アイ・コンタクト

「目は口ほどに物を言う」ではありませんが、人間が喜怒哀楽の感情を最も顕著に表すのが目だと昔から言われてきました。ですから、何もしゃべらなくとも目つきから相手の感情がわかるものだということが言われてきた言葉です。また、何かを隠していたり、言葉でごまかそうとしてもその目を見ればその真偽はわかってしまうということです。

また、「アイ・コンタクト」という言葉がありますが、この視線の第一義的な意味は、誰かに、又は、何かに注意を向けていることを表わします。このように視線をとどめるということは、その人とのいい人間関係をつくるのに効果的だと言われています。ですから、その目に現れる気持ちを、お互いの人間関係を認め合う何らかの行為として表すことを大切にしなければなりません。そのようなことを「社会脳」から研究されています。

アイ・コンタクトが社会脳にあたえる影響を、「アイ・コンタクト効果」と呼ぶそうです。千住さんはこう言っています。「ヒトは、相手の顔、特に目に注意が引き付けられるようになっています。さらに、相手も自分を見ている、つまりアイ・コンタクトが成立している場面では、相手の顔からさまざまの情報を読み取ったり、より深い注意を向けたり、さらには相手の行動を真似したり、相手に協力的にふるまったりするなど、アイ・コンタクトによって社会的な情報処理や社会行動が制御される現象、アイ・コンタクト効果が見られます。」

このアイ・コンタクト効果に関する研究では、乳幼児は、成人よりも幅広い脳部位でアイ・コンタクト効果を見せるという結果が報告されているそうです。それは、そうも、乳児の社会脳は、成人のものよりも未分化であり、その部位がどのような処理を行うか、という専門家が十分になされないからのようです。また、最近研究されているのは、アイ・コンタクト効果の発達に、養育者との関わり方がどのような影響を及ぼすのかだそうです。。また、日本をはじめとする東アジアの文化圏と、イギリスなどの西ヨーロッパの文化圏では、対人コミュニケーションの場面でアイ・コンタクトを使う頻度や長さが異なるため、こういった文化的な要因によるアイ・コンタクト経験の違いが社会脳の発達にどのような影響を与えるかについて、日英間での比較発達研究により明らかにしようと千住さんは考えているようです。

確かに、直観的には、日本人によるアイ・コンタクトによるコミュニケーションは、欧米に比べて大きい気がします。いわゆる「阿吽の呼吸」とか「言わなくてもわかる」文化とか、「息が合う」という関係性を表す言葉が日本に昔から多くあるような気がするからです。視線から得られる社会的な情報は、相手が自分を見ているかどうか、相手がどこを見ているか、何を見ているかを知ることも、相手の心の状態を理解したり、さらには迫りくる危険など、価値のある情報を知ったりする上でも重要な役割を果たします。

著書「社会脳の発達」の中で、千住さんは、次に、以前ブログでも取り上げた「共同注意」とか「社会的参照」について取り上げています。ヒトは、相手の視線方向に強く注意を向け、それをもとに相手の行動を予測する、という傾向をうまく利用したものが「フェイント」です。これが効果的なのは、通常、ヒトは何か意味がある場所、情報がある場所を見る傾向があるので、相手の視線を追う行動は、環境中にある重要な情報を見つけたり、相手が何に注意を向けているかという心の状態を知ったりするうえで有用です。この前者のような、相手の注意から環境の中にあるものについてのじょうほうをえるこういを「社会的参照」、後者の、相手と同じ方向に注意を向け、相手と自分が同じ対象に向けて注意を向けるという状態を理解することを「共同注意」と呼ぶこともあるそうです。

次は、相手の視線を追うことから何を学んでいるかを考えていきます。

アイ・コンタクト” への5件のコメント

  1. なるほど、自分が見ているだけでなく相手からも見られている状態であればより情報が得られやすいというのは納得です。一方的でなく、相手からも興味を持たれていると感じている中では理屈抜きで気持ちよく活動もできますし、アイコンタクトが成立している状態であることはいいことですね。そして日本の文化を考えたとき、このアイコンタクトによる相手の気持ちを推測する経験を多く体験していた方がいいんだろうとも思います。子どもとどう関わるかという情報は割と多く出てくるようになりましたが、視線についてはまだまだ知らないことが多いようです。何気なく扱っている視線の情報に興味が湧いてきています。

  2. 時々冗談で家内に「愛してるよ」というと、大概「何言ってんのよ。目が笑ってるやないの。」と一笑に付されます(笑)。いつも誕生日を忘れているようでは信じてもらえないようで。気持ちがあるならちゃんとモノで表せとのたまうのであります。

    心理学に「メラビアンの法則」というのがあるそうです。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動の何が一番影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合となるのです。ここからわかることは、日常のコミュニケーションの本質は、言葉による命題のやりとりよりも、その裏側の「心の探り合い」にあることです。その心の様相を包み隠すことなく表現するのが「視線」ですから、アイコンタクトは社会で生きていくためにとても重要です。

    言葉を獲得する前の赤ちゃんは、大切に抱っこしてくれる母親を感謝の気持ちでじっと見つめます。母親は愛情をこめて見つめ返します。この視線のやり取りから愛着関係が生まれます。時には泣くことで不快な気持ちを伝えます。にっこり笑顔を見せれば、また遊んでくれることを学びます。赤ちゃんのこの行動は、コミュニケーションの究極の目的が、相手の心の状態を読みとる、あるいは変化させることで、その手段は見つめあうことでも触れあうことでも十分だということを気づかせてくれます。

  3.  アイコンタクトという言葉が多く出てくるようになりました。それだけこの分野では重要な役割を果たしているのでしょうね。確かに日本語でも「阿吽の呼吸」「息が合う」という言葉は非言語コミュニケーションになります。相手の行動を予測し、考え、それに合わせて自分の行動を取る。これは社会で生きていく上で、重要な行為です。そして相手の視線の先を見る事で、情報を得るのも大切なことですね。これらの行動は人類が誕生し、生き延びていく為に必要な能力のひとつになると思います。私達は日頃から、相手の視線から多くの情報を得ながら生きています。当たり前のように行っている行動ですが、これも人類が生き延びる為の手段をと考えると、なんだか感慨深くなります。

  4. 確かに目から発せられる情報は言葉を介在させなくてもいろいろさまざまなことを伝えてくれます。言葉をうまく発することができない子どもたちは目でいろいろなことを訴えてきますね。喜怒哀楽は言葉によらなくても表せる、というより言語表現よりもリアルな気がします。今回のブログでは最近藤森先生の講演中に使われる「社会的参照」や「共同注意」(「共同注視」?)の定義が紹介されていたので今後これらの概念を耳にするときこれまで以上によく理解できますね。特に前者「社会的参照」、すなわち「相手の注意から環境の中にあるものについての情報を得る行為」についてはもっと知りたいと思いました。子ども集団、そして大人集団でも、たとえば、視線によって、関係の良し悪しがはっきりします。「いじめ」は視線によって簡単に実行されます。視線について知ることはとても有効だと思いました。

  5. アイコンタクトはヒトとの関わりの中で多くありますね。「阿吽の呼吸」「息が合う」文化が日本で根付いたということはそれだけコミュニケーションが社会において他の国より重要なスキルだったからなのかもしれませんね。しかし、今の社会、対人関係が希薄になったり、引きこもりや自殺とこういった対人関係での問題が多くなってきています。こういった問題が起きるのも「阿吽の呼吸」というのもなかなかできないような人間関係になってきたからなんでしょうか。ヒトはいろんな情報をいろんな体の部分から得ていますし、視線や目線はとても重要な情報源です。これを読み取る経験は生きていく上でもちろん多い方がいいでしょうし、やはりコミュニケーションを小さい頃から多く持つような環境を持つことは必要というのをより感じます。

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