憲という字

 今日は、「憲法記念日」です。憲法という字ですが、「憲」という字だけでも「国の組織や政治のしくみの根本の原則を定めた掟」という意味があるそうですが、国の「おきて」とか、「きまり」とはどういうものなのでしょうか。この「憲」という字を見るとわかりますが、この字の下のほうには、「目」と「心」があります。上のほうは、「うかんむり」に「圭」がついたものですが、うかんむりは、かぶせるものを表しています。

「圭」という漢字は名前によく使われますが、もともとは古代中国の玉器の一つで、天子が諸侯や使者のしるしとして与えた物のようです。ということで、名前に使う場合は、特別な人に与えられた、認められた人という意味で使われるようです。しかし、古代中国では、それを与えることで、天子が諸侯を封じた際にしるしとして与えともいわれています。

 どうも、「国の掟」とは、何かを封じるために「上にかぶせる」とか「勝手な動きをおさえる」という意味のようです。では、なにを封じたかというと、「目」と「心」で、物事を見づらくしたり、感じにくくしたりすることで、勝手な言動や逸脱した考えを抑えながら作っていくもののようです。または、「目」と「心」で、「人の心を見る」という意味ととると、「国の掟」とは、人の心を見えにくくするものという意味になります。ですから、「憲兵」というような使い方をするのでしょう。

しかし、ここでホリスティックな考え方が必要になります。なぜなら、憲法には、「国民代表機関たる国会が作った法律をおさえこむルール」というもともとの考えかたから、「多数派が制定した法律による人権侵害から、少数派を守る」という一見矛盾する考え方を持たないといけないのです。わたしたちは、少数者の意見にも耳を傾け、尊重します。そして、国家レベルでの中央集権による支配的な関係よりも、お互いの協力的な関係、受け身ではなく自分から新しいものを創造していくことが求められます。上から与えられるものに頼るのではなく、自分からつくりあげていくことが大切なのです。そして、自分に何ができるかを考え、つながりのなかで行動し、共に学び合おうことが必要になります。このような共に新しいものを生み出そうとする共同創造のかかわりは、喜びを生み出し、自分が変わることによってみんなが変わるという体験にもなっていきます。これがホリスティックです。そして、この行動を保障するのが「憲法」であるべきなのです。

この考え方は、子ども社会おける「ルール」という考え方と同じです。「何をしてはいけない!」というのがルールではなく、「自分がやりたいことをすることができる」ためにルールがあるという考え方です。ドイツの保育カリキュラム「バイエルン」の中で、異年齢保育の目的として「年齢の違う子どもに対して自分の言い分を主張する力」とか、「違いについて興味をもつ」とか、「異年齢の子どもとの葛藤の中で自分の立場を守ることができること」とか、「異なる要望や行動様式をお互いに調整しなければならないという基本姿勢を学ぶ」とか、「異年齢の子どもの欲求や興味を知り、共感することができる」というようなことがあげられています。

 ホリスティックについては、どうも異年齢保育のほうが、学びが大きいようです。ですから、ドイツでの保育は、基本的に異年齢保育なのでしょう。「違いを違いと認め、多用性を承認すると共に、相互の開かれたコミュニケーションを通して、違いの奥にある共通なものを見つけよう」とする保育が、今後求められていくでしょう。