かつて、家畜は、祝宴の際のご馳走のためにだけ使われていました。決して、日常の食べ物ではありませんでした。結婚するとか、特に、姻戚関係を結ぶためには、ブタや水牛が提供されていました。ここは、議論があるところだと思いますが、サイモン・フレーザー大学の民族考古学のブライアン・ヘイデン博士は、「従来の考え方では、家畜化は食物がもっと必要だったので、人々は動物を育てたというものでしたが、私は、そう思いません。東南アジアのどの村を見ても、家畜の生産を促す要因は、食物のニーズではないのです。それは社会的・政治的なニーズであるといえます。」と話しています。

 ブタは、社会的・政治的ニーズによって使われたということで、婚姻などの儀式、お祭りなどに振舞われたり、儀式などで生贄として提供されていました。

昔は、一家の主、跡継ぎを決めるに儀式を行っていました。そして、正統な跡継ぎを決める儀式にはブタを生贄に捧げる風習がありました。生贄とされるブタは、まず外で毛を焼かれます。それは、神聖な儀式において毛は邪魔なものとされていたためです。毛を失ったブタは四本の足を縛られ、家の中央に設けられた儀式の祭壇へと運ばれます。更に暴れないように参加者が棍棒などでブタを叩き気絶させ、ブタが脱糞した際の臭いを抑えるために多量のお香が焚かれました。そして、最後に主が祝詞を読み上げ跡継ぎの儀式は終了するのですが、その後、ブタは再び外に運び出され、今度は死ぬまで棍棒で叩かれます。そして、火で焼かれ、参加者へその肉が配られるのです。

この儀式は、その家の跡継ぎを決めるために行われたのですが、ある意味では、集団における結束を誓い合ったものでもあったのです。その誓い合った儀式である「豚を生贄にし家の中に祀ったこと」ということで、「ウ冠(うかんむり)」に「豚」から成ることから、この儀式自体を現す漢字として「家」という字になリました。
パプアニューギニアでは、現在でもブタを生贄とし、そこに集まった人々に配られます。NHK取材班が実際にその儀式に参加したときの様子を、こう語っています。「村の中心の広場には、200人から300人の人が集まっていました。長老格の男性たちが、その広場の中心で、出来上がったブタと野菜を細かく分け、家族ごとに分配していく。招待した村の名前を大声で叫ぶと、代表者が“ありがとう”とお礼を述べて受け取っていく。」

この姿は、老若男女がいかにも嬉しそうに、配られたブタを食していきます。ご馳走を食べながら仲間意識を高めることは、とても重要なことだと部落の人が言っているそうです。もともと、パプアニューギニアの人々は、好戦的で、閉鎖的と思われていますが、ブタを食べているときには、部族を超えた融和の光景が見られたと言っています。

東南アジアの祝宴に欠かせないアイテムといえば、第1に肉、第2に米、第3にビールや酒といったアルコールであると言われています。この説が有力になったのは、ギョベックリ・テペ遺跡の発見だと言われています。そして、以前の歴史の教科書では、狩猟採集から農耕へと移るにしたがって定住化が起きたとされていたのが、いまは、順番が逆転しています。定住化は、狩猟採集を行いながらも可能だったのです。そして、定住することから、農耕へと移行していきます。しかし、なぜ農業が始まったという説には、まだ決め手がないようです。有力なのが、ギョベックリ・テペで行われた融和の情報交換の場で使う食材が栽培化を経て、人々の主食へと発展していったとする考え方です。そして、その場で行われた儀式が宗教的なものへと変わっていったようです。

それにしても、農耕が人々の暮らしを変えていきます。それに対して、人類は、どのように生存戦略をとっていくのでしょうか。