮説を説明するために、人が社会をどのように処理をしているかということが必要になります。その一つが、たぶん千住さんが研究している視線についてなのでしょう。

 このような研究からすると、私が考えているのは、現場での子どもの姿からの考察が種ですので、臨床的考察といえるかもしれません。1995年に「臨床教育学入門 (子どもと教育)」という本が「河合 隼雄」によって出版されました。この本の内容について、こんな言葉で紹介されています。「子どもの学習体験や内面のドラマに深くふれることから教育は始まります。著者は臨床心理学の造詣と教育現場との交流を生かして、子どもの個性が生きる新しい教育のあり方を大胆に提起します。」この本が、日本で初めて「臨床教育学」というタイトルで書かれたものだそうです。

 幼保一体化による「子ども園」では、学校教育の中に幼児教育が位置付けられます。この「学校教育学」は、おもに教師の視点から、教師、親、子ども、また、学習活動としての授業、教授(教え授けるという行為)の「あるべき」姿を探究してきました。どのような授業スタイルがいいのか、その授業を成立させるための理想的な教師像とはどうあるべきか、また、授業を受ける子ども像はどのような姿が理想であるのかということが議論され、研究されてきました。しかし、「教育」という行為は、子どもと環境(その中に教師を含む)との相互作用により行われていくものです。宮澤康人氏は、こんなことを言っています。「これまでの教育学には『教育』という事象を関係論的に捉えるという視点が欠けていたのではないか」と述べています。が、「教育関係」への探究を「あるべき」姿から演繹的に行うのではなく、教育関係がどのように「ある」のかを個別的・具体的な事実に即して探究することが臨床教育学の基本的スタンスです。

 河合氏の「臨床教育学入門」の内容の「MARC」データベースには、「真の教育とはひとりひとりの子どもの心のドラマの内面に深くふれることからはじまる。臨床心理学に造詣の深い著者が、子どもたちが個性を生かして成長できる新しい教育のあり方を大胆に提起する。」とあります。また、本書の中で、「筆者は、思春期の子どもに対してはここからは絶対だめだという“壁”が要ると言っている。壁にぶち当たって、子どもは大人になっていく。壁がぐらついたりすると、子どもの不安は増大するばかりである。と言っても、その壁 は血も涙もある人間がなっているから意味がある。無機物の“壁”では教育にはならない。」

「臨床(klinikos)」とは、人々がさまざまな悩みや苦しみ、発見、出会いを繰り返しながら生きているその場所のことです。この「klinikos」という「人がその上に横たわる寝台やベッド」を語源として「クリニック」という言葉ができました。臨床教育学とは、現場におけるさまざまな人間関係の中で行われるドラマについて考察することです。

私は、「臨床保育学」という分野を構築したいと思っています。