集会施設

 ギョベクリ・テぺ遺跡が集会施設として使われたとしたら、かなりの範囲から人が集まることで発生するさまざまなメリットがあるはずです。足りないものを補い合う、よいものを手に入れる、というような具体的なメリットのほかに、まだ推測に過ぎないと言いながらシュミット博士はこう話しています。「先土器新石器時代の人々は武器を持っていました。それは、動物を殺すためですが、人間も殺したでしょう。すでに階級社会だったので、対立があったことも想像できます。ギョベクリ・テぺ以外の新石器時代の遺跡で、大量殺人があったことを観察しています。それゆえ、ギョベクリ・テぺが問題解決を担っていたという可能性は考えることが出来ます。」つまり、このギョベクリ・テぺは、人々の融和のための場所であった可能性が大きいのだといいます。

 この施設が、この戦いの多かった時代に融和のための施設であったことの実証は難しいようですが、そう考える根拠があります。それは、ここで人類史上最も重要なイノベーションを生み出した可能性があるからであり、そのイノベーションが融和へとつながった可能性が高いと考えられています。それは、ここからわずか60キロの場所にカラジャダー山という場所があり、そこは私たちにもっとも身近な植物の一つである「コムギ」が自生していた原生地なのです。そして、「この地からは、きわめて初期の農耕遺跡も見つかっています。当時、この地域で最も重要なイノベーションといえば、植物の栽培かと動物の家畜化なのです。」と博士は話しています。

 ここで、人間としての営みとしての「植物の栽培」と「動物の家畜化」について考えて見ます。この地域で自生していた野生種のコムギから実を採ることは採集であり、栽培ではありません。自生種から人工的に選択し、それに改良を重ねて、収穫量を多くするとか、栽培をしやすくするとか、倒れにくくしやすくしていくことが栽培化です。動物の家畜化も同様で、そこに生息する動物を馴らせ、手なずけることではありません。人の役に立つように、その動物の価値を意識的に高めていくことにあります。

 このような栽培化や家畜化は少しずつ行われていくのですが、カラジャダー山で当時採取できた小麦の量では、当然当時の人々のお腹を満たすための穀物ではなかったのではないかと推測しています。では、コムギは、何に使ったのかということについての、ノルウェー生命科学大学教授のマンフレッド・ホイン博士の推測は、私には以外でした。なんと、それは、「ビール」作りに使用され、それをギョベクリ・テぺに集まって、みんなで飲んだのではないかと言うのです。博士は、この施設の建設中にも、そこに集まっていた多くの人々へも、当時の一種のぜいたく品として振舞われていたのがアルコールで、その原料がコムギだったのではないかと考えています。博士は、「ギョベクリ・テぺを建設しなければならないとき、大勢の人手が必要です。助けてもらうためには人々を説得しなければなりません。人々を招かなければなりません。」ということで、振舞うぜいたく品が必要になったというわけです。

 このようなヒラメキは、シュミット博士とホイン博士の二人とも、ビールの国ドイツ出身だからということもあるかもしれませんが、それを裏付けるような、たとえば大きな瓶などが遺跡から出土しているそうです。

 この辺の考察は、私にとってはなんだかワクワクします。当時の人々の行動が目に映るようです。人類が、出産のときから他人の介助が必要なように、人が集まる施設の建設には、他部族の人々との協力が必要だったのですね。ビールを囲んでの融和は、戦いの歴史よりも心が躍ります。

集会施設” への6件のコメント

  1. 長い歴史の中では争いの歴史も当然ありましたが、それと同時に協力の歴史もちゃんとあって、それらを繰り返しながらやってきたんですよね。特にその協力を通して社会はずいぶん進化してきたんだろうと思います。社会だけでなく人も同じなんでしょうね。このギョベクリ・テぺ遺跡の話を聞いたとき、ほんとにビールを?と思いましたが、その可能性がないわけではないですし、そのような推測をする人間のおもしろさも感じてしまいました。遺伝子の中に組み込まれているであろう協力の精神で過去のことに限らず身のまわりのことを眺めてみる姿勢も人には必要なことだと思いますし、何よりも楽しい気持ちになることがその必要性の裏付けになる気がします。

  2. ビールの起源は、紀元前4000年メソポタミア文明のシュメール人によって発明されたのがこれまでの定説でしたが、これも修正の必要があるようです。ギョベクリ・テぺ遺跡が、自然を神と崇めた原初的な宗教施設だとしたら、御供物として選ばれたのが、自生種の小麦と野生の動物の肉(ヤギか水牛?)。ある時、何かの偶然が重なって、小麦が発酵してビールが生まれた!それからというもの、神殿造りの労働のあとに、ビールで盃を重ねて部族連合の連帯を確認していたのかもしれませんね。ビールのつまみは、もちろんローストビーフ。時には、ビールが、御造酒として神に供えられたかもしれません。時空を超えた想像はいよいよ膨らみます。

  3.  当時の集会施設のギョベクリ・テペはとても興味深い施設です。藤森先生が言われるように、集会場所があり、そしてそこで人々が集まり様々な情報を交換し、また時には食事、更にはビールを飲んでいた・・・本当に当時の人々の暮らしが目に映ってきます。しかし、ビールを飲んでいたという推測をした博士がドイツ出身というのは、面白いですね。ドイツと言えばビールですからね(笑)ただそうは言っても、大きな瓶なども発掘されているので、国柄の推測ではなさそうですね。しかし、こういうヒラメキが歴史や宇宙の神秘を明確にさせたりしていくのでしょうね。

  4. ちょっと意味が違うかもしれませんが、私もどちらかというとお酒が好きな方なので、若いころはよく友達の友達といったような知らない人と友達を介してお酒を飲んでいました。そこでよく話していたのがお互いの仕事についてや趣味の話などいろいろな情報交換をした覚えがあります。「人が集まる施設の建設には、他部族の人々との協力が必要だったのですね。ビールを囲んでの融和」私も想像するとなんだかワクワクしてきます。施設の建設のためにいろんな部族が集まるというのはとても大変なことだと思います。それが当時の贅沢品としてビールが振る舞われている姿は、今考えてみると昔別の仕事をしていた時の感じに少し似ていてなんだか親近感が湧いてしましました。

  5. 「コムギ」→「ビール」で集会、このヒラメキに私も同意します。私たちの神々が集う御社で「お神酒」は欠かせません。私たちの祖先は「コメ」から「サケ」を拵え集まりを持ったのだろうと私の中で「ヒラメキ」ました。私が好きなラテン語の諺に「イン ヴィーノ フェリタス」があります。これは「酒飲みの本音」と訳されます。お酒が入ると本音が出る、そしてその本音を聞くのは誰か?私でありあなたであり彼や彼女です。そしてもっともよく聞くのは神です。人が集まるところは同時に神が存在する場なのだろうと思います。「酔う」ことでトランス状態に入り神々と交信することが可能となると考えたのかもしれません。それはともかく、ほどほどのアルコールはノミニケーションに繋がり、現在なお有効です。度を過ぎると「争い」に発展します。協力はやはり中庸を基にしますね。ホドホドです。

  6. 人と集まり、会話をする。こういったことが昔から行われていたというのはわかりましたが、その中にビールというものがあったかもしれないというのは面白いですね。今も昔もお酒というものは人と人との潤滑油になっていたのかもしれません。この時すでに階級社会がもうあったということはビールを振る舞えるのは一つの権威の主張だったということもあるのでしょうか。交易や交渉などは真面目に行い、そのあとコミュニケーションのために会食や打ち上げというものをしているのは、比較的どの国でも行っているように思います。自分自身もいろんな打ち上げで飲むことがあり、何か大仕事の後のお酒の味は普段よりも美味しく感じます。そんな感覚を太古の人も同じようにやっていたのかと思うとなんか、タイムスリップしたようで不思議な感じになりますね。武器を持って物事を解決するより、こういったようなコミュニケーションによって平和に解決することは昔から重要視されていたのでしょうか

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