情報センター

 人間を考える上で、面白い遺跡が発見されました。そこは、ギョベクリ・テぺ(G〓bekli Tepe)遺跡です。一昨年、ニューズウィークの記事では、この遺跡研究が通説を否定するという記事を掲載しています。それは、大体こん内容でした。「この理論は人間起源の通説の年表を逆転させる。通説では、原始人は1万年から1万2千年前の新石器時代革命を経由したとされる。この古い通説では、羊飼いや農民が最初に出現し、それから陶工や村落民、都市、専業労働、王、文字、技芸、そしてその延長をひとっ飛びして、組織宗教に至るとされる。ジャンジャック・ルソーを回顧するまでもなく、知識人は社会的集約都市が最初に形成されて、その後、巨大寺院を伴う高度な宗教ができるとした。米国の高校などでもこうした考え方がいまだに教えられている。」どうも、アメリカの高校では、宗教がどのような経緯で生まれてくるかに関心があるようですが、日本では、農耕の起源に関心があります。

 農耕の起源についてもギョベクリ・テぺ遺跡は、いままでの通説を覆しています。狩猟採集民による氷河期最後の時代に続いて形成されているこの遺跡こそが、人類が農耕や都市生活、そしてその後の発展に至る最初の曙光となったと考えられています。さらに、小麦の栽培や動物の家畜化が始まったのもこの地域であると見なされつつあるようです。

 この遺跡のことが、NHK「ヒューマン」で取り上げられていました。そこでは、この遺跡の不思議を先ず描いていました。この遺跡から農耕の始まりを見るとしたら日本で言う吉野ヶ里遺跡のような田んぼや畑の遺構などが見つかると思うと、なんとこの遺跡は奇妙なものが並んでいます。その遺跡は数メートルの深さで掘り進められており、何十本もの石柱が林立しています。そして、規模がとてつもなく大きく、調査に50年以上かかるそうで、まだそのなかで17年目だそうです。この大きさは、およそ1万年前のものとしては大きいということのようです。その発掘で、サークル状の構造物であるエンクロージャーというものが見つかったそうです。それは、直径15メートルの円形か楕円のもので現在まで4つ見つかっています。しかし、レーダーで見ると、全部で20近くあるらしいことがわかっています。不思議なことに、ここは町の跡というわけでなく、人が生活していたような痕跡がないそうです。また、家畜種というものはまったく存在していませんし、数少ない植物の痕跡からも農耕が行われていた証拠は見つかっていないといいます。それでありながら、どうしてこの地域で栽培や動物の家畜化が始まったというのでしょうか。では、この遺跡は何のための場所だったのでしょうか。

 いろいろと発掘、研究した結果、発掘を指導するクラウス・シュミット博士は、この場に人々が定住するために集まったのではないとしたら、いくつかの理由があった可能性があると説明しています。「ギョベクリ・テぺは集落でなく、神聖な場所です。人々はここに来ますが、自分の村に帰っていきました。ギョベクリ・テぺは交換の基盤であり、イノベーションの基盤でもありました。」イノベーションとは、新しいアイデアや手法を指す言葉と説明しています。ある集団にイノベーションがあれば、このギョベクリ・テぺに集まることで、ほかの集団もすぐ知ることが出来る。それが非常に有益なイノベーションなら、急速に広まることになるのだと言うのです。「ですから、ギョベクリ・テぺはこれらの人々の情報センターのようでした。物々交換やアイデアの交換、嫁探しなどが理由で集まった可能性もあるでしょう。」

 私たちの祖先は、自分たちの中で認識できる範囲での集団を形成して生活してはいても、その集団規模だけでは情報が偏ってしまい、生き残っていくための情報が少ないのです。そこで、他の集団をの情報を交換する場を持っていたということになります。この頃から情報センターを持っていたというのは、ほかにはどのような意味があり、それは、どのような結果を生むのでしょうか。