夏休みの思い出5

 最近の子どもは生活体験が少ないと言われて久しいです。それは、生活リズムが違ってきたということと、生活が便利になってきたことと、自然が減ってきたことなどいろいろな環境の変化がありますが、最近の子どもは大人のやることを見る機会が減ってきたということがあると思います。この大人のやることを見る機会が減ってきたということは、子どもたちの遊びにも変化をもたらしています。昔から子どもの遊びは、大人のまねをするところから出ていることが多いからです。それは、大人の仕事を手伝うことだけでなく、じっと見るということも必要です。何度もブログで取り上げますが、皿を回している子をじっと見て、真似てやろうとする子と同様に、大人のやっていることをじっと見て、それが、おもしろそう、不思議だ、すごいことだなどを感じ、真似てやってみようとするのが子どもです。
 そういう意味では、私たち大人は、子どもが憧れるようなことを子どもの前でやって見せることが重要です。私が子どものころに憧れた大人の姿は、職人と呼ばれた人たちの職人芸でした。この職人芸は、今ではよくデパートなどのイベントやコーナーでやっていることが多いのですが、かつては町の中の各店の中で行っていました。特に、私が育った下町は多かった気がします。いわゆる「おかず横丁」を歩くだけで、魚や鰻をさばく手つき、味噌を樽からしゃもじですくいとってから、そのしゃもじを元の樽に投げ入れて戻す技、惣菜をぴったりと要望した重さによそる技、どれも、子どもたちは感心して眺めていました。
 そのほかにも、職人は自宅に来ていろいろなことをしました。今では「プレハブ」という「あらかじめ部材を工場で生産・加工し、建築現場で加工を行わず組み立てる建築工法のこと」に代表するように、工場や作業場で加工をして、現場では組み立てるだけというような職人が多くなりました。たとえば、畳屋さんは、表をとりかえるのを頼むと、畳を取りに来て自分の作業所に持って帰り、そこで作業をし、出来上がった畳を持ってきて敷いていくだけです。それは、仕事をする場所がないことと、作業を機械で行うためかもしれません。私の子どもの頃は、自宅の前で畳の表を替える作業をしました。前といっても、家の前の通りです。当時、車はほとんど通りませんでしたが、今考えると、よく邪魔でなかったかと不思議に思います。ですから、畳屋さんは、畳の表裏を替えるときには、肩に木枠の台と畳のへりを担ぎ、糸と大きな針を持ってきたものでした。
 自宅の前で作業をする姿は、子どもたちからすると、非常に興味をそそります。目の前でみるみる出来上がっていくからで、何度も邪魔だと怒られながらも周りをうろちょろしていました。子どもにとって、もうひとつ、目の前でやることの面白さがあります。それは、いろいろな廃材が出ることです。取り替えた畳のへり、畳表を切り取った端っこなど子どもの格好のおもちゃになります。
私の小学校1年生の絵日記には、7月27日「だいくさんが おうちをなおしにきています。かんなでいたをけずりました。そのくずであそびました。」とあります。家の前で、かんながけをしています。大工仕事は、子どもにとって非常に興味のあるものです。かんながけ、墨つけ、のこぎりでひく、のみを使う、木を組み合わせる、釘を打つ、次第に出来上がっていきます。
また、カンナくずは、子どもたちにとって格好の遊び道具です。カンナくずを体にかけたり、巻いたりして遊ぶと、木の香りがぷーんとしてきます。先日、園の夕涼み会では、今年のテーマが「森で遊ぼう!」だったために、あるコーナーでは、ビニールプール二つにスギとヒノキのカンナくずを入れて、その感触、臭いを感じてもらいました。私の子どものころは、これは日常でした。

夏休みの思い出5” への5件のコメント

  1. 大人のすることを見る機会が少なくなったことですが、何事も安く早くということが求められるようになると、いろんな作業はまとめて工場でおこなった方がいいということになります。そうなると子どもの目の前で行われるような作業は少なくなっても当然ですね。必要なモノを手に入れてその対価を支払うということで生活ができてしまうのではなく、生産などの過程も社会には当たり前に存在しています。その過程にも日常的に触れることの魅力はやはり替えがきかないものだと思います。今は当たり前になってしまっている、少しでも安くていいものを求めるのが当然のあり方なんだという考えは、子どもたちの過ごす生活の意味からも、そろそろ限界が来てしまっているのではと思います。

  2. 大工をしている叔父が二人もいたので、子どもの頃から大工仕事は結構見ていたようです。大体あの頃の大工さんは、みんなねじり鉢巻きで、斜めにした柱をシャッシャッとかんなで削ったり、時に目を細めてかんなの刃をコンコンと調節したりするのがとても格好よくて憧れたものです。それに墨壺から糸を引いてぴんと張ってパンと弾くときれいに材に線が引けるのが面白くて、あれはやってみたかったな。大工さんが口に釘を含むのがとっても不思議でしたが、あれは釘を錆びさせて抜けにくくさせるためだそうです。結局不器用だったので、その世界にはいきませんでしたが、子ども時代に見た大工さんには物を創ることの面白さと喜びを教えてもらったと思っています。

  3.  確かに子どもは生活体験が少なくなってきたのは、やはり世の中が便利になったおかげかもしれません。私も小学生の頃ですが、自宅を建て替えた時は、登下校時に建設中の自宅の前を毎日のように通り、作業をしている大工さんの姿を見ていました。そして大工さんになってみたいなぁ、とその時に思いました。将来の夢を言う子ども達を見ると、子ども達に様々な職業、働いている大人の姿を見せる事で、大きな影響を与えると思います。仮面ライダー、ウルトラマン、プリキュアなどのヒーローになりたいという子どももいます。それはそれで悪くはないと思いますが、個人的には実在する職業を目指して欲しいです。その為には、私達がそういう体験ができる環境を用意する必要があるのですね。

  4. 確かに最近の子どもたちは大人の仕事をする姿を見る機会は減ってきているのかもしれまんね。家でもお母さんの料理する姿も昔よりも減っているでしょうし、ブログの畳屋さんのように道端で仕事をするようなことも今の時代ではなくなってきているように思います。遊ぶものやおもちゃなどはとても増えていますが、その反面、見るもの、遊ぶものなど環境に関してはとても少なくなってきているように思います。今の時代、便利になってきていますし、豊かな時代でもありますが、その反面、捨ててきたものは意外と代えがたいものだったのかもしれません。

  5. 私の家は前回のコメントに記した通りさまざまな家業を行っていたで、それはそれは様々な「大人の姿」を目にしながら育ちました。しかし、祖父や父母には大変申し訳ないのですが、決してそのあとを継ごうとは微塵も思いませんでした。むしろそうした大人の姿はわたしにとって「反面教師」的に映りました。私の同級生の親は学校の先生をしていました。お宅にお邪魔すると、リビングの壁には本がたくさんあり、ピアノもありました。うちの中もすごく静かで、インテリジェンスが漂っていました。私はそれに憧れました。中学生以降の私はその「インテリジェンス」のために生きていったと言っても過言ではありません。今思えばおかしいのですが、その時は本当にそうでした。そしてその「インテリジェンス」を実現する地が「東京」であることを疑わず一心に東京行きをめざしたのです。おがくず、父の仕事場でよく遊びました。木くずや木端、遊び道具でした。ふんだんにありすぎたので、逆にありがたみもわかりませんでした、新奇性や驚きの対象にもなりませんでした。一次産業や職人の家に生まれなければよかった、と思ったこともありますが、おかげで今の自分があると考えれば、それもよかったのだと思い直せます。

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