視線と表情

 人はどこを見ているのか、何を見ているのか、人は視線からそんなことを知ろうとします。また、視線によって何かを伝えようとすることもあります。それは、「目で合図する」とか、「目配せをする」というようにも使います。このように、目で伝えようとするときには、一生懸命に視線を送ります。

しかし、逆に伝えようと思わなくても、目から何を考えているかわかってしまうこともあります。「目は口ほどにものを言う」という言葉は、口でいくら違ったことを言っても、目を見ることで本当は何が言いたいのかがわかってしまうということです。「社会脳の発達」(千住淳著)の中で、そのあたりの研究が紹介されています。

視線処理は、表情など他の社会的な手掛かりと組み合わせて処理されることが知られています。18ヶ月児が、視線と表情を組みあわせて、視線の先にある対象物が好ましいものであるかどうか、好ましいものであると思っているかどうかを読み取っていることがわかっています。それは、「社会的参照」というようなものかもしれません。また、生後1年以内の乳児でも、視線と表情を組みあわせた処理を行っていることがわかっています。それは、リガートという人の研究のようですが、4ヶ月児にさまざまな表情と視線の組み合わせを見せる実験を行い、幸せな表情(微笑み、笑い)を見た時の脳波成分の振幅の強さは、その顔が自分に視線を向けているとき、よそむきの視線の時よりも大きくなることを示したそうです。明らかに、視線の方向と、その表情を組みあわせて、自分をどのような気持ちで見てくれているかを感じているようです。

また、ヘールという人の研究では、7ヶ月児を対象に行った実験で、怒った顔に対する脳波成分の振幅が、自分に向けられた視線の時により大きくなることを示したそうです。これらの研究は、成人における研究結果と一貫しているそうですが、一方、成人においてみられるような、怖がっている表情の処理が、その顔の視線が背けられているときに促進されるという結果については、乳幼児研究では追従されていないため、乳児における表情と視線の相互作用が、成人と同じ、複数の社会的手掛かりの意味を統合するメカニズムによって引き起こされているのか、それとももう少し単純なアイ・コンタクト効果によって引き起こされているのかについては、まだわかっていないそうです。

それにしても、同じ表情を処理する能力の中で、幸せとか怒りなど一部の表情が視線との組み合わせによって処理されるのは事実のようです。以前、人の怒りや幸せの表情を視覚野が破壊された人でも見ることができるということが「ヒューマン」の中で取り上げられていましたが、それと同じで、赤ちゃんも、まだ十分に発達していない視覚野で表情を見ているのではなく、違う部位で判断しているかもしれないということはおもしろい半面、赤ちゃんと接するうえで気をつけなければいけないことのようです。

また、脳部位の中で社会的認知においてさまざまな役割をはたしているであろうと思われている「側頭葉の上側頭溝」の前部が異なる視線方向の処理を司っていることがわかっています。また、その後部では、視線だけでなく、人の体の動きに特化した処理が行われていることがわかっています。生後4か月の乳児でも、成人と同じように、目の動きと手の動きが、上側頭溝の異なる部位で処理されている可能性が示されているようです。

このように、他者の視線は相手の知識や意図、感情などの心の状態を理解するための手掛かりとしても使われているのです。しかも、こういった能力は、生後1年以内にはある程度見られるようになってくることもわかってきています。

視線から、いろいろなことがわかる能力を人は兼ね備えているようです。

視線と表情” への5件のコメント

  1. 慶応大学の安西祐一郎教授は『心と脳』の中で、社会脳についてこのように語っています。

    ≪社会性の働きの基礎には、他の人の意図や気持ちを共有する働き、相手の顔の表情を瞬時に感じ取る働き、何か動いているモノが人間かどうかを一瞬のうちに読み取る働き、他者の行動を自分の行動と同一視する働きなど、自分にとってどんな相手か、相手との絆をつくるべきかを意識下で判断するメカニズムがある。人が人と共に生きるための術は、心の働きの中に埋め込まれている。≫

    赤ちゃんの心にあらかじめ埋め込まれた社会性の働きを促すプログラムを適切な環境と集団との関わりで発動させるのが、「保育」の大切な役割と思います。この社会性の働きは主に脳のネットワークを舞台にして発揮されるわけですが・・・。

    ≪社会性の働きを支える脳の機能についても、報酬の予測や価値判断に関係する眼窩前頭皮質、感情に関与する扁桃体、顔の表情の変化に反応する上側頭溝、他者と自分の行動を同一視するときに反応する前頭葉の運動前野や頭頂葉の連合野など、多くの部位が関係している≫

    生きる力とは、わかりやすくいえば、人とより良くコミュニケートしていける能力のことです。脳科学などの認知科学の知見も活用して、情緒的な保育から心のシステムを確実に構築できる保育に変えていく流れが起きることを期待します。

  2. 自分の方を向いているときと向いていないときはいつも一定の反応を示しているのではなく、表情によってそれが変化しているんですね。それぞれの表情を思い浮かべてみたんですが、例えば怖がっている表情の処理なんかは確かに背けられているときのほうが強く反応してしまうかもしれません。大人の反応と赤ちゃんの反応を比べることでどんな力を持って生まれてきているのか考えることで、ずいぶん今までの説は覆されたりするんでしょう。データは常に変化していくものと捉えていた方が良さそうです。そう考えると子どもを見るときには、やはりそのままの姿を見ることがまずは大事になってくることは明らかです。実験のデータを活用することも大事ですが、集団での子どもの姿を見ることなくデータのみを重視するようになってしまわないよう気をつけなければいけませんね。

  3.  赤ちゃんが自分の顔をじっと見る時があります。今までは赤ちゃんは何を見ているのだろう??と思いながら自分も赤ちゃんの顔を見ていましたが、じっと人の顔を見ていることで表情を読み取っているのには驚きます。そして相手が幸せ、嬉しそうな表情をすることで脳波の成分が大きく振幅しているということは、相手の表情をしっかりと理解しているということですね。赤ちゃんだから何も分かっていない、という思いがちな考えは、どんどん覆されていると同時に、赤ちゃんも一人の人間として関わる必要があります。ただ、これは当たり前のことですね。

  4. 視線と表情によって人が今どんな状態にあるのか察することが可能であろうことは日常生活を通して理解できます。顔の表情は視線と一緒に言葉を介せずとも訴えかけてくる力を帯び、相対する側による言葉かけを始めとするさまざまなリアクションを引き出します。子どもたちはなるだけ誰か、特に大人には見られたくないという意識があるようです。見られている、見張られている、というのは結構大変で子どものみならず大人でも相当ストレスが溜まります。「口でいくら違ったことを言っても、目を見ることで本当は何が言いたいのかがわかってしまう」ということは結構きついことなのでしょう。まぁ「わかって」も黙っているのが本当の大人なのかもしれませんが、過干渉の親などは「わかってしまう」ともう一体何か知りたくて知りたくて子どもを問い詰めることがよくあるような気がします。「先生」と言われる人々の中にもその傾向を伴う方がいらっしゃるようです。なかなかに厄介です。「生後4か月の乳児でも、成人と同じように、目の動きと手の動きが・・・」からやはり乳児侮りがたし、で大人の人格が乳児にしっかりと伝わっていくのだ、ということを保育園の「先生」と呼ばれる人々は再確認しなければならないと思いました。先生本位で乳幼児に対する場合その先生はよっぽどの「人格者」でなければならないと思います。

  5. 生後四ヶ月の赤ちゃんでも表情と視線から脳波の振幅があったということはそこからなにかを読み取ろうとしていることなんでしょうね。そんな小さい頃から周りの情報を瞬時に取り入れようとしていることに驚きます。しかも、先入観がないでしょうから大人よりも膨大な量の情報なんでしょうね。こういった赤ちゃんの活動をとおして社会的学習をとることは非常に必要なことと思います。今の少子化の社会ですが、その中で赤ちゃんにどういった環境を用意するべきか、今ある赤ちゃんの考えがすべてではなく、つねにアップデートすることはますます必要ですね。まずは目の前にいる子どもたちをしっかりと捉えることが必要ですね。

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