夏休みの思い出1

 夏休みは、子どもにとってはとても楽しみな日々です。それは、どこかに連れて行ってもらえるからで、多くの日々は、子どもにとっては退屈です。今の子たちは、夏の間、どのように過ごしているのでしょうか?たまたま、私が小学校1年生にときの夏休み「絵日記」が出てきたので、昔は毎日どのように過ごしていたのか、また、そのころの子どもの遊びとはどのようなものなのか、そんなことをそれを見て、懐かしくも思い、また、今の子と比較して随分と変わってきたところがあるということを考えるきっかけを与えてくれました。そこで、その日々を少し検証してみたいと思います。

 夏休みは、私の子どものころから7月21日から8月31日まででした。しかし、それは地域によって違います。当然、夏休みは暑いさなか、冷房もなく、勉強がはかどらないということが大きな理由の一つでしたので、地域のよって、その期間に差が出るのは当然でしょう。また、近くの小学校などは、校舎の冷房設置も進んできたことや、学校週5日制施行により授業時間が減ったことによる学力維持対策で、夏休みを1週間早く終わりにしています。

先日、地下鉄に乗ったら、「隅田川花火大会」の案内がありました。今年は、7月28日(土)に行われます。この花火大会は、1733年の江戸中期に始まった「両国川開き花火大会」から続いています。この前の年、大飢餓で多くの餓死者が出、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。そこで8代将軍吉宗は、翌年、享保18年旧暦の5月28日に、犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が許可をもらい、花火を上げたことが由来とされています。
その後、「両国の川開き」ということで、打ち上げ場所を両国橋上流で、昭和36年まで行われていたのですが、翌年、交通事情の悪化に伴い開催されなくなりました。それが、昭和53年「隅田川花火大会」と名を改め、ビルで囲まれた隅田川で復活しました。また、打上場所もさらに上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となり、今に至っています。

私が、小学校1年生の時の絵日記には、夏休みの初日の7月21日にこの花火のことが書かれてあります。私が、当時住んでいた場所からは、家の屋根にある物干し台からこの花火をよく見ることができました。花火の日には、朝から枝豆などを茹で、物干し台にござを敷いて見学しに来る客を待ちます。私たち子どもたちは、朝から鳴っている空砲にワクワクし、うろうろしては大人たちに怒られます。そして、明るいうちから何度も物干し台に上がります。

私の家は、八王子に工場があり、そこの従業員たちが花火を見に集まります。そして、明るいうちから枝豆をつまみにビールを飲み始めます。次第に空が薄暗くなるにつれ、それぞれの家々でも、屋根の上に人が登り始めます。そのうちに、最初の花火が打ち上げられます。それを合図に、家々から大きな声の「たまや?!」「かぎや?!」という掛け声が聞こえてきます。「鍵屋」は、打ち上げ式の花火を開発した花火屋で、6代目の弥兵衛という人が1733年に「隅田川で開催された花火大会」で花火を打ち上げ人気者になります。そこからのれん分けした「清七」という天才花火師が、開いたのが、「玉屋」でした。歌舞伎と同じように屋号を呼ぶのです。

子どもの頃は、意味もわかりませんでしたが、大人のまねをして大声で叫んだものです。今は、花火に大勢の人は集まるのですが、文化としての花火大会は昔のことになってしまったようです。

夏休みの思い出1” への5件のコメント

  1. 突然ですが、勝海舟の三男梅太郎が、当時珍しかった国際結婚しているというお話をつい最近知りました。奥さんのクララ・ホイットニーは、明治8年森有礼が開設した「商法講習所」の教官になった父と共に14才で来日しました。このクララさんは、梅太郎との間に一男五女をもうけましたが、維新間もない頃の両国の川開きの風情を「クララの明治日記」として書き残しています。

    ≪目の前に広がる川面は、上流も下流も一マイル近く、一面おびただしい舟に覆われていた。不格好な艀から、さざ波に揺られて貝殻のように踊っている小粋なゴンドラまでさまざまだ。・・・川は目の届く限り無数の提灯に埋められ、まるで燦く光の海のように見える。・・・何もかもが溶け合って、まことに美しい光景―赤々と灯りの溢れる家々も、輝く川面も、心躍らせる花火も。・・・人々は、さながら川の流れのように私たちの桟敷の前を通り過ぎていく。ママと私は語り合った、この笑いさざめく人々の魂が、霊的には救済を得ぬままであるという悲しい事実を。≫

    今年の隅田川の花火は、スカイツリーブームもあってかなり賑わいそうですね。屋形船もいいですが、藤森少年のように家の物干し台から眺める花火は家族の思い出とともにあります。この頃から先生の絵の才能の片鱗が垣間見えます。

              おもしろうて やがて寂しき 花火かな

  2. 夏休みというものが今の子どもたちにはどんな風に記憶されるんだろうと考えることがよくあります。私はとにかく毎日の様に海へ出かけて遊んでいた記憶がありますが、今自分の子どもは毎日のように児童クラブへ通っています。小学校へ行くのが児童クラブへと変わっただけで、あとはほとんど変わらない生活です。それでも夏休みを楽しいモノと感じてくれているようなのですが、そういった子は多いでしょうね。夏にしかできない体験、夏にしか感じられない文化に触れる体験など、自分自身も十分にしてきたとは言えないかもしれませんが、やはり子どもたちには夏休みの楽しい体験をさせてあげたいと思います。これって個人の課題というよりも、社会の課題という面が大きいような気もします。

  3.  花火大会がある日は、母親と自転車に乗って見やすい場所まで行き、一緒に見ていたのを思い出します。しかし当時の私は大きな花火を見るよりも、手持ち花火で遊ぶ方が楽しかった記憶があります。東京の花火大会は見たことがありませんが、ニュースで様子を見ると、とにかく人が凄いですね。そして宴会をしながら花火を見ている風景が多いですね。藤森先生の子ども時代の花火大会の時と比べると、ビールを飲みながらの部分は一緒かもしれませんが、雰囲気は違うかもしれませんね。個人的には物干し台にござを敷いて、枝豆を食べながら「たまや?!」「かぎや?!」という掛け声を聞きながら見る花火大会は、なんだか憧れを感じました。

  4. 藤森先生の小学校時代の色使いにびっくりしました。とてもその特徴をとらえているように思います。花火大会は近くであったものの、あまり見に行った記憶はないです。ただ、その少ない経験の中でも目の前いっぱいの距離でみた花火はとても印象的だったのを覚えています。お腹の中に響く花火の音と目の中いっぱいに飛び込む花火の光がびっくりしたのと同時に感動しました。しかし、花火というともっぱら手持ち花火や市販の打ち上げ花火でしたね。近くに河川敷があったので、近所の子どもたちと集まって花火をした思い出のほうが多いですね。子どもたちにとっては花火も夏の一つの思い出です。最近では火の元の注意のせいで、花火ができるところも少なくなってきています。そういう話題を聞くと子どもたちの遊ぶ社会がより少なくなっているのを感じますね。

  5. 藤森先生の絵日記、とても小学校1年生のものとは思えませんね。エンゾさんもコメントしているように、色遣いが巧みです。大きくなったら画家になりたい、と思っている1年生の絵のような感じがします。それより何より、ひらがなのなんと上手なこと。「よくみえます」の一字一字に感動すら覚えます。しっかり字の手ほどきを受けたことがうかがえます。やはり、本当に頭のいい人は字がきれい、ということを確認できました。夏休みの最初の頃に行われる花火大会、ご家族そろい従業員さんたちと一緒に観るその花火は格別なものがあったのでしょうね。私自身は大きな花火大会はあまり経験がありません。同様に、わが子もそうした経験がありません。おそらく私も息子も実家の庭で松を燃やしてそこでする花火が夏休みの風物ということが言えるでしょう。息子は夏休みに入って一刻も早く田舎に行きたいようですが、学校のキャンプ合宿がまだありますから、帰郷はまだ先になりそうです。

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