下着

 先日、無印に行ったら、レジの男性の店員さんが「甚平」を着ていました。甚平は、無印ショップで今、目玉商品かもしれませんが、なんだか下着で仕事をしているような印象でした。また、先日ニュースで、「東京タワーは、7月5日(木)~7日(土)の3日間、浴衣または甚平を着用している人に限り、高さ150mの大展望台までの料金が無料になる“東京タワーだ!ゆかたで無料!”を実施する。」とありました。女性の浴衣はわかるのですが、男性はなんで甚平なのでしょうかね。というのも、年代の相違かもしれませんが、甚平はなんとなく、子どもが着るものか、大人が下着、もしくはホームウエアとして着るイメージがあります。私も、家でくつろぐときには「甚平」を着て、他人が来るときには「作務衣」に着替えています。しかし、本来は両方ともきちんとした服装のようですが、そのような印象を与えるのは、甚平は、足が膝くらいまで見えるからでしょうね。しかも、私の小さかったころみんなが着ていた甚平は、ズボンがなく、上着だけで、子どものようにツンツルテンの浴衣を着ているイメージだからかもしれません。

また、作務衣が仕事着であるという印象は、掃除や採薪などの日々の業務を禅門では、「作務」と呼び、その時に着用する作業着を作務衣といったことから来ています。どうも、私の勘違いで、作務衣も今のように上衣とズボンが分けられたのは比較的最近で、当初は「長作務衣」という、作務衣の上衣が膝くらいまである衣が一般的だったようです。一方、甚平は「甚兵衛羽織」の略で、その由来は、「甚兵衛という名の人が着ていたから」とか、戦国時代、下級武士向けの陣羽織を真似てつくられた「雑兵用陣羽織」の意味から、「陣兵羽織」で「甚兵衛羽織」になったとか言われています。この甚平も昭和40年頃までは、膝を覆うぐらい長い上衣のみでした。

もうひとつ、最近はやっているもので、私から見ると下着で接客しているのが、「ステテコバー」で、ステテコを履いたバーテンダーです。「バー」といっても、コンシェルジュカウンターのことで、バーテンダーといっても、専門スタッフのことです。ユニクロ銀座店には、ステテコの専門フロアがあるそうです。しかし、私のイメージのステテコはバカボンのパパがはいている白いものですが、今年、ユニクロでは今年は最終的には約80色柄をご用意する予定だそうです。このブームは、すでに2008年頃から起きていて、汗を吸収し、快適にスーツが着こなせるインナーアイテムとして、ファッション性の高い商品が市場に現れ出したのです。そして、ユニクロでは「ロングトランクス」という名前で売り出しました。それが、すぐに売り切れ、反響がもの凄く大きかったようです。

実は、私が中学生のころに、サラリーマンだけでなく、学生服のズボンの下に汗をとるためと、膝が出ないようにとステテコをはくのがはやったことがありました。もちろん、白一色でしたが、最近のものは、色だけでなく、映画「スパイダーマン」のデザインや、アロハ柄をあしらったグラフィカルなステテコがあるそうです。それは、履いて外に出られるよう開発したからだそうです。ですから、一見すれば、普通の短めのズボンです。

もともとは、モモヒキが明治期、だぼっとしたものに変形し、落語家の三遊亭円遊が高座で履いて「ステテコ踊り」をしたのが、始まりだといわれています。その後、和服の下に1枚着ることで汗を吸い取り、着物が肌と密着しないために涼しく着こなせるアイテムとして、特に中年男性に支持されていきます。

 下着を巡っては近年、「原点回帰」がブームになっているようです。それと同時に、女性の間でフンドシが流行したそうですが、ステテコも女性にも流行っているそうです。下着も、男女の差はなくなってきているのかもしれません。

視線を交わす

 千住さんは、「社会脳の発達」の中で、「視線」について多く述べています。その理由についてこう書いています。「視線研究は、社会脳研究に関してユニークな視点を与えてくれるものであるからです。視線処理は新生児においてすでに見られ、心の理論や社会的学習など、より複雑な社会的認知が発達するための基盤の一つとなっています。また、他者の視線は、社会脳を構成するさまざまな部位に影響を及ぼし、他者との素早く柔軟な相互作用に貢献しています。さらに、強膜と虹彩とのコントラストが強く、視線方向を識別しやすいヒトの目の形態は霊長類の中でも特殊であり、この形態は社会的なコミュニケーションへの適応として進化してきたのではないか、という議論もあります。」

 このコメントは、私にとって、非常に重要なものです。赤ちゃんは、長い間、小さいうちは他人と関わらず、独り遊びをしたり、しばらくしても平行遊びという関わりを持たない遊びをすると言われてきました。今でも、そのように思っている人がいます。また、赤ちゃんは、関わると言っても、主に母親という特定な人とだけ関わり、そのかかわりが情緒を安定させるかのように言われてきました。そして、3歳くらいになると、初めて他者との関わりを持ち始めるために、子どもを集団の中に入れることが必要になってくると言われています。

保育所保育指針の中の発達過程にも、他人との関わりの内容には、子ども年の記述がありません。「おおむね六か月未満」では、「泣く、笑うなどの表情の変化や体の動き、喃語などで自分の欲求を表現し、これに応答的に関わる特定の大人との間に情緒的な絆が形成される。」とあり、「おおむね六か月から一歳三か月未満」では、「特定の大人との応答的な関わりにより、情緒的な絆が深まり、あやしてもらうと喜ぶなどやり取りが盛んになる一方で、人見知りをするようになる。また、身近な大人との関係の中で、自分の意思や欲求を身振りなどで伝えようとし、大人から自分に向けられた気持ちや簡単な言葉が分かるようになる。」とあります。

もちろん、行動として他の関わる力の表出は1歳から2歳にかけてかもしれません。しかし、ヒトは、新生児のころからその準備をはじめ、その基盤を作り始めています。そこでは、多様な人との関わり、特に子ども同士の関わりが必要になってくるのです。その関わりは、他人からの視線を受けること、他人へ視線を送ることからはじまっているのです。ですから、かつて「おんぶ」が日本の文化の中で評価されてきた理由に、背中から赤ちゃんは他者との視線のやり取りによって、社会脳を構成する脳のさまざまな部位に影響を与えていることが挙げられているのです。

マンションの一室で、帰りの遅い父親を待つ間、母親と二人きりで、時には家事をしている母親から離れ、一人で寝ている赤ちゃんは、誰からも視線を受け取らず、誰にも視線を送らずに過ごすことは、社会的なコミュニケーションの力を育てる環境ではないのかもしれません。

霊長類の中で人間だけが、白目と黒目をはっきりさせることとによって視線を読み取っていく、また、視線と顔の表情を組みあわせて他人の感情を読み取っていく能力を持つことが、ヒトをここまで進化させてきた一因かもしれないのです。

視線と表情

 人はどこを見ているのか、何を見ているのか、人は視線からそんなことを知ろうとします。また、視線によって何かを伝えようとすることもあります。それは、「目で合図する」とか、「目配せをする」というようにも使います。このように、目で伝えようとするときには、一生懸命に視線を送ります。

しかし、逆に伝えようと思わなくても、目から何を考えているかわかってしまうこともあります。「目は口ほどにものを言う」という言葉は、口でいくら違ったことを言っても、目を見ることで本当は何が言いたいのかがわかってしまうということです。「社会脳の発達」(千住淳著)の中で、そのあたりの研究が紹介されています。

視線処理は、表情など他の社会的な手掛かりと組み合わせて処理されることが知られています。18ヶ月児が、視線と表情を組みあわせて、視線の先にある対象物が好ましいものであるかどうか、好ましいものであると思っているかどうかを読み取っていることがわかっています。それは、「社会的参照」というようなものかもしれません。また、生後1年以内の乳児でも、視線と表情を組みあわせた処理を行っていることがわかっています。それは、リガートという人の研究のようですが、4ヶ月児にさまざまな表情と視線の組み合わせを見せる実験を行い、幸せな表情(微笑み、笑い)を見た時の脳波成分の振幅の強さは、その顔が自分に視線を向けているとき、よそむきの視線の時よりも大きくなることを示したそうです。明らかに、視線の方向と、その表情を組みあわせて、自分をどのような気持ちで見てくれているかを感じているようです。

また、ヘールという人の研究では、7ヶ月児を対象に行った実験で、怒った顔に対する脳波成分の振幅が、自分に向けられた視線の時により大きくなることを示したそうです。これらの研究は、成人における研究結果と一貫しているそうですが、一方、成人においてみられるような、怖がっている表情の処理が、その顔の視線が背けられているときに促進されるという結果については、乳幼児研究では追従されていないため、乳児における表情と視線の相互作用が、成人と同じ、複数の社会的手掛かりの意味を統合するメカニズムによって引き起こされているのか、それとももう少し単純なアイ・コンタクト効果によって引き起こされているのかについては、まだわかっていないそうです。

それにしても、同じ表情を処理する能力の中で、幸せとか怒りなど一部の表情が視線との組み合わせによって処理されるのは事実のようです。以前、人の怒りや幸せの表情を視覚野が破壊された人でも見ることができるということが「ヒューマン」の中で取り上げられていましたが、それと同じで、赤ちゃんも、まだ十分に発達していない視覚野で表情を見ているのではなく、違う部位で判断しているかもしれないということはおもしろい半面、赤ちゃんと接するうえで気をつけなければいけないことのようです。

また、脳部位の中で社会的認知においてさまざまな役割をはたしているであろうと思われている「側頭葉の上側頭溝」の前部が異なる視線方向の処理を司っていることがわかっています。また、その後部では、視線だけでなく、人の体の動きに特化した処理が行われていることがわかっています。生後4か月の乳児でも、成人と同じように、目の動きと手の動きが、上側頭溝の異なる部位で処理されている可能性が示されているようです。

このように、他者の視線は相手の知識や意図、感情などの心の状態を理解するための手掛かりとしても使われているのです。しかも、こういった能力は、生後1年以内にはある程度見られるようになってくることもわかってきています。

視線から、いろいろなことがわかる能力を人は兼ね備えているようです。

伊丹

 最近、大阪に行くのに新幹線ではなく、飛行機を使うことが多くなりました。以前は、岡山までは新幹線、広島となると、新幹線で行こうか、飛行機で行こうかと迷う距離でした。それが、大阪でも新幹線というのは、まず、値段がかなり安くなったということがあります。1万円以内で行くことができます。時間的には、飛行機の場合は、早めに空港に行くようになるので、同じようなものですが、最近は、空港ラウンジが快適になり、出発までパソコンが飲み物を飲みながらできるからです。それから、大阪は、新幹線でも新大阪から中心街には少し移動しなくてはならないということで、伊丹空港が、中心地からそれほど遠くないイメージがあります。

 そんなわけで、伊丹空港はよく使うようになったのですが、その所在地である伊丹市はほぼ素通りです。しかし、昨日、たまたま伊丹市での講演がよるあり、午後少し時間があったので、伊丹市の子育て課の課長さんに少し伊丹市を案内していただきました。この市の名前は、平安中期以降、猪名川流域を中心に都の貴族や大社寺の荘園がつくられ、その管理にあたっていた武士団の中から台頭してきた「伊丹氏」から採られています。この伊丹氏は、南北朝時代に築いた伊丹城を拠点に摂津の有力大名になり、摂津国の3分の1を支配していました。

その後、この地域は南北朝時代から戦国時代、しばしば戦乱に巻き込まれ、伊丹氏もそのたびに出陣し、その本拠の伊丹城もしだいに整備されていきました。しかし、池田城にいた池田氏の家臣であった荒木村重は、織田信長に仕えて信頼を得、天正2年(1574年)、伊丹氏に代わって伊丹城に入城します。そこで、城の名前を有岡城と変えて、摂津国の支配を任されました。この城は、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と書き残すほどの名城でしたが、村重は信長に背いて没落、城は間もなく廃城となり、現在は有岡城跡として土塁の石垣などが残るだけになっています。

もうひとつ、この伊丹は、酒醸造法確立の地として有名です。伊丹の酒“丹醸”は江戸ではうまい酒の代名詞で、将軍家の御膳酒になったこともあったそうです。江戸時代、元の有岡城の城下町からスタートした「伊丹郷町」では酒造業が発展し、元禄10年には酒造家の数が36軒にもなるほどだったそうです。しかし、「白雪」「老松」など一部を除き、そのほとんどが江戸後期から明治にかけての伊丹酒造業の衰退に伴って醸造を停止しました。「剣菱」「男山」「松竹梅」など、現在も他産地に引き継がれて醸造されているものもあります。昨日は、「男山」を常温で頂きました。少し甘めではありますが、後味はさっぱりしていました。

酒蔵の雰囲気を残す景観を持った街づくりは、次第にマンションや大型スーパーにおされぎみでした。その中で、案内していただいたのは、「旧岡田家住宅・酒蔵」で、兵庫県内最古の町家で、年代が確実な17世紀の町家としては全国的にも貴重なものだそうです。特に酒蔵は、年代が判明し現存するものでは日本最古で、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を今に伝える重要な文化財です。また、「旧石橋家住宅」は、江戸時代後期に建てられた商家で、母屋の正面は厨子、2階の塗り込めの軒裏と虫籠窓、出格子窓、正面中央の摺り揚げ大戸の出入口装置やバッタリ床几など、建具が面白い建設当初の店構えを残しています。

普段は、通り過ぎるだけの町にも、いろいろな歴史があり、それを大切に残しているのですね。

視線からの学習

 ある人が、道で空を見上げているのを見ると、つい、その人の視線の先には何があるのだろうかと思ってその視線の先に自分の視線も向けてしまいます。それは、好奇心から、何を見ているのだろうと思って見てしまうと思ってはいたのですが、考えてみると、その人の行動への好奇心ではなく、視線の先の物への好奇心です。このような行動を、「視線追従」というそうですが、研究によると、その行動は、意図せずに起こる、反射的な行動であると考えられているそうです。この行動を研究する実験は、「視線手掛かり刺激課題」というそうですが、この効果は、生後数時間から数日の新生児でも見られることが明らかにされているそうです。

 ただ、その行動は、実際に自分の視線を動かしてそちらの方向に注意を向けるという行動ではなく、視線を動かすことなく、その時に見ている視野の中で瞬時にそちらの方に注意を向けるという行動の場合です。ですから、赤ちゃんが「動くものを目で追う」というような、視線を動かしてそちらに視線を向けるということではないようです。このような行動は、もう少しゆっくりと発達することが知られています。それでも、視線だけ相手が見ている方向に動かすのは、生後3か月の乳児から、頭を動かして視線を向けるのは生後6カ月ころから現れることが示されているそうです。さらに、生後12カ月を越えると、相手の視線が向いている対象を探すようになるそうです。どうして、これらの力が備わっているかまだわからないそうですが、ずいぶんと早い時期からこのような能力を持つのですね。ここからも、やはり人間は、他人との関係の中で生きているのだということがわかります。

 では、このような「視線追従行動」は、なぜ起こすのでしょうか。この行動はどんな役割持っているのでしょうか。千住さんは、こう考えています。「ひとつの重要な機能として考えられているのは、社会的学習です。」それを具体的にこんな学習であるとしています。「新しいものの名前を学ぶためには、大人の口から発せられる言葉(名前)と、名前が指し示すものを結びつける必要があります。しかし、環境の中にはさまざまなものがあるため、言葉がどれを指すのかを判断するためには、さまざまな手掛かりが必要となります。乳児は、こういった言語学習を行う際、言語学的な規則や統計学習など、さまざまな計算を行っていることは知られていますが、そういった手掛かりの一つとして、発話者の視線が使われている」という議論です。

 このような能力を見ることによって、乳児がどの様に学習するのかがわかってきています。乳児の社会的学習メカニズムは、自分に注意を払い、積極的にいろいろなことを教えてくれる、養育者、協力者としての大人から学習するという機能に特化していると考えることができるようです。

 しかし、ヒトが視線を読む対象は、常に自分のことを気にかけ、わからないことを丁寧に教えてくれる相手ばかりではありません。実際の社会的場面では、相手の何気ない視線の動きから、相手が何を考えているか、何をしようとしているかを、適切に素早く読み取る必要があります。視線から相手の行動を読むためには、親などの養育者から示される、わかりやすく誇張された目の動きでなく、相手が何かに気づいて視線を動かす、かすかな動きを理解しなければなりません。

 ここで重要なポイントを千住さんはこう考えています。「相手の視線が何を指し示しているのか、という視線方向に関する理解だけでなく、相手が何を見ているのかという“見る―知る”という心の働きに関して理解する能力です。」

アイ・コンタクト

「目は口ほどに物を言う」ではありませんが、人間が喜怒哀楽の感情を最も顕著に表すのが目だと昔から言われてきました。ですから、何もしゃべらなくとも目つきから相手の感情がわかるものだということが言われてきた言葉です。また、何かを隠していたり、言葉でごまかそうとしてもその目を見ればその真偽はわかってしまうということです。

また、「アイ・コンタクト」という言葉がありますが、この視線の第一義的な意味は、誰かに、又は、何かに注意を向けていることを表わします。このように視線をとどめるということは、その人とのいい人間関係をつくるのに効果的だと言われています。ですから、その目に現れる気持ちを、お互いの人間関係を認め合う何らかの行為として表すことを大切にしなければなりません。そのようなことを「社会脳」から研究されています。

アイ・コンタクトが社会脳にあたえる影響を、「アイ・コンタクト効果」と呼ぶそうです。千住さんはこう言っています。「ヒトは、相手の顔、特に目に注意が引き付けられるようになっています。さらに、相手も自分を見ている、つまりアイ・コンタクトが成立している場面では、相手の顔からさまざまの情報を読み取ったり、より深い注意を向けたり、さらには相手の行動を真似したり、相手に協力的にふるまったりするなど、アイ・コンタクトによって社会的な情報処理や社会行動が制御される現象、アイ・コンタクト効果が見られます。」

このアイ・コンタクト効果に関する研究では、乳幼児は、成人よりも幅広い脳部位でアイ・コンタクト効果を見せるという結果が報告されているそうです。それは、そうも、乳児の社会脳は、成人のものよりも未分化であり、その部位がどのような処理を行うか、という専門家が十分になされないからのようです。また、最近研究されているのは、アイ・コンタクト効果の発達に、養育者との関わり方がどのような影響を及ぼすのかだそうです。。また、日本をはじめとする東アジアの文化圏と、イギリスなどの西ヨーロッパの文化圏では、対人コミュニケーションの場面でアイ・コンタクトを使う頻度や長さが異なるため、こういった文化的な要因によるアイ・コンタクト経験の違いが社会脳の発達にどのような影響を与えるかについて、日英間での比較発達研究により明らかにしようと千住さんは考えているようです。

確かに、直観的には、日本人によるアイ・コンタクトによるコミュニケーションは、欧米に比べて大きい気がします。いわゆる「阿吽の呼吸」とか「言わなくてもわかる」文化とか、「息が合う」という関係性を表す言葉が日本に昔から多くあるような気がするからです。視線から得られる社会的な情報は、相手が自分を見ているかどうか、相手がどこを見ているか、何を見ているかを知ることも、相手の心の状態を理解したり、さらには迫りくる危険など、価値のある情報を知ったりする上でも重要な役割を果たします。

著書「社会脳の発達」の中で、千住さんは、次に、以前ブログでも取り上げた「共同注意」とか「社会的参照」について取り上げています。ヒトは、相手の視線方向に強く注意を向け、それをもとに相手の行動を予測する、という傾向をうまく利用したものが「フェイント」です。これが効果的なのは、通常、ヒトは何か意味がある場所、情報がある場所を見る傾向があるので、相手の視線を追う行動は、環境中にある重要な情報を見つけたり、相手が何に注意を向けているかという心の状態を知ったりするうえで有用です。この前者のような、相手の注意から環境の中にあるものについてのじょうほうをえるこういを「社会的参照」、後者の、相手と同じ方向に注意を向け、相手と自分が同じ対象に向けて注意を向けるという状態を理解することを「共同注意」と呼ぶこともあるそうです。

次は、相手の視線を追うことから何を学んでいるかを考えていきます。

目の力

羽に目玉のように見える模様がついている蝶がたくさんいます。この模様は、「眼状紋」と言いますが、どうしてこのような模様がついているのかという理由が、現在二つ考えられています。その一つは、蝶の天敵を脅かそうというものです。蝶の天敵はいろいろといますが、天敵の中では特に鳥がその代表格です。研究によると、鳥類は、眼状紋に対して極度の恐怖感を持つことが実験で証明されているそうです。目玉の中でも、逆に鳥の天敵であるフクロウやヘビなどのように、丸くて大きな目玉模様に強い恐怖を持つようです。このような模様を持つ蝶で有名なのは、そのまま名前に目玉が付いている東南アジアに生息する「メダマチョウ」の仲間と、鳥の天敵であるフクロウの目玉のような模様を持っている、南米に生息する「フクロウチョウ」の仲間です。また、日本でも多く生息している「ジャノメチョウ」は、漢字では「蛇目蝶」と書くように蛇の目玉のような模様が羽についています。

このように鳥は目玉に対して恐怖感を持っていることを利用して、畑や田んぼにカラスやスズメ、他の鳥を追い払うため、また、ベランダなどからハトを追い出すための「目玉風船」や「目玉フラッグ」などが売られていますし、CDに、黄色と黒の目玉のような輪をデザインしたシールを貼ってつるしたり、マジックで、黒と黄色の円を書き込んだりしたものをつるしています。

もうひとつ考えられているのは、動物が獲物を襲うときは必ず頭のほうを狙います。その頭を見つけるのに、目玉を目印にします。そこで、鳥は、小さな目玉模様を見ると蝶の頭だと思って嘴で突付いてきます。しかし、そこは羽ですので、突付かれている間に逃げ出そうという作戦です。

この様に、目の「視線」には不思議な力があります。群衆の中で自分を見つめている視線を感じる現象は、「視覚探索課題」という実験でわかっているそうです。この実験では、自分を見ている標的を素早く見つけるできるのは、「社会脳の発達」を書いた千住さんが実験した結果、すでに小学校中学年から中学生くらいの年齢からだったそうです。さらに、自分に向けられた視線は、顔の処理や注意をはじめ、さまざまな社会的認知に影響を与えることが知られており、たとえば、こちらを見ている顔は、そうでない顔よりも記憶に残りやすいという知見は、成人、幼児、さらには生後五カ月の乳児でも報告されているそうです。

また、この本の中にも書かれてありますが、私はテレビでこんな実験を見たことがあります。それは、共同購入したお茶やコーヒーが、その前に箱にお金を入れていつでの飲めるようにして置くときに、その前に人がこちらを見つめているような写真を貼っておくほうが多くの人がお金を入れたそうです。誰かに見られているという視線を感じるのでしょう。

このように、「ヒトの脳は、自分に向けられた視線を素早く検出し、それによって社会的な情報処理や社会的行動を調整する、という働きを持っている」ようです。そして、このような研究は、アイ・コンタクトへの反応が、生後1年以内の乳児においても見られる可能性を示していると言われています。そのような脳機能は、社会的な場面で、相手からの注意に応じて素早く社会的な反応を繰り返すのに役立ちますし、アイ・コンタクトを使った社会的コミュニケーションの基盤ともなっていると考えられています。

このような目の働きを見ても、ヒトは集団での生き物であることを感じます。

サルまね

 赤ちゃんは、じっと人のやることを見ています。そして、それを「まねる」事があります。先日のブログで、「まねる」ことの重要性を書きましたが、この「まねる」という行為は、そう単純ではないようです。日本人のことを「サルまね」の国民であるということがかつて言われたことがあります。それは、創造性の欠如に対して言うのですが、「まねる」ことをもう少し考えてみます。

 こんな実験があります。赤ちゃんの前で、大人が手で目の前にあるボタンを押して見せます。それを見た赤ちゃんは、「まね」をして手でボタンを押します。次に、そのボタンを頭で押して見せます。すると赤ちゃんは、とっさにすごい行動をします。もし、大人が両手に何かものを持っていて、頭で押したのを見ると、赤ちゃんは、この大人は、頭でボタンをしたのは、ボタンを押すことが目的であり、それを達成するための合理的な行動をとって頭でボタンを押したと判断して、自分はボタンを押すという目的を達成するための最も合理的な方法である手でボタンを押すということをします。しかし、頭でボタンを押した大人が両手に何を持っていないのを見たときに、赤ちゃんは、この大人はボタンを頭で押すという目的を達成するために頭で押したので、自分もそれを「まね」て頭で押すそうです。それは、相手の行為そのものを「まね」ているのではなく、目的を達成するということを「まね」ていると思われます。

 もうひとつ、「まねる」ということでおもしろいことがあります。それは、「サルまね」とよく言いますが、実は猿は「まねる」ことが苦手のようです。1990年代に「ミラーニューロン」が見つかったのですが、その後、他者の行為を観察しているときと同じ行為を自分もしているときに反応する脳領域(ミラーシステム)の存在が報告されています。このミラーシステムが、他者の行為をまねする能力に関係があるのではないかと考えられています。

ミラーニューロンは、サルも持っていることがわかっていますが、サルは「まね」はしないそうです。どうして「まなる」ことをしないかということは、今だ謎だそうです。それを、明和准教授は、「サルで確認されているミラーニューロンは、つまむ、握る、つつくなど、物の操作に関連する動作がほとんど。サルのミラーニューロンは、まねることよりも、行為の目的を予測するために使われているのではないか」と考えています。チンパンジーは、どうして、「まねる」ことが苦手なのかということを、他者の行為を見るときの「目の付け所」について調べてみたそうです。すると、実際に見ている部分がヒトとチンパンジーとは違うことがわかったそうです。しかし、2004年に、明和准教授は、チンパンジーでも新生児期には他者の表情のいくつかをまねできることを発見しました。このことから、「模倣は、言語をはじめとするヒトの高度な知性の基盤などと一元的に捉えるのは尚早」としたうえで、「世界の見方や捉え方が発達していく道筋は、種によって異なるはず。それぞれの種が、どのような能力を持って誕生し、成長とともにどのような能力が新たに獲得され、どのような能力が消えていくのか。そうした動的な見方で、ヒトの心の発達的特徴を明らかにすることが重要。」と言っています。

単純に、赤ちゃんは未熟で、次第に成熟した大人になっていくという考え方においても、修正が必要なようです。特に、「社会脳」とか「心の理論」と呼ばれている分野では、赤ちゃんのころはなくて、次第にそのような力がついてくるという考え方は、見直され始めています。

自分への視線

 よくサルは「黒目がち」であると言われますが、実は霊長類は一般的に白目の部分に色がついていて、黒目とのコントラストが弱いので、目がどの方向を向いているのかを見分けるのが難しいのです。それに対してヒトは、白目には色がついていないので、コントラストが強く、目がどこを向いているのかが相手にわかりやすい構造になっているのです。

 『社会脳の発達』(千住淳著)の中に、「視線を理解する」という章があります。そこには、そのほかにも、ヒトの目には二つの特徴があると書かれてあります。「白目の露出が大きい」「瞼の内側の部分が横長である」ということだそうです。これらの特徴は、それぞれの体の大型化と生活環境への適応として進化してきたのではないかと考えられているようです。

 白目の露出が大きいということは、体が大型化してくると、頭全体を動かしてあたりを見回すことによるエネルギーの消費が大きいため、目だけを動かして広い範囲を見ることができる方向に進化してきた結果ではないかと思われています。また、木の上に住んでいる霊長類は丸い目をしていますが、地上に住む霊長類は横長の目をしています。それは、その方が、縦方向よりも横方向に視線を動かしやすいからだと思われています。ですから、ヒトは、水平方向に広く見渡す必要があるために、瞼の内側の部分が横長になる進化をしてきたのです。

 では、視線を向けられた時、脳はどのようにそれを処理しているかという研究が最近進んでいるようです。まず、処理する前に、相手の視線が自分に向けられているかどうか相手の目を見る必要があります。ヒトの顔、特に目に注意を向ける行動は、生まれてすぐの赤ちゃん、新生児においてすでに見られることがわかっています。さまざまな研究の結果、ヒトの目を見つけ、そこに自分の視線を向ける、という行動が、生まれつきか、少なくとも生後数時間から数日のうちに表われるものである可能性があることがわかっています。

 しかし、他の発達と同じようなことが見られます。それは、このような行為は、生後二カ月以降に、視野の中心における視力が発達してくるにつれて、視野周辺に表われたヒトの顔や目を好んで追いかけるような行動はだんだん見られなくなります。その代わりに、今度は視野中央に現れたヒトの目に注目するという行動がみられるようになるのです。たとえば、生後六週間以降の乳児が、自分に話しかけているお母さんの顔の中で、特に目に注目することがわかっています。そして、この相手の目に注目する行動は、成人になっても強く見られます。

 千住さんは「自分に向けられた視線」の中でこう書いてあります。「他者の視線の方向は、相手の心の状態について重要な手掛かりとなります。特に、自分に向けられた視線は、相手が自分興味を示していることを意味しており、社会的にはとても重要なシグナルであるといえます。多くの動物種において、自分に向けられた視線は、捕食者などの“脅威”が迫っていることを意味します。それらの種では、自分に向けられた視線を検出することにより、逃げたり、動きを止めたりなど、捕食者を避けるための回避反応を行います。」

 大人は、自分に視線をいつも向けられると、自分に気があるのかと思ってしまいます。しかし、実は、顔に何かがついていたり、服にゴミがついているのが気になるということもあるのですが、つい、自分に興味があるのだと思ってしまいます。また、赤ちゃんが遊んでいるときに、その赤ちゃんをじっと見ていると、こちらの視線を感じ、急に泣き出したり、信頼している先生の処に手を出したりして救いを求めます。なにも、私は、赤ちゃんを捕食しようとしているわけでもないのですが。

視線から、かなり微妙な心を読み取るようです。

住環境

「ホリスティック」についてのブログで、ギリシャ語で「全体性」を意味する言葉の「ホロス(holos)」から、「health(健康)」という言葉が派生していることを書きましたが、「健康」ということは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいうのです。

ということで、昨日の「健康住宅の日」というのは、住宅が精神的にも、社会的にも満たされる意味を持つことですが、実は、建設業界では、こんないきさつがあります。住宅に「健康」という概念を取り入れたのは、1966年に時の上田博三課長補佐(前・厚生労働省健康局長)が発表した「厚生省公害審議会中間答申」のなかで謳われたのが最初と言われています。答申の要旨は、「健康な居住水準の設定について」として、「良好な居住水準を確保するために、住宅の規模、構造、設備などについて基準を定め、住宅がこの基準を下回らないように指導し、助成することが必要」と解説されています。 ここには、「規模」「構造」「設備」が条件として挙げられています。

 それに付け加えられて、「健康的な居住水準の具備すべき条件」には、「日照」「採光」「通風」「温湿度」「騒音」「室内換気」などの衛生学的必要条件も配慮するように書かれてあります。ここには、建物を収容するハードとして見るだけでなく、そこでの生活というソフトも考えていることはとても重要です。
それに続いて、不特定多数の人が使用または利用する建築物を対象とした「建築物における衛生的環境の確保に関する法律」が昭和45年に制定されました。この法律は、「建築物が原因となるシックビル症候群などの疾病の発生率が先進国のなかでも極めて少ない成績を収めていることは広く知られているところ」と「厚生省のすすめる健康住宅」にもあるように評価の高い観点が盛り込まれています。

住宅には、建物における問題がありますが、それが住む人の健康に関係してくることが多いのです。採光や風の流れ、温湿度、騒音、室内換気などは直接的に人の健康に影響してくることはわかるのですが、それ自体から、影響が広がり、人間の体に影響をしてきます。たとえば、住まいの小屋裏・床下・内壁におきる結露は、「建物の病気」といわれますが、結露からカビが生じ、カビをえさに繁殖するダニが拡大します。それは、「室内発生するダニは健康上有害であり、とくにゼンソク、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎に関係する」ともいわれています。すなわち、結露・カビが建物の病気を引き起こすならば、カビ・ダニは人への病気の原因となるということで、健康度ポイントが挙げられています。それは、「結露・カビ、ダニ、床下環境、過乾燥、省エネ(断熱気密)、換気、音環境、高齢者対応」です。

また、最近、少子高齢社会へ向けてと、今回の東北大震災を教訓に新たな観点から、住まいの健康度を見直されています。新たなポイントは、「耐震精密診断」と「ユニバーサルデザインハウス」の2つです。ユニバーサルデザインハウスは、高齢者対応をより前進させ、幼児から高齢者、障害者にまで広く誰にでも優しい住まいのチェック項目を作成したりして、のちのちリフォームなどに煩わされず、長く住み続けられるようにはじめから意図した家づくりをしていこうとしています。

保育室においても、かつて調査をしたことがあるのですが、通風、換気、騒音など住宅としては悪い環境だとチェックされてしまうような建物が多く見られました。食事の横で布団を敷く時の塵埃調査などはかならひどい環境であったり、1日中、かなりの騒音に匹敵する音環境であったりの園が多く、また、少子社会でのデザインを検討することなく多子社会でのそのままの室内環境であったりと、かなり遅れている気がします。