夏休みの思い出4

 私の子どもの頃は、テレビゲームはもちろんありませんし、テレビではあまり子ども番組はやっていませんし、すごろくなどのゲームは正月でしかしませんし、おもちゃはそれほどありませんし、なにをして遊んでいたのでしょう。しかし、いつの時代でも子どもは遊びの天才です。身の回りの物を遊び道具にしてしまいますし、身の回りの物を使っておもちゃをつくって遊んでいました。また、家の手伝いをよくしましたが、それも子どもにとっては遊びにしてしまったのかもしれません。

私が小学生のころは、夏休みの宿題に「手伝い」がありました。夏休みの入る前に、夏休みの目標を立てます。そこには、必ず、子どもが引き受ける手伝いがありました。当然、そのころは、子どもにとっては楽しいことではなく、早く終わらせて遊びに行きたかったのですが、やらないと遊びに行かせてもらいません。ですから、手伝いの遊びに変えてしまったのです。大人も、それは承知していて、それほど怒らず、見守っていてくれました。

そのころの子どもの仕事は、買い物、玄関の掃除、金魚とかハトなどの動物へのえさやり、配膳の手伝いなどでした。子どもクッキングを計画する時、できるだけその材料の買い物からするようにしています。特に、買い物は子どもの役目でした。「のびちゃん、おつかいに行ってきてちょうだい!」とアニメ「ドラえもん」の中で、お母さんはすぐ買い物かごを、のび太にわたします。同じように、ジャイアンの家庭でも、サザエさんの家庭でもかつおくんにお使いを頼みます。買うものを覚えていくこと、お店でその素材のよしあしを見分けること、買うものを注文すること、時には値段の交渉をすること、お金のやりとりをすること、などその中には様々なことが含まれていました。

玄関の掃除は、子どもにとって、ちょうどいい広さです。箒で掃いた後、水を流してきれいにします。初めのうちは、あまり上手に箒が使えます。どうしても押してしまおうとするのです。それが、次第に上手になっていきます。また、水をまくのも、ホースは使いません。バケツに水を汲んで来てそれをまくのです。ずいぶんと力仕事です。大人の仕事の手伝いは、大人の仕事のごっこ遊びの要素もあります。手伝う内容も年齢によって変わっていくことで、次第に大人になる準備をしていることになります。

7月23日の絵日記には、「おてつだいに おそうじをしました。いもうとのひきだしも かたつけてやりました。ついでに そともはきました。」とあります。現在、園でも食事の後は、年長さんが床をぞうきん掛けしてくれます。また、 製作などした後の机の周りに散らばった紙のゴミを、掃除してくれます。そうじ、ぞうきんがけはかなり体を使います。ということは、体を調整するのに役にたちます。子どもは、小さいうちは、筋力は育ちません。

乳幼児の運動発達は,不随意運動から随意運動へ,そして,頭の方から下肢の方へ進み,からだの中枢部から末梢部へ広がり,全身性の運動から細かい運動へと巧ち性が増していくといわれています。また、これらの発達は,脳・神経系の発育・発達の他,筋肉・骨格系や平衡器官の発育・発達によって促されます。これらの発達を促すのは、子どもの遊びであり、手伝いであり、決して筋肉トレーニングや、過度の運動トレーニングではないのです。

子どもたちの運動能力を増すためには、なに式をやるよりも、十分に遊びこみ、手伝いをしてもらうことの方が、乳幼児期では大切なことです。昔は、自然と行われていたようです。

夏休みの思い出4” への5件のコメント

  1. 手伝いは確かに大変な面もありますが、それでも子どもたちは嬉しそうに引き受けてくれることが多いように思います。ごっこ遊びの要素はかなりあるんだろうと感じます。私の園でも食後の床ふきは子どもたちがしてくれているのですが、すごく楽しそうに、まるで遊んでいるかのように雑巾がけをしているんですよね。大人がするよりも圧倒的に時間はかかりますが、雑巾がけの中や他のことのやりとりの中に楽しさを見つけているんだろうと思います。生活の中の手伝いの持つ意味を大事にすべきですね。そして何でも遊びに変えたり楽しもうとする姿勢は、私たち大人も見習わなければいけないことかもしれません。

  2. 何しろ昔の日本の親は、その日その日食べていくために必死で、今と違って子どもたちを適度に放ったらかしにしていたようです。しかし子どもは家事の貴重な労働力で、結構頼りにされていました。農村でも田植えの忙しい時期には、大人の手伝いでよく田んぼに駆り出されました。うちの親父の煙草(たしか“しんせい”だった)を買いに行ったり、家の中の拭き掃除もよくやらされました。

    拭き掃除といえば、今時の子どもたちで、雑巾を正しく絞れない子が多い。雑巾を横に持ち、ねじりながら絞る「横絞り」やおにぎりを握るようにぎゅっと握って絞る「握り絞り」をしてしまう子が目につきます。家でお掃除をしたことがないせいでしょうか。正しくは、雑巾を縦に持って、右手が上(逆手)、左手を下(順手)でギュッとねじるのが正解ですが、昔の子どもは、別に教わるまでもなく気がついた時には自然にそうしていたように思います。

    結局、「日常生活練習」も家庭で子どもたちが見よう見まねでお手伝いすることで自然に見につきます。ただ、この頃はそんな家庭も減ってきたので、保育の中にそんな場面を“作る”必要があるようです。もともと、子どもはお手伝いが大好きで、お願いすれば張り切ってやってくれるものです。それに子どもはお手伝いだって立派な遊びに進化させる天才です。お手伝いも“保育”になります。

  3.  夏休みの宿題で「手伝い」は、無かったように思います。手伝いよりも、ドリルや製作、ポスターなどが多かった気がしますが、風呂掃除、夕飯の後の皿拭きなどは、定期的に手伝っていたような気がします。手伝う内容も年齢に変わっていくのは、本当にそう思います。当時、皿拭きしか、させてくれなかったので、皿洗いをやりたいと言っても、なかなかさ洗わせてくれませんでした。今思うと、意地悪ではなく、発達で無理だろうと母は思っていたのかもしれません。ブログにも書いてあるように、十分な遊びを含め、年齢に応じた手伝いをすることで、大人になるための準備、そして体作りが行われているのですね。

  4. 子どものころにしたお手伝いというと「お風呂掃除」でしたね。初めはお兄ちゃんの姿に憧れて、そこからが始まりでした。どうも私はひねくれていたのか、お手伝いを遊びに変えるというよりはつまんなくなることが多かったですね。でも、ブログにあるように友だちと一緒にやると楽しくなるでしょうね。やはりそこに「楽しみ」を見つけることで、自分からお手伝いや片づけに向かうようになると思います。その点子どもたちはすごく柔軟ですね。子どもたちは手伝うことにすごく協力的ですし、とても楽しんでやってくれます。大人もあまり完璧を求めるのではなく、見守ることは必要なんだと思います。

  5. 子どもの頃、私は本当によく家のことをやっていたと思います。とりあえず、小学校時代まで。中学時代以降はよほどのことがない限り家の手伝いをせずに、勉強と部活と友達同士の遊びに明け暮れていました。それまでは我ながらよくやったと思っています。私の家は父が大工で母親が豆腐こんにゃく油揚げ作り、祖父祖母もいて稲田があったり、野菜の畑があったり、豚や鶏を飼っていたり、我が家の山林があったり、お稲荷さんもあれば、お墓もあり、しかもさまざまな人たちが出入りしている家でした。当然、やらなければならない家業はそれこそゴマンとありました。本当にいろいろなことをやりましたが、中でも、母の手伝いで酢の瓶に豆乳をつめて近所のお宅に売り歩くのは私の仕事で、月末には集金もしていました。夏はいいのですが、寒い冬は朝方の六時頃もまだ暗く、雪が降っていたり、路面が凍っていたりしていると、本当に大変でした。翻って、わが子を見ていると、基本、「手伝い」をしてもらうほどのこともうちにはないので、好きなことをして過ごしています。よって、保育園や学校でのさまざまなお手伝いや当番仕事、掃除は私の子を含めて今どきの子たちには必須のことだろうと思います。掃除や当番仕事をさせてもらって親としては感謝している次第です。

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