伊丹

 最近、大阪に行くのに新幹線ではなく、飛行機を使うことが多くなりました。以前は、岡山までは新幹線、広島となると、新幹線で行こうか、飛行機で行こうかと迷う距離でした。それが、大阪でも新幹線というのは、まず、値段がかなり安くなったということがあります。1万円以内で行くことができます。時間的には、飛行機の場合は、早めに空港に行くようになるので、同じようなものですが、最近は、空港ラウンジが快適になり、出発までパソコンが飲み物を飲みながらできるからです。それから、大阪は、新幹線でも新大阪から中心街には少し移動しなくてはならないということで、伊丹空港が、中心地からそれほど遠くないイメージがあります。

 そんなわけで、伊丹空港はよく使うようになったのですが、その所在地である伊丹市はほぼ素通りです。しかし、昨日、たまたま伊丹市での講演がよるあり、午後少し時間があったので、伊丹市の子育て課の課長さんに少し伊丹市を案内していただきました。この市の名前は、平安中期以降、猪名川流域を中心に都の貴族や大社寺の荘園がつくられ、その管理にあたっていた武士団の中から台頭してきた「伊丹氏」から採られています。この伊丹氏は、南北朝時代に築いた伊丹城を拠点に摂津の有力大名になり、摂津国の3分の1を支配していました。

その後、この地域は南北朝時代から戦国時代、しばしば戦乱に巻き込まれ、伊丹氏もそのたびに出陣し、その本拠の伊丹城もしだいに整備されていきました。しかし、池田城にいた池田氏の家臣であった荒木村重は、織田信長に仕えて信頼を得、天正2年(1574年)、伊丹氏に代わって伊丹城に入城します。そこで、城の名前を有岡城と変えて、摂津国の支配を任されました。この城は、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と書き残すほどの名城でしたが、村重は信長に背いて没落、城は間もなく廃城となり、現在は有岡城跡として土塁の石垣などが残るだけになっています。

もうひとつ、この伊丹は、酒醸造法確立の地として有名です。伊丹の酒“丹醸”は江戸ではうまい酒の代名詞で、将軍家の御膳酒になったこともあったそうです。江戸時代、元の有岡城の城下町からスタートした「伊丹郷町」では酒造業が発展し、元禄10年には酒造家の数が36軒にもなるほどだったそうです。しかし、「白雪」「老松」など一部を除き、そのほとんどが江戸後期から明治にかけての伊丹酒造業の衰退に伴って醸造を停止しました。「剣菱」「男山」「松竹梅」など、現在も他産地に引き継がれて醸造されているものもあります。昨日は、「男山」を常温で頂きました。少し甘めではありますが、後味はさっぱりしていました。

酒蔵の雰囲気を残す景観を持った街づくりは、次第にマンションや大型スーパーにおされぎみでした。その中で、案内していただいたのは、「旧岡田家住宅・酒蔵」で、兵庫県内最古の町家で、年代が確実な17世紀の町家としては全国的にも貴重なものだそうです。特に酒蔵は、年代が判明し現存するものでは日本最古で、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を今に伝える重要な文化財です。また、「旧石橋家住宅」は、江戸時代後期に建てられた商家で、母屋の正面は厨子、2階の塗り込めの軒裏と虫籠窓、出格子窓、正面中央の摺り揚げ大戸の出入口装置やバッタリ床几など、建具が面白い建設当初の店構えを残しています。

普段は、通り過ぎるだけの町にも、いろいろな歴史があり、それを大切に残しているのですね。