夏休みの思い出2

 最近、スマホが普及したということもあって、電車の中でゲームをしている人をよく見かけます。PS2・ゲームキューブ・XBOXなどの据え置き型やDS・PSPなどの携帯型などいろいろな種類が出ていて、家でもゲームをやっている人が子どもだけでなく、大人も多いようです。総務省が2009年6月に発表した「平成20年通信利用動向調査報告書(世帯編)」によると、携帯電話機やパソコンの世帯普及率は頭打ちであるのに対して、携帯メディア・プレーヤやインターネット対応ゲーム機、IP電話は徐々に普及が進み2008年末で2割を超えたそうです。その内容として、携帯電話機の2008年末世帯普及率は95.6%、パソコンは同85.9%と、2007年末に比べて世帯普及率上昇幅は1ポイント未満だったのに対して、2008年末までの1年間に最も普及率が上昇したのが、ワンセグ対応携帯電話機で、対前年同期比15.7ポイント増の42.2%で、携帯電話機所有世帯では44.1%と半数に迫ろうとしているようです。

 このゲーム人口は、ワンセグ対応携帯電話機の普及のスピードほどではないにしろ、パソコン以外のインターネット対応機器も徐々に普及が進みつつあるようです。インターネット対応家庭用ゲーム機の世帯普及率は2007年末より5.6ポイント増の20.8%、インターネット対応テレビは同3.5ポイント増の15.2%だったそうで、IP電話の世帯利用率も同2.2ポイント増の21.2%に上昇したようです。

 私は、ゲームは全くしないので、その機種や用語はちんぷんかんですが、私の園の男性職員は、随分と家でやっているようです。私はゲームはしないのですが、家ではテレビはよく見ます。特に何を見るということはありませんが、今週末から大変なのは、オリンピックが始まるために、テレビをより見るようになるかもしれません。本当は、省電力のためには、冷房を消すよりは、テレビを消したほうがいいと言われています。しかし、昨年の計画停電の時ではありませんが、夜テレビがないと、どうやって時間を過ごしたらいいかわからないほど、テレビは生活に密着しています。

 そんなテレビが始まったのは、1953年(昭和28年)2月1日午後2時、NHKテレビの本放送が最初でした。開局の第1声は「JOAK-TV こちらはNHK東京テレビジョンであります」という話は有名ですね。以前、ブログに取り上げましたが、開局式の後、尾上松緑らによる舞台劇『道行初音旅』がオンエアされ、これが日本初のテレビ番組とされています。しかし、まだまだ普及はせず、当時の受信契約数は866だったそうです。その後、8月28日には、日本初の民放テレビ局・日本テレビも開局します。そして、35年から,カラー放送も開始されました。

 テレビジョン受信機は,白黒テレビが30年代において急速に家庭に普及し,39年には世帯普及率は90%に達します。また,カラーテレビについては,放送開始当初の30年代には伸び悩んだものの,40年代に入り急速に普及し,50年における世帯普及率は90%となります。私の小学校1年(昭和30年)の夏休みの7月24日の絵日記には、テレビを買ってもらったということが書かれてあります。そして、その絵日記のテレビ画面には、たぶんプロレスをしていると思われる画像が描かれています。テレビを買ってもらったのは、随分と早い時期だと思いますが、それでも、それまでは何をして過ごしていたのだろうかと不思議に思います。ラジオを聞いていたり、ほかの何かをしていたのでしょう。よほど創造性がなければ子どもだけで毎晩過ごすことはできなかったように思います。

 夏休みのどんなことをして過ごしたか、ほかの日をみると、よくわかりますが、随分といろいろなことをしています。

夏休みの思い出2” への5件のコメント

  1. 前も思いましたが、藤森先生の絵日記は自分のかいていたものとは全然違っています。絵が苦手ということもありますが、こんなにしっかりとかいた覚えはありません。なのでもし過去の絵日記が出てきたら、こんなことをやってたんだと思い出を楽しんだりするより恥ずかしさが勝ってしまいそうな気がします。テレビの話ですが、オリンピックなんかは見ますが、それ以外はほんとに見なくなりました。デジタルに切り替わってからしばらくは対応テレビがなかったために家族全員が全くテレビ無しの生活もあったくらいですし。いいか悪いかわかりませんが、そんなことも子どもたちの記憶に残ってたりするのかもしれませんね。子どもが絵日記を書いたりしていますが、それを大人になって発見したりする日が楽しみです。

  2. 藤森先生のおうちにテレビが来たころに、小生は生まれました。うちはそんなに豊かではなかったので、小学生の頃は近所の家で夕方の大相撲を見せてもらっていました。昭和30年代の後半、やっと買ってもらったテレビ。茶の間の一等席に鎮座。四本足の台に載ったテレビには、なぜか薄青色の半透明のアクリル板がブラウン管を覆っており、ご丁寧にその上にフリルが付いたカーテンがかかっていました。チャンネルをガチャガチャ回すと壊れるからそっと扱うように親から注意されたのを覚えています。まるで宝物のような扱いでした。

    少し大きくなって、夜11時過ぎ、♪シャバダバシャバダバ♪の11PMの音楽が流れてくると、何とか親の目を盗んでみようと四苦八苦したものでした。電気を消して、テレビのボリュームを下げて、布団の中から息を殺して観ていました。性に目覚めた頃の思い出です(笑)。

  3.  夏休みの宿題で絵日記をした記憶がないので、残念ながら残っていませんが、自分が夏休みの時は毎日何をしていたのか気になります。藤森先生が小学校の頃に書いた絵日記を見て思いました。私の小学校の頃パソコンはそこまで普及していませんでしたが、テレビはありました。そしてゲームもあったので、何かと遊び道具はありました。友人と遊ぶのが多いですが、それでも暇な時はテレビを見たり、ゲームをしたりしました。まだテレビもない時代は、毎日友人と色々な事をして遊んでいたのでしょうね。オリンピックが始まると、やはりテレビに釘付けになると思いますが、家族みんなでオリンピックを見て、日本を応援する風景も、子どもにとっては楽しい経験になるかもしれませんね。

  4. 私が小学校の頃はテレビもゲームもありましたが、ゲームに関しては家の方針で家にはなかったので、基本的に友だちの家でやるか、外で遊ぶことがほとんどでしたね。夏の日、キャンプの時にとってきた棒を持っては兄とチャンバラしていた記憶が多くあります。また、友だちと遊ぶ時もあまりゲームだけにならず、外で鬼ごっこや探検ごっこをしていた思い出があります。年代によって遊ぶ内容が釣りや缶けりに微妙に変わったのですが、基本外で遊ぶことが多かったですね。どんなことでも子どもにとっては記憶に残る思い出になるんでしょうね。

  5. 私は子どもの頃家にいるときはテレビばかり観ていました。休みの日などは朝起きるてからずっと観ていたような気がします。最初は白黒。映るチャンネルはNHK総合と教育とTBS系のチャンネル。ほとんどNHKを観ていました。TBSで印象に残っているのは大晦日のレコード大賞といくつかのドラマ。我が家のチャンネル権は基本祖父が握っていましたから基本観るテレビ局はNHKのニュース番組と相撲などが中心でした。祖父や父がいないときはヒーローものやアニメを観ていましたが、祖父や父が来ると即座にチャンネルを変えられました。文句を言う隙間もないし、仮に文句を言ったりすると逆に「くだらない番組を観ている」と一喝されるのが落ちでした。夏休みは父の仕事先が栃木にあったのでそこに行き父たちが仕事に出かけた後宿舎でひとりテレ東のアニメを午前中いっぱい観ていました。実に至福のひと時でした。

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