災害予測

1960年5月23日4時11分、南米・チリ共和国でマグニチュード9.5という世界最大規模の地震が発生しました。この地震により、首都サンティアゴ・デ・チレをはじめ、チリ全土で死者1,743名、負傷者667名の大きな被害をだしました。被害はそれだけではありませんでした。地震発生15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約17時間後にはハワイ諸島を、22.5時間後に日本を襲いました。日本を襲った津波に対して、その5時間以上も前にハワイ・ヒロ市では約10.7mの津波が押し寄せていますので、そのときの情報をきちんと分析していれば日本での被害を最小限に抑えられたかもしれません。

実は、地震直後にハワイ地磁気観測所から日本政府にも地震の情報と同時に津波警報が伝えられましたが、経験不足からか気象庁は津波の強度を過小推定したため、日本の津波警報が発令になったのが津波襲来後となったことが被害を大きくしたものとみられています。江戸時代に資料でも、チリやペルーで津波が発生するたびにハワイや日本にも襲来していますし、逆に日本の太平洋沿岸で大津波が発生すると、米国西海岸、南米に津波が押し寄せていたことが残っています。ですから、1960年のチリ地震でもわかっていたはずです。それなのに、日本の津波警報は、津波襲来2時間後に出されています。

そのために、日本では、死者行方不明142名、負傷者855名、建物被害46,000棟などの被害を出してしまいました。この地震から30周年を記念し、91年にチリから宮城県南三陸町にモアイ像とコンドル像が贈られました。モアイ像は、チリ領である太平洋上に位置する火山島であるイースター島にあるからです。。その像の頭部が、今回の東日本大災害で流されてしまいました。チリのピニェラ大統領夫妻は、昨日、宮城県南三陸町を訪問した際に、高さ10メートル以上のがれきに囲まれたモアイ像を見て、「日本もチリも災害に負けずに勇気と希望を持って前進してきた。友好の証しとして、もっと大きく美しいモアイ像を贈りたい」と話し、「日本がんばれ」と日本語でエールを送りました。

 イースター島は周囲58キロ、面積約164平方キロメートルの絶海の孤島で、人口は約4300人です。イースター島という名は1722年のイースター(復活祭)の日にオランダ人が到達したことに由来するそうです。数千キロ離れたポリネシアの島々からイースター島にたどり着いた人々がモアイ像を造り始めたのは800?900年ごろとされています。しかし、像を運搬するために使う木材のために、島内の木を伐採し尽くして飢饉が発生します。そして、18世紀中ごろに始まった部族間抗争で一時は全てのモアイ像が倒されてしまったのですが、島に残るモアイ約900体のうち約40体が日本人や米国人らによって立て直されています。

 人類は、協力する生き物ですが、戦いも繰り返してきた生き物です。人類の進化の中で、このイースター島で起きた飢饉に似た状況は地球上では何度も起きています。そのときに、当然部族間抗争は起きていたと思います。それは、農耕が始まる前の狩猟採集を行っているときにもおきます。では、私たちの祖先は、どんな環境の悪化に直面したのでしょうか。その環境の悪化は、チリ地震のように事前に予知されません。地震自体は、かなり遠くの場で起きますので、自分たちが揺れることはありません。

私たちの先祖がぶつかった大きな環境の変化は、7万4000年前の頃、インドネシアのスマトラ島で起きたトバ火山の噴火でした。そのときに、私たちの祖先は、まだアフリカに留まっていました。当然、爆発音は聞こえませんし、地響きも感じません。ある日突然、地平線から雲が現れ、空を覆いつくし、どんどん暗くなり、寒くなります。それがどうしてか、どうなるのかも知りえません。ただ、食料は底を突き、動物や植物は次々に死んでいきます。地球上の多くのヒト族といわれている種も死んでいきます。その中で、一握りの幸運で懸命な者が生き残り、その子孫がわたしたちなのです。それは、戦いに勝ち進んでいったからでしょうか。強い体を兼ね備えていたからでしょうか。