ドゥーラ

私は、産婆さんの介助の下、自宅で生まれました、いわゆる自宅出産です。映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」にも出てきますが、陣痛が起きると、急いで産婆さんを呼びに行くと言うシーンがあります。それが、いつからか、陣痛が起きると、急いで病院に駆けつけるようになりました。出産が、人間としての営みから、医療化されてきたということでしょう。その傾向は、医療システムが整っていない発展途上国の地域以外では、世界中の傾向です。日本では昭和30年代(1950年代半ば)以来急激に出産が医療化され、出産場所は従来の自宅から医療施設へ移り、周産期死亡率や新生児死亡率が激減しました。母子保健の主なる統計(2002)によると、現在では95%以上の分娩が診療所または病院で行われているようです。

この病院出産は、もちろん出産によるリスクは少なくなります。しかし、それは医療的なリスクの減少であって、出産に伴う心のリスクは増すことになります。自宅出産のように自由に家族や友人に囲まれて過ごすことなくなり、産婦は陣痛中に一人で過ごさなければならなくなりました。その状況での問題は、日本より早く出産医療化が進んだアメリカに見られるようになりました。アメリカでは、1955年にはすでに95%の出産が病院で行われるようになったからです。それは、同時に無痛分娩、人工ミルクの普及によりほとんどの女性が母乳育児をやめてしまう状況をも引き起こすことになります。

しかし、アメリカではこのような過剰な医療介入に対する疑問が上がり、自然出産を求める声が高くなっていきました。そして、夫の立会い分娩、ラマーズ法、水中出産など出産を乗り切るための新しい方法が紹介されました。また、出産に対する方法だけでなく、1970年代頃から出産前後のケアをする専門家たちが登場します。たとえば、チャイルドバースエドゥケーター(出産準備教育を行う専門家)やラクテーションコンサルタント(母乳育児を指導する専門家)などです。そして、その流れを汲んで「ドゥーラ」が生まれました。「ドゥーラ」は、主に陣痛・分娩期の女性とその家族に付き添い、マッサージ、励まし、情報提供などいろいろなかたちでエモーショナルサポートを提供する人のことを言います。日本では1977年以降に紹介されています。

このドゥーラは主に3つに分類されます。主なものは、プライベートドゥーラと呼ばれ、ドゥーラ組織の定める規約を満たしてドゥーラになり登録しているドゥーラを、ドゥーラ組織や個人的なネットワークを通じて紹介してもらい、ドゥーラケアを受ける場合です。もうひとつは、コミュニティベースのドゥーラで、地域密着型の活動により、そのコミュニティで改善したい健康問題をあらかじめ特定し、その改善のためにドゥーラのサポートを提供するものです。そして、もうひとつは、病院ベースのドゥーラで、病院のサービスの一環としてドゥーラケアが設置されており、ドゥーラは病院のスタッフとして養成され、雇用され、その病院で周産期ケアを受ける女性とその家族にドゥーラケアを行うものです。

また、ドゥーラの活動内容についても、海外では大きく2種類に分かれています。一つは、「Birth doula」と呼ばれるもので、陣痛から出産まで、妊婦の母親のような立場で妊婦とその家族をサポートする分娩支援です。もうひとつは、「Postpartum doula」と呼ばれる支援で、出産後、家族が新生児を「家族の一員」として迎え入れ、スムーズに新しい生活を送るためのサポートをする産後支援です。

日本では、まだまだ出産経験者である近隣の女性や産婦の母親が行っているところもあり、また、そのくらいは自分で乗り切るべきだと思う人がいることもあり、ドゥーラを利用する人は少ないのですが、アメリカ、カナダ、フィンランド等の諸外国では、ドゥーラが出産をサポートすることにより、分娩時間の短縮、オキシトシンの使用量が減る、柑子分娩が減る、出産時の合併症が減る、産褥熱の頻度が減る、といったデータが出ているそうです。また、出産後の夫婦の関係についても、出産後自分達の関係が良くなったと報告した母親の率は、ドゥーラ無しの母親に 比べ2倍以上の率になっているようです。

いつまでも、「赤ちゃんにとっては母親が一番」ということが、「赤ちゃんは母親だけで育てる」こととイコールにするのは、文化人類学的にもおかしいことのようです。

ドゥーラ” への6件のコメント

  1. もうこの歳になると、自分の死に方を考えることがあります。昔のように、自宅で大往生できれば本望ですが、病院のベッドで臨終の脈を取ってもらうのかなぁ。その後、葬祭会館に直行だろうし。癌だったら、せめてホスピスに入れてほしい。最近は在宅ホスピスというのもあるらしい。これなら自宅で死ねる。無駄な延命治療はやめて、苦痛や死の恐怖を緩和してくれるらしい。出産もそうですが、過剰な医療介入は、人を心理的に苦しめるだけだ。その医療の隙間を埋めてくれるのがドゥーラであるし、ホスピスだろう。多くの人の喜びと共に自宅で生まれて、最後は愛する家族に看取られながら、「おおきに」の一言を残してあの世へ行く。葬儀では、モーツァルトを流してもらって、遺影はあの北アルプスの写真を使ってくれと家内に遺言しておこう。えっ、それまでいてるかどうかわからへんて?(笑)

  2. 意味を広く捉えて考えてみると、このドゥーラのシステムは保育園の役割とも大きく関係しているのかもしれませんね。ドゥーラについての説明を読んでいると、社会で子育てを支えようという目的であると思われますし、それはまさに保育園の役割でもあるように思うからです。人間の自然なあり方から考えた出産や育児と、制度化され様々な思惑の中で考えられる出産や育児とでは、こうも形が変わってきてしまうのかとちょっと驚かされます。「ちょっとおかしいんじゃないの?」という声がまさに体験している人たちからあがってくることを妨げることのないシステムができてくれば、子どもにとってもいい社会になっていくんだろうと思います。

  3.  まず「ドゥーラ」という言葉は先日のブログで初めて聞きました。しかし、ドゥーラのような存在は妊婦さんや、その家族にとっても、とても重要な存在のような気がします。夫婦のどちらかの親と一緒に住む、2世帯だと、妊娠から出産まで、見てくれる存在が家の中にいるのは、とても心強いと思います。それが、今は核家族が増え、どうしても家の中に母親が一人というのは、不安で仕方がないでしょうね。そういう時にドゥーラのような、妊娠時から出産後もサポートしてくれる存在がいると、母親はもちろん、家族全員が安心できると思います。そして文化人類的から見ても「赤ちゃんは母親だけで育てる」という解釈は確かにおかしいような気がします。

  4. 「ドゥーラ」という言葉はあまり馴染みがなく、このブログを通じて初めて知りました。確かに日本では、妊婦が出産する時には自宅にお産婆さんに来てもらい出産を手伝ってもらうというイメージから、病院へ行き出産をするというイメージが一般的になってきたと思います。2つの種類に分かれるとありましたが、確かにドゥーラのような存在がいてくれると、妊婦のお手伝いやその家族をサポートしてくれるので、妊婦や家族の立場からしてもとても安心できると思います。思い返してみると、私が産まれる時や弟が産まれる時は、母親の実家に行って出産をしていました。母親にとってはやはりそこには自分の両親がいる事で、色々と安心できるからこそ実家に行って出産をしていたのだとおもいます。そう考えると、子育てにしても母親1人で育てるというのは限界があるというか、無理があるように感じます。

  5. 私自身もお産婆さんの手によってこの世に生を受けました。母の実家でのことだったようです。私の2歳年下の弟もそうだったと思うのですが、9歳年下の妹の場合は近くの医院さんのお世話になりました。自宅ではないにしても、おそらくは妹を取り上げたのは私たち同様「お産婆さん」であったと思いますが・・・。お医者さんは偉いと思っていましたが、同じくらいに「お産婆さん」にも敬意を表していました。通りですれ違うと最敬礼をしてお辞儀をしていた記憶があります。さて、親になった私には「社会通念」?として出産は病院、しかも看護師の手によって、という思い込みがあります。これは大きな家で部屋がたくさんあり、近所のおじさんおばさんが昔ながらにいる私の実家においてもその「思い込み」で動いてきたのです。そういうことからでしょうね、産科の入院病棟はいつもいっぱいで、同時に産科医も少ない、という状況がありました。私自身の出産を振り返った時「家」「お産婆さん」そして「親戚やらご近所のおばさん」がいました。私の出産は難産だったようで、町医者が立ち会ってくれたようです。今では考えられない状況ですが、現にあったのですから、しくみをつくりあげていくことはできるでしょう。その意味で「お産婆さん」=ジャパニーズドゥーラを一般化し、自宅での出産を可能にすれば、子どもを産む、ということが特殊なことではなくなり、社会一般のこととして認知され、少子化の歯止めプラス子どもたちの関係の構築もスムーズになっていくことでしょう。「お産婆さんの再登場」を期待したいものです。自宅出産、費用も安く済むでしょう。

  6. アメリカやフィンランドでも行っている仕事なんですね。母親にとっては心強いことは間違いないものだと思います。やはり、夫婦どちらの両親とも遠くに住んでおりそういった環境のなかで産んだ知り合いなどは心細いこともあったし、精神的に辛かったと言っていました。そういった母親にはとてもいいことですね。病院に行くことが主流の日本ですが、確かに安全で衛生的かもしれません。しかし、なかなか心細さや感情に関してはケアは行き届いていないこともあると思います。産むことがすべてではなく、その先も考えると誰か信頼に値する人が近くにいることはありがたいでしょうし、子どもにとってもいい環境になると思います。「母親だけで育てる」という考え方はもう一度見直すことが必要な時代が確実に近づいていると思います。

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