遠足3

明治になって、教科が軍事教練の様相を帯びてくる中、政府の考えに抵抗するかのように教育現場では、子どものために教育を守ろうとします。それは、教育するもののプライドでもあるのです。明星大学の研究紀要に、加藤一佳さんが、「戦前における小学校遠足の形成過程及び事故防止対策に関する考察」を書いていますが、そこに書かれてある「長途遠足心得」には、「文部省が強力に推進していた兵式体操の教育に対して、高嶺校長等が、このような形で東京師範学校教育の独自性を貫こうとしていた」ことが読み取れるとしています。この「遠足心得」は、明治19 年 2 月 15 日に行われた東京師範学校の「長途遠足」が行われる際に定められたものです。

この内容は、はじめには指揮するもの、引率するものなどの心得が書かれているのですが、それに続いて「長途遠足」の主旨について説明しています。「路上到ル所ニ便宜ヲ求メテ諸学科ヲ実地ニ研究セシメントスルニアリ故ニ兵式体操ノ教師ハ勿論物理学動物学植物学地理歴史経済図画等諸学科ノ教師ヲシテ同行セシム師範生徒ハ克ク此意ヲ体シテ校員ノ指揮ニ従ヒ勤勉以テ其本分ヲ尽サザルヘカラズ」とあり、行く先々の路上至る処で、学科を実地に調査研究することであるので、凡その学科の教員を同行させているので、教員の指導に従い学問に精励して生徒の本分を尽くしなさいと述べています。

そして、「到ル所ノ地方ノ人民ニ接スルニハ温良静粛直実ヲ旨トシ其経過スル所ノ人民ヲシテ人ノ師表タラントスル師範生徒ハ其従順ナル事其ノ友愛ナル事其威儀アル事実ニ斯ノ如クナリヤト云テ諸子ヲ愛敬スルノ感情ヲ発起セシメン事ヲ希望ス故ニ諸子ハ各其起居進退応対ノ間ニ於テ恒ニ注意ヲ加ヘ決シテ軽薄粗暴ノ振舞ヲナスヘカラス」とあります。ここには、師範生徒は「人の師表」であることを目指すのであるから、行く先々の人々に温良、静粛、実直に接し、「従順」・「友愛」・「威儀」を体すれば、流石は師範の生徒であると敬愛されるようになることを願うので、立ち居振る舞いに軽薄粗暴のないように注意しなさいと書かれてあります。ここには、行軍演習については特に説明はありません。教育者の良心を感じます。

しかし、この主旨説明には、「高嶺(このときの校長)なりに、森(森有礼、当時の文相)の三気質(順良、信愛、威重)との関連が説かれているが、森文相との論調の相違が感じられる」ということで、高嶺は更迭されてしまいます。それは、明治19 年に、森文相によって兵式体操が導入されたのですが、高嶺校長は、教育現場に課された軍隊式行軍演習に、学術調査を付加させて、教育的な行軍としての「遠足」に変容させたのです。しかし、行軍演習に期待していた森文相は、高嶺校長が「学術」的である限り、兵式体操を
中核とした「三気質」養成には限界があると認識したのでした。

 この考え方は、当時、幼稚園の場合も準ずるとされています。ほかの行事においても、次第に自然的習俗的な行事から訓育的学校行事へ移行して行きます。明治40 年代には、遠足は、既に多くの学校の行事で実施されていましたが、その原理が大正6 年発行の「小学校における校外教授と遠足」にまとめられています。「第一 訓練的であること。遠足の主目的は身体の鍛錬そのものである。」「第二 質素であること。粗衣粗食は鍛錬をも意味する。」「第三 訓育的であること。(一)規律ある歩行を行わせること。(二)隊伍的通行に慣れさせること。(三)卑俗な歌謡や冷笑冷評をしないこと。(四)建築及び植物を荒らさぬこと。」

ここには、遠足が校外学習としての位置づけではなく、身体の鍛錬であり、忍耐の鍛錬であり、訓育的であることを原理としています。今でも、運動を根性論として忍耐力を養うとか、肉体の限界までさせることで鍛錬の要素を入れたり、恐怖を与え、それを乗り越えることを訓練しようとしたりすることが、子どものための教育であると思っている人がいます。

今日の太陽

今日は、1日中金環日食の話題で持ちきりです。
私の朝早く園に来て、数人の職員さんたちとベランダでコーヒーを飲みながら観察しました。とりあえず、その写真をアップします。東京の私の園から見た日食です。

欠けていく様子はフィルターを通しての撮影でしたが、金環日食の時には曇っていたおかげで、肉眼で見ることができました。