遊び相手

 私は、乳児にとっての「遊び」とうのはほとんど存在せず、多くの行動は、「生活」という生きるための行動であると思っています。その行動は、まず五感をフルに使い、将来に備えていきます。そのころ、動くものを目で合うようになると、モビールとかメリーゴーランドなどを吊るしてあげると、それをじっと見つめ、うれしそうな顔をしますし、手を出して触ろうとします。その姿は、赤ちゃんがおもちゃで遊んでいるように見えますが、いわゆる遊びについての定義は当てはまりません。それは、意識して遊ぶわけでもなく、反射的に起こす行動なのです。というわけで、まだ「遊び」とはいえません。

このような生後2?3ヶ月までに見られる反射のことを原始反射といいます。主な原始反射には、赤ちゃんの手の平に大人の指などを入れるとギュッと握る把握反射(握り反射、手掌把握反射)、赤ちゃんの口元に小指や乳首などを持っていくとそれに吸いつく吸啜反射、音の刺激などで上肢を大きく開き抱きつこうとする、びくつきと言われるモロー反射などがあります。これらの反射は、生きていくうえでの新生児にとっての最初の生活なのです。そして、生きていくうえで欠かせない行動の学習でもあるのです。ですから、これらの行動は、基本的にはすべての新生児に見られ、赤ちゃんが最低限生きるために必要な反射とも言われています。

そして、生後3ヶ月近くになると、赤ちゃんの脳や中枢神経の成熟により少しずつ抑制という発達が見られ、4ヶ月近くになると手の把握反射以外は消えていきます。この消えていくかどうかが、また、生まれてすぐに原始反射が見られないかどうかで、中枢神経系の異常が考えられています。

このような反射的にさまざまな動きをするところから、意識して行うようになりますが、まだ生きる上での必要な学びをしていきます。まず、その対象は自分の体に向けられます。自分の体を使っていろいろなことを学びます。3ヶ月目にはいり赤ちゃんは首がすわると自分の目の前にある自分の手を眺め始めるようになります。これは「ハンドリガード」という赤ちゃん特有の行為で、自分の手を見つめることで自分にはからだがあるということを赤ちゃん自身が知るきっかけとなります。これは、当然でしょうが、赤ちゃんにとって一番身近で、すぐに目に着き、すぐに手で触ることができるのは自分の体です。その手や足が、自在に動くのを見ると、何かしらの感覚を覚えることでしょう。そこで、反射から赤ちゃんは自分の意思で自分のからだが動かせることを知るのです。

3,4か月になると赤ちゃんは、自分の体の前で両手をもみ手するように動かしたり、手をじっと見つめたりする行為をします。これを「ハンドリガード」といいます。これは、「手を目の前に出して見つめること。最初は偶然目の前に来た手を自分の身体の一部とは認識できないでいたのが、何度も口に入れたりするうちに自分の身体の一部だと認識できるようになること。」と言われています。この行動はよく知られていることですが、私は、このころは同時に他者の存在も認識するようなると思っています。自分と他人、そんことを知っていきます。ですから、このころの環境として、他児も必要ではないかと思っているのです。

そして、これらの行動は「遊び」ではないので、他児は「遊び相手」ではないのです。生活環境として複数の子ども、大人が必要になるのです。

遊び相手” への6件のコメント

  1. 赤ちゃんがハンドリガードで「自分」を認識できるようになった後、親以外の人間の存在をどうとらえていくのか興味があります。親の視界内での生活から少しずつ住む世界を広げていこうとするのです。

    認識できた「自分」とよく似た「他人」(赤ちゃん)が身近に現れた瞬間の赤ちゃんの驚きというのは、たとえば自分のそっくりさんが目の前に突然現れたようなものでしょうか。「こいつ、僕と似てるけど、何者だ?でも仲良くなりたいな」まあ、そんな気持ちで仲間の赤ちゃんを見つめているんでしょう。

    保育園には、いつも見る親とは違う大人たちが働いています。「うちのママならなんでもわがままは聞いてくれるけど、ここではちょっと無理みたいだ。でもじっとお利口さんにしていると、優しくしてくれる。みんないい人たちだ。」たぶんそうやって赤ちゃんは、赤ちゃんなりに「主体」と「客体」で構成されている人間社会に第一歩を踏み出していきます。

    これまでの早期教育は、乳幼児期に知的な刺激を与えて知能を伸ばすことでした。しかし、様々な研究により、「赤ちゃんは、外から受けた刺激や学習によって成熟する」というピアジェの定説は否定されています。赤ちゃんは、自発的に運動し自ら外に向かって語りかける存在です。あるべき早期教育とは、生後間もない頃から保育園のような複数の大人と複数の子どもがいる環境で子どもが育つことです。

  2. 確かにここで書かれている赤ちゃんの行動は、生きるために必要な活動、つまり生活ですね。そうなると一見遊び相手のように見える子どもや大人も、成長に必要な環境と考えるべきなんでしょう。だとすると、例えば家で母親が潤沢におもちゃを揃えたとしても、生きる上で必要な力をつけるためには十分な環境とは言えないのかもしれません。モノとか人とかに対して、必要なタイミングで赤ちゃんが自ら関わっていくことのできる環境は、今の時代は保育園のようなところが中心になって保障していくことが必要だということも、このような赤ちゃんの特性から見えてくると思います。なるほどなるほどと考えさせられます。

  3.  赤ちゃんを見ていると、一つ一つの行動が本当に可愛いと思います。手のひらに指を入れるとギュッと握り返したり、抱っこをしているときに自分の腕をおっぱいと間違えて吸い付いたりなど、これらの赤ちゃんの行動は確かに可愛いですが、反射反応で行われ、そして生きるための行動にあたるのですね。そうしながら、自分と他者を区別するようになり、成長していく。その時の他児は遊び相手ではなく、環境として複数の子ども、そして大人が必要になっていく。赤ちゃんはまだ何もできない分、大人に面倒を見てもらうように仕向けますが、その裏では生きるための準備を確実に一人でこなしてしるのですね。

  4. 自分認識を赤ちゃんは生まれたころからはじめているんですね。自己認識ができるようになると当然次は他者認識になっていきます。それを赤ちゃんの頃からもう始まっているというのは実際そういった目線をもって見ていないとわからなかったのですが、そう意識して赤ちゃんを見ていると納得いく部分がとても多くあります。また、その時期起きる反射という子どもの発達も目線を変えると目的が見えてきますね。改めて、人の進化というか、発達が理に適っているというところに驚きます。こういった人間本来の力を発揮し、伸ばしていく環境は今後もっと考えていかなければいけませんね。

  5. 生後数か月間の人間の行為を今回のブログでは簡潔に紹介してくれています。把握反射、吸綴反射、モロー反射と人間の生物的行為の原初形態であるところの反射を私たちはここで知ることができます。そしてこれらの反射が人間の成長発達には不可欠であることは、それら反射行為の発達形によって私たちの生活行動が保障されているからです。握手、キッス、ハグ等々を想像することができます。人間同士の温かい関わり、共に生きる存在、・・・。「原始反射」は基本反射で、やがて別の行為に転換していくのでしょう。今回は「ハンドリガード」という、私たちにとって目新しい概念が紹介されています(『0,1,2歳の「保育」』参照)。yamayaさんご指摘の通り、「主体客体」認識のはじまり行為だと思います。すなわち「関係の構築」のはじまりです。人間は人と人との間の存在ですからこの「ハンドリガード」の指摘は殊の外重要であると言わざるを得ません。

  6.  「これらの行動は「遊び」ではないので、他児は「遊び相手」ではないのです。生活環境として複数の子ども、大人が必要になるのです。」お気に入りの玩具がなかったり、何か興味のあるものをと思って差し出したものも遊んで数秒後ポイっとやってしまうのに、他児にだけはとても興味がある子がいます。この度のブログを読んで、その子にとっての他児という存在の大きさを改めて感じましたし、その子だけではなく、乳児という大きな枠組みで他児という存在が大きなものであることを再認識するような思いがしました。

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