人間はコンピューターに負けるか?

 人間とコンピューターとの戦いは、どちらが優れているかではなく、人間という生き物は、どのような特性を持ち、その特性が一見生き延びるためには不利に見えるものでも、実は、非常に重要な能力であることがあるのです。その意味では、コンピューター「「ボンクラーズ」と対局した元名人で日本将棋連盟会長の米長邦雄さんとの戦いは、とても興味津々でした。

 米長邦雄さんは、現役時代、19のタイトルを獲得した永世棋聖で、挑戦するコンピューター「ボンクラーズ」は、3年前に開発され改良を重ね、すでにアマチュアトップクラスは寄せつけず勝率9割5分を誇ります。対局は、ボンクラーズが先手です。ボンクラーズが考えた最初の手は、定跡どおりの一手です。これに対し、米長さんは驚くべき手を指します。最初から玉を動かすというプロ棋士どうしの対局ではありえない手を指しました。あらゆる過去の差し手を読み込んだコンピューターに対して、過去の対戦ではありえない手を打つのです。その後も、米長さんは前例のない指し方を続けます。これは、コンピューターの弱点をつくために練り上げた作戦でした。

 中盤に入ってもその戦略を徹底させていきます。プロどうしの対局でもめったに見られない戦いに持ち込んだのです。その狙いは、コンピューターにはない人間独特の能力で相手を圧倒することです。この人間独特の能力は、強くなることだけを目指すのではなく、相手の強さには、弱さで対抗するとも言える気がします。それは、柔軟性というか、相手によって、直感的に手を考えるという能力かもしれません。米長さんは、「私は自分の
頭の中で 大局観だとか勝負勘とかそういうもので形勢判断するんですけど狙い通り」と振り返っています。複雑な局面の中で、あらゆる指し手を読むのではなく最善と思われる手を直感的に素早く選び出す能力です。昭和の大名人、大山康晴は一手だけ読めばよいと語ったといいます。

 次の一手を選ぶとき、一流の棋士は無数に存在する局面をすべて調べようとするのではなく、僅か数パターンの道筋を瞬時に見つけ出す能力があることが分かっています。このような人間の能力に対して、コンピューターは勝てませんでした。

 このような人間独特の指し方に、ボンクラーズは奇妙な動きを見せ始めました。攻撃の要である飛車を右や左に動かすだけで、攻めあぐねます。しかし、その動きは、不利な局面でも、じっとチャンスを待つという、人間の知性に近づこうとするコンピューターの技術革新がありました。もう一つ棋士に近づくための工夫が凝らされています。最もよさそうな局面を見つけるとそれよりも点数が低い局面の先を調べるのをやめます。そして、そのよさそうな局面を読み進むことに集中します。その結果、プロ棋士が行う取捨選択に近い作業を可能にしました。

 このようなコンピューターの動きに対して、もう一つの人間独特の行為が現れます。そのときのことを米長さんはこう振り返ります。「(ボンクラーズは)私が間違うのをジーッと手待ちしているわけですよね そういう点では(『昭和の大名人』と言われた)大山康晴と指したという感じ」

人間特有のミスを犯したとき、それをうまく突いて、一気にせめていったのです。そして、ついにコンピューターが将棋において、人間に勝ったのです。もちろん、勝利の背景には過去の名棋士の指し手を徹底的に学ぶ機械学習という技術革新がありました。「人間の知性」を手に入れ始めたコンピューターが、将来、私たちの暮らしを変える可能性があります。

しかし、逆にミスをすることはコンピューターには出来ないことかもしれません。根本的に人間とコンピューターは違います。声を使って操作ができ、人に話しかけるのと同じように話しかけることが出来るアイフォン4sに人気が集まっています。その応答は、心から共感しているのでしょうか。

人間はコンピューターに負けるか?” への6件のコメント

  1. 当日の番組、私も観ましたが、『柔よく剛を制す』。この言葉通りの戦略で、米長さんは、難敵ボンクラーズに挑戦して、最後の最後で苦杯を喫してしまいました。勝気にはやる小次郎を焦らす作戦で、巌流島の決闘を制した宮本武蔵さながらの戦いぶりでした。

    『勝負に負けて試合に勝った。』?コンピューターはまだまだ人間を超えることはできません。計算力に優れたコンピューターは絶対ミスをしない。次に人間がつけ込む隙はここにあるかも?著書『大局観』のなかで羽生名人は、コンピューターとの対局に意欲を示しています。その機会が訪れることが楽しみです。

    また、不可能とはわかっていますが、あの世の坂田三吉名人とボンクラーズを対戦させてみたい。ボンクラーズを負かすのは、浪速の風雲児坂田名人しかいいない。相手がコンピューターであることを意識しないで戦う方がかえって有利だと思うからです。

  2. 最近、数学の話を聞いたのですが、例えば1という数字は1.00000000…と限りなくゼロが続く数字で生きているうちにそれを正確に表すことはできない、でもそれを私たちは1と表すことでその数字を扱えるようになったという話です。この1を扱う場合、コンピューターはおそらく1.00000000…として扱えるんでしょうね。この将棋の話とはもちろん違うわけですが、その扱い方にしても人間とコンピューターではずいぶん違っているんだと思います。そんな風に多少曖昧なままものごとを処理できるというのは人間の特徴でもあるような気がします。で、それをコンピューターが真似るとしても、人間のそれとは本質的に違っていると思います。この対局ではコンピューターが勝ったようですが、コンピューターの凄さよりも人間の不思議さの方をより感じてしまいます。

  3.  プロ棋士とコンピューターの勝負は、コンピューターが勝利したのですね。将棋では勝てないと言われていたコンピューターが勝利したことは、より人間のように考えることが可能になったことになります。何かの映画で人工知能を手に入れたコンピューターが出てきました。その映画の中では人々の生活はもちろん、全てを管理され、最終的には人間を征服しようとし、戦争が起きます。そんな話しは映画の中だけと思っていましたが、このまま機械技術が革新していくと、どこまでコンピューターが進化していくのか楽しみと言えば楽しみですが、不安もあります。全て完璧にこなしてしまうコンピューターが人間の生活に影響していくと、ますます人間らしさがなくなると思います。

  4. コンピュータ将棋名人「ボンクラーズ」も他のコンピュータ同様、人間の手によって生まれてきたことは間違いないでしょう。まさか、勝手に「ボンクラーズ」となったわけではないでしょうから。「ボンクラーズ」のプログラミングを行った人々はおそらく将棋名人ではない、いわゆる「プログラマー」でしょう。そういった意味では、人間同士の戦いなわけですね。こうしたプログラマーの存在によって私たち人類の無限とも言える可能性を感じることができます。コンピュータプログラマー、恐るべし、です。ところが、あるプログラムを組み込まれると、コンピュータが自ら進化し始めるということもあり、という時がやってくるかもしれません。私が生きている間のことか、あるいはそれ以降か、・・・。これからはますます時代が面白くなっていくような予感がします。

  5. 人工知能が発展したコンピューターが生活の中に入ってくるという話を聞くと、手塚治虫の「火の鳥」や「鉄腕アトム」が頭の中に出てきます。その中でもロボットが人間を支配していくという、なんともドキッとする内容があり、人工知能が発展してくる話を聞くたびに、その当時感じた怖さを思い出しました。直感という行動は人間にはごく当たり前に使うことをコンピューターにおきかえるとその複雑さを如何に人間は平然と行っているかというのを感じます。無作為にその行動をせんたくするということはコンピューターには難しいのかもしれません。それが失敗できないコンピューターのジレンマなんでしょうね。話しかけられるiPhoneはかなりすごいのでしょうが、そういった人間らしさは突き詰めると無くなると思います。

  6. 大変面白く読ませて頂きました。
    私もコンピュータに興味を抱いている超高齢者の一人ですが、コンピュータと異なり加齢により自分の脳が崩れていくのを感じます。
     自分に焦りもあるのでしょうか? 順番で新年会の幹事をすることになり「じゃんけんゲーム」を人間とパソコンでさせる事を思いつきましたが、私にはゲームソフトの作成経験が無く、1970年にコンピュータ世界に入ってから49年間デジタルの世界で生きてきた訳ですが、単に性格が不器用な私はアナロクの世界に嫌気がさしてデジタルの世界に逃げ込んだに過ぎませんでしたが、最近はアナログの世界も捨てたものでは無いと感じています。

     話は反れてしまいましたが、インターネットで優秀なソフト作成者と出合い「じゃんけんゲーム」をパソコンでする事ができるようになりました。
    パソコンゲームの勝者からの感想を楽しみにしています。
     話は変わりますが「靖国神社」の存在についてスーパーコンピュータではどのような回答が出るのでしょうか?興味があります。私には思想信条については全然興味がありません。
    ボケ防止のためにも脳を使うことに努力しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です