進化と発達

 私は、基本的にはほぼ毎日乳児を見る機会があります。しかも、その乳児の発達を連続して見ることができます。しかし、私は大学では建築学を学びましたので、乳幼児についての文献などほとんど読んでおらず、保育園に勤めるようになってからも保育所保育指針などはほとんど読んでいない状態でした。書物や、講義から乳幼児を知るより先に、子どもと出会っているのです。ただ、保育園に勤める直前には、小学校の低学年の担任をしていたこともあり、子どもについて少しは触れてはいたのですが、そのときに読んだ専門書は、授業論とか少しだけで、子どもというものを知ったのは、ほとんど子どもが主人公である小説や映画でした。どちらにしても、まず、実際の子どもの姿に触れたのです。

 子どもを知ることから、次第に保育に関係する書籍も読むようになったのはずいぶんと経ったあとです。最初は、実際の保育から、納得のいく内容が多く、その整理の仕方から、そのように系統だっているのだと感心したものです。しかし、次第に、目の前の実際の子どもとの姿にギャップを感じるようになってきました。それでも、平均的な子どもはそのような発達を遂げるものだと納得はしていたのですが、その個人差の大きさに疑問を持ったのです。

 数年前から、乳児を見るにつけ、ますますそのギャップを感じることが多くなってきました。そんな時、赤ちゃん学会の研究や、その理事長である小西先生の書籍には納得いくものが多くありました。その次に、京都大学霊長研究所におけるチンパンジーの研究から人類を考察する提案には、目の前の赤ちゃんの姿に見られることが多くありました。それ以上に、目の前の赤ちゃんの姿から、人類のあるべき姿、これからの保育、教育のあり方をがんがえる切り口として、人類の最近の研究による進化の過程から見出すことが多くなりました。その経緯から、私は、保育について、人類史上的考察からすべきではないかと思っています。赤ちゃんの発達は、人類の進化をたどっているところが多くあるからですし、私たちに受け継がれている遺伝子を、赤ちゃんを見ることによって、まだ現代の環境に左右されていない、人類が持って生まれたそのままのものを見ることができるからです。その研究が、実際の子どもの姿から、納得のいくことが多く、また、これからの保育のあり方、私たちが持続的社会を目指していく方向を知ることが出来る気がするのです。

 地球の歴史の中で、さまざまな生物が誕生しました。それらの一部はその後も進化を遂げ、今に遺伝子をつないできています。また、進化の過程で、すべて滅びてしまっているものを多くあります。その始まりはほとんど一つだったものが、途中でいくつもに枝分かれをし、さまざまな種となっていきます。現在では、子どもでもサルが人間の先祖であると思っている子は少なくなりましたが、私の子どものころは、まだまだ「人間はサルから進化した」と思っている人は多くいましが、正確にはサルと人間は同じ先祖を持っていて、あるところで枝分かれをし、それぞれがそれぞれの進化を遂げてきて今に至っているということが定説です。ですから、人間よりもサルが劣っているということはありません。

また、最近の説では、現在の私たちホモ・サピエンス種は、ジャワ原人とか、クロマニオン人とか、ネアンデルタール人から進化したのではなく、同じ先祖を持ち、あるところで枝分かれをし、それぞれがそれぞれの進化を遂げていった結果、他のヒト属は基本的に滅びてしまい、私たちの直接の先祖であるホモ・サピエンスだけが今に遺伝子をつないでいるのです。

そこから私が気がついたことがいくつかあります。ひとつは、性善説か性悪説かというような論議がされてきた、人は生まれつき、どのような性を持っているのかということ、その中の何を残し、後世につないでいく責任があるのかということ、そして、人間はどのような発達を遂げていくのかということなどが、なんとなくわかってきたように感じます。