視線からの学習

 ある人が、道で空を見上げているのを見ると、つい、その人の視線の先には何があるのだろうかと思ってその視線の先に自分の視線も向けてしまいます。それは、好奇心から、何を見ているのだろうと思って見てしまうと思ってはいたのですが、考えてみると、その人の行動への好奇心ではなく、視線の先の物への好奇心です。このような行動を、「視線追従」というそうですが、研究によると、その行動は、意図せずに起こる、反射的な行動であると考えられているそうです。この行動を研究する実験は、「視線手掛かり刺激課題」というそうですが、この効果は、生後数時間から数日の新生児でも見られることが明らかにされているそうです。

 ただ、その行動は、実際に自分の視線を動かしてそちらの方向に注意を向けるという行動ではなく、視線を動かすことなく、その時に見ている視野の中で瞬時にそちらの方に注意を向けるという行動の場合です。ですから、赤ちゃんが「動くものを目で追う」というような、視線を動かしてそちらに視線を向けるということではないようです。このような行動は、もう少しゆっくりと発達することが知られています。それでも、視線だけ相手が見ている方向に動かすのは、生後3か月の乳児から、頭を動かして視線を向けるのは生後6カ月ころから現れることが示されているそうです。さらに、生後12カ月を越えると、相手の視線が向いている対象を探すようになるそうです。どうして、これらの力が備わっているかまだわからないそうですが、ずいぶんと早い時期からこのような能力を持つのですね。ここからも、やはり人間は、他人との関係の中で生きているのだということがわかります。

 では、このような「視線追従行動」は、なぜ起こすのでしょうか。この行動はどんな役割持っているのでしょうか。千住さんは、こう考えています。「ひとつの重要な機能として考えられているのは、社会的学習です。」それを具体的にこんな学習であるとしています。「新しいものの名前を学ぶためには、大人の口から発せられる言葉(名前)と、名前が指し示すものを結びつける必要があります。しかし、環境の中にはさまざまなものがあるため、言葉がどれを指すのかを判断するためには、さまざまな手掛かりが必要となります。乳児は、こういった言語学習を行う際、言語学的な規則や統計学習など、さまざまな計算を行っていることは知られていますが、そういった手掛かりの一つとして、発話者の視線が使われている」という議論です。

 このような能力を見ることによって、乳児がどの様に学習するのかがわかってきています。乳児の社会的学習メカニズムは、自分に注意を払い、積極的にいろいろなことを教えてくれる、養育者、協力者としての大人から学習するという機能に特化していると考えることができるようです。

 しかし、ヒトが視線を読む対象は、常に自分のことを気にかけ、わからないことを丁寧に教えてくれる相手ばかりではありません。実際の社会的場面では、相手の何気ない視線の動きから、相手が何を考えているか、何をしようとしているかを、適切に素早く読み取る必要があります。視線から相手の行動を読むためには、親などの養育者から示される、わかりやすく誇張された目の動きでなく、相手が何かに気づいて視線を動かす、かすかな動きを理解しなければなりません。

 ここで重要なポイントを千住さんはこう考えています。「相手の視線が何を指し示しているのか、という視線方向に関する理解だけでなく、相手が何を見ているのかという“見る―知る”という心の働きに関して理解する能力です。」

視線からの学習” への5件のコメント

  1. 乳幼児は、1歳にもなると周囲の新奇なものに向かって、まるでその名前を尋ねているかのように「指さし」の行動を見せることがあります。そばにいた母親は、「まぁ、○○ちゃんが名前を尋ねている。そう、これなんでしょうね。これは△△よ」と思わず答えます。この一見知的に見える「指さし」行動、もともとは乳児がその物に手を伸ばそうとする探索活動の発展系だそうです。それが大人の誤解によって支持行動に変化するのです。

    ≪外界の事物を指し示すというのは、コミュニケーションとしては極めて高等な次元に属する行動に他ならない。進化の過程で、ヒトの祖先がその必要性に直面した時に、「とりあえず」有用だったのが、指による探索だったかもしれない。それ故社会的にあえて誤解することで、行動の文化的借用が起こったのだ。≫
    (正高信男著『子どもは言葉を体で覚える』)

    子どもは、大人の視線を追って名前を覚えるだけでなく、発達の過程で思いがけず身につけた「指さし」の技法で、興味の対象に大人の視線を移動させ、名前を学習する術を持っています。子どもは受け身で学習する存在ではなく、主体的に環境から多くのことを学ぼうとするのが本来の姿のようです。

  2. 視線ということもどんどん話が深くなっていきます。自分に向けられた視線でなくても、誰かが何か視線を向けているとその方向に何があるのか、確かに気になります。車を運転している最中に、複数の人が同じ方向を注意深く見ている姿を見かけてしまうと、それはもう危険なことが起こってしまいます。運転に集中しなければという気持ちは当然あるのですが、でもその人たちが見ている先は非常に気になります。車を停めることができる場合はすぐに停めるのですが、それができない時はしばらく葛藤が続いてしまうので、できることならそのような場面には出くわしたくないと思ってしまいます。これは赤ちゃんも持っている力なんですね。この力を駆使しながら赤ちゃんが様々なことを学んでいると考えると、赤ちゃんに対しての興味もますます強くなります。

  3.  赤ちゃんの頃から、視線から人は多くの事を学んでいるのですね。確かに、大人が発した言葉に反応し、言葉を発した人物の視線を手掛かりに、言葉と物をつなぎ合わせて理解してきます。面白いことに、逆のパターンもあります。赤ちゃんの方から物に指をさして、言葉を発している時があります。そうは言っても、正しく発音はできませんが、おそらく自分の中で物を確認しているのでしょうね。視線から多くの情報を得るのは、確かに養育者や親だけでなく、他人からも様々な情報を得る事もあります。あいやまさんのコメントにも書いてあるように、街中で人が一斉に同じ方向を見ていると、つい気になり、同じように見てしまいます。視線の方向を理解するだけでなく、相手が何を見ているか?また何を考えているのか?心の理解も必要なんですね。

  4. 生後1年に満たない乳児の能力については当ブログでいろいろ教わっているところですが、視線ということからも乳児の能力の凄さがわかります。「視線追従」という行為は大人になっても普通に行われます。そしてこの行為はどうやら「生後数時間から数日の新生児」にも関連する行為が確認され、生後3か月頃からは視線を動かし、生後6か月頃からは頭を動かして視線を向け、「生後12カ月を越えると」相手の視線の対象を探す、ということですから大人行為の基本部分は既に乳児期に存在することがわかります。このことから従来の「発達」観、すなわち大人期に向けて右肩上がりにいろいろな機能が備わってくる、ということはどうやら違うようですね。ちょいと飛躍ですが「発達とは何か?」ということを考え直さなければならないと思います。「視線追従行動=社会的学習」と千住淳氏は規定していますから、乳児は「他人との関係の中で生きている」、すなわち「社会の一員」として生きている、ということになります。乳児に関する研究が今後ますます深まっていって、具体的な行為を帰納していくならやがて乳児の社会性や関係構築力等々も明らかになり「子ども集団は3歳から」などということが最早科学的に根拠を持たない、それこそ3歳児「神話」となることでしょう。当ブログで示される乳児に関する情報は研究者の皆さんへの大きなヒントになりますね。

  5. 赤ちゃんが物事をともに共有しようと視線を合わせるのはこういった社会的学習活動が根底にあるからなんですね。大人になってからも新たな情報を得ようと視線でいろんなところを見ようとします。ものを知るためにそのものをよりイメージするためには視線を通して見ることはとても多くの情報を得ることになります。こうやって、近くにいる大人の会話や言葉を通して、認知の幅を広げていくんですね。自分がなにげなく行っている活動でも、赤ちゃんの活動としてみると日頃からその処理する情報は途方もないくらいなのだろうと思います。

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