災害予測

1960年5月23日4時11分、南米・チリ共和国でマグニチュード9.5という世界最大規模の地震が発生しました。この地震により、首都サンティアゴ・デ・チレをはじめ、チリ全土で死者1,743名、負傷者667名の大きな被害をだしました。被害はそれだけではありませんでした。地震発生15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約17時間後にはハワイ諸島を、22.5時間後に日本を襲いました。日本を襲った津波に対して、その5時間以上も前にハワイ・ヒロ市では約10.7mの津波が押し寄せていますので、そのときの情報をきちんと分析していれば日本での被害を最小限に抑えられたかもしれません。

実は、地震直後にハワイ地磁気観測所から日本政府にも地震の情報と同時に津波警報が伝えられましたが、経験不足からか気象庁は津波の強度を過小推定したため、日本の津波警報が発令になったのが津波襲来後となったことが被害を大きくしたものとみられています。江戸時代に資料でも、チリやペルーで津波が発生するたびにハワイや日本にも襲来していますし、逆に日本の太平洋沿岸で大津波が発生すると、米国西海岸、南米に津波が押し寄せていたことが残っています。ですから、1960年のチリ地震でもわかっていたはずです。それなのに、日本の津波警報は、津波襲来2時間後に出されています。

そのために、日本では、死者行方不明142名、負傷者855名、建物被害46,000棟などの被害を出してしまいました。この地震から30周年を記念し、91年にチリから宮城県南三陸町にモアイ像とコンドル像が贈られました。モアイ像は、チリ領である太平洋上に位置する火山島であるイースター島にあるからです。。その像の頭部が、今回の東日本大災害で流されてしまいました。チリのピニェラ大統領夫妻は、昨日、宮城県南三陸町を訪問した際に、高さ10メートル以上のがれきに囲まれたモアイ像を見て、「日本もチリも災害に負けずに勇気と希望を持って前進してきた。友好の証しとして、もっと大きく美しいモアイ像を贈りたい」と話し、「日本がんばれ」と日本語でエールを送りました。

 イースター島は周囲58キロ、面積約164平方キロメートルの絶海の孤島で、人口は約4300人です。イースター島という名は1722年のイースター(復活祭)の日にオランダ人が到達したことに由来するそうです。数千キロ離れたポリネシアの島々からイースター島にたどり着いた人々がモアイ像を造り始めたのは800?900年ごろとされています。しかし、像を運搬するために使う木材のために、島内の木を伐採し尽くして飢饉が発生します。そして、18世紀中ごろに始まった部族間抗争で一時は全てのモアイ像が倒されてしまったのですが、島に残るモアイ約900体のうち約40体が日本人や米国人らによって立て直されています。

 人類は、協力する生き物ですが、戦いも繰り返してきた生き物です。人類の進化の中で、このイースター島で起きた飢饉に似た状況は地球上では何度も起きています。そのときに、当然部族間抗争は起きていたと思います。それは、農耕が始まる前の狩猟採集を行っているときにもおきます。では、私たちの祖先は、どんな環境の悪化に直面したのでしょうか。その環境の悪化は、チリ地震のように事前に予知されません。地震自体は、かなり遠くの場で起きますので、自分たちが揺れることはありません。

私たちの先祖がぶつかった大きな環境の変化は、7万4000年前の頃、インドネシアのスマトラ島で起きたトバ火山の噴火でした。そのときに、私たちの祖先は、まだアフリカに留まっていました。当然、爆発音は聞こえませんし、地響きも感じません。ある日突然、地平線から雲が現れ、空を覆いつくし、どんどん暗くなり、寒くなります。それがどうしてか、どうなるのかも知りえません。ただ、食料は底を突き、動物や植物は次々に死んでいきます。地球上の多くのヒト族といわれている種も死んでいきます。その中で、一握りの幸運で懸命な者が生き残り、その子孫がわたしたちなのです。それは、戦いに勝ち進んでいったからでしょうか。強い体を兼ね備えていたからでしょうか。

産後

最近の病院での普通分娩で何も問題なければ、5日から7日入院をするのが一般的です。そして、退院後は、基本的には一人になります。しかも、一人になるだけでなく、病院では産婦としてケアされていたのが、子どもを産み、抱き上げた瞬間から母親になります。と言うことは、今までのケアされる立場から、今度は自分の子どもをケアする立場へと変わらなければなりません。まだまだ母親自身も身体的にも精神的にもケアが必要であるのにもかかわらずにです。かつて、日本では床上げと言われるまでの3週間程、産婦の母親が身の回りの世話や助言を与えていました。インドや中国でも数週間から40日程ケアされる習慣があるそうです。また、ヨーロッパの多くの国では父親が最低でも3ヶ月以上有給休暇が保障され、中でもイギリスは退院後2週間、毎日保健師の訪問があるそうです。日本でも自治体によっては、希望すれば、退院後保健所などからの訪問を受けることがありますが、1日だけです。オランダでは自宅分娩の場合、看護師が10日間滞在し家事をしてくれるサービスが公的に行われているそうです。

このようなサービスを受けることができるのは、母親は自分自身が十分なケアを受ければ受けるほど子どもへの愛情が増し、育児に自信が持てるようになると言われているからです。また、育児だけでなく、同時に家事もこなさなければならず、なかなか育児に専念できません。産後は特に、家事を気にせず我が子の世話に専念でき、心配事はすぐに相談できる環境が必要です。そのことが子どもの健やかな成長につながるのです。幼児虐待が増え、そのニュースを見聞きするたびに、ずいぶんひどい母親もいるものだと思いますし、自治体では、その早期発見、防止に必死になっていますが、もしかしたら、母親に対しての産後の十分なケアがされていないために、わが子に愛情を感じることが少なくなっていることもあるのかもしれません。

京都大学霊長類研究所長の松沢さんは、こう言っています。「一人で子どもを育てる人間っていうのは、本来いないはずです。高層マンションで、お母さんと子どもが向き合って暮らしていてお父さんが会社でずっと働いてという生活があったとしたら、それは、およそ人間の本性から離れた子育てなんですよね。」

人間は、霊長類ですから、本来は森の生き物だと言います。それが、チンパンジーは安全な森に留まりますが、人間は草原という過酷な環境に出て行きます。安全な森に留まることでチンパンジーは協力行動を広げていかなかったと考えられています。確かに、チンパンジーも父親集団で、子どもを守りはしますが、それは外敵から守るというぐらいの意味で、直接その子どもを育てる、食料の面倒を見るということはしません。しかし、人間は、過酷の環境で、お互いがお互いを助けて、みんなで複数の子どもたちを守り育てる。そういう暮らしを人間は築いていったのだと言います。まさに、保育所のようです。複数の他人が、複数の他人の子どもたちを保育する営みは、まさに、人間の本性なのです。

そして、この人間においての集団における子育てと母親だけに依存しない子育てのおかげで、離乳を1年未満に終え、次の子を産む準備に取り掛かれるのです。母親一人で子育てをするチンパンジーは、離乳は4歳なのです。しかし、チンパンジーは生きているあいだはずっと出産をします。それに対して、人間は出産期は短いために、集団での子育てをすることによって離乳を早め、それが人間を多産にしたといわれています。やはり、最近の少子化は、このことから見ても母親だけで子育てを押し付けていることに原因があるようです。

ドゥーラ

私は、産婆さんの介助の下、自宅で生まれました、いわゆる自宅出産です。映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」にも出てきますが、陣痛が起きると、急いで産婆さんを呼びに行くと言うシーンがあります。それが、いつからか、陣痛が起きると、急いで病院に駆けつけるようになりました。出産が、人間としての営みから、医療化されてきたということでしょう。その傾向は、医療システムが整っていない発展途上国の地域以外では、世界中の傾向です。日本では昭和30年代(1950年代半ば)以来急激に出産が医療化され、出産場所は従来の自宅から医療施設へ移り、周産期死亡率や新生児死亡率が激減しました。母子保健の主なる統計(2002)によると、現在では95%以上の分娩が診療所または病院で行われているようです。

この病院出産は、もちろん出産によるリスクは少なくなります。しかし、それは医療的なリスクの減少であって、出産に伴う心のリスクは増すことになります。自宅出産のように自由に家族や友人に囲まれて過ごすことなくなり、産婦は陣痛中に一人で過ごさなければならなくなりました。その状況での問題は、日本より早く出産医療化が進んだアメリカに見られるようになりました。アメリカでは、1955年にはすでに95%の出産が病院で行われるようになったからです。それは、同時に無痛分娩、人工ミルクの普及によりほとんどの女性が母乳育児をやめてしまう状況をも引き起こすことになります。

しかし、アメリカではこのような過剰な医療介入に対する疑問が上がり、自然出産を求める声が高くなっていきました。そして、夫の立会い分娩、ラマーズ法、水中出産など出産を乗り切るための新しい方法が紹介されました。また、出産に対する方法だけでなく、1970年代頃から出産前後のケアをする専門家たちが登場します。たとえば、チャイルドバースエドゥケーター(出産準備教育を行う専門家)やラクテーションコンサルタント(母乳育児を指導する専門家)などです。そして、その流れを汲んで「ドゥーラ」が生まれました。「ドゥーラ」は、主に陣痛・分娩期の女性とその家族に付き添い、マッサージ、励まし、情報提供などいろいろなかたちでエモーショナルサポートを提供する人のことを言います。日本では1977年以降に紹介されています。

このドゥーラは主に3つに分類されます。主なものは、プライベートドゥーラと呼ばれ、ドゥーラ組織の定める規約を満たしてドゥーラになり登録しているドゥーラを、ドゥーラ組織や個人的なネットワークを通じて紹介してもらい、ドゥーラケアを受ける場合です。もうひとつは、コミュニティベースのドゥーラで、地域密着型の活動により、そのコミュニティで改善したい健康問題をあらかじめ特定し、その改善のためにドゥーラのサポートを提供するものです。そして、もうひとつは、病院ベースのドゥーラで、病院のサービスの一環としてドゥーラケアが設置されており、ドゥーラは病院のスタッフとして養成され、雇用され、その病院で周産期ケアを受ける女性とその家族にドゥーラケアを行うものです。

また、ドゥーラの活動内容についても、海外では大きく2種類に分かれています。一つは、「Birth doula」と呼ばれるもので、陣痛から出産まで、妊婦の母親のような立場で妊婦とその家族をサポートする分娩支援です。もうひとつは、「Postpartum doula」と呼ばれる支援で、出産後、家族が新生児を「家族の一員」として迎え入れ、スムーズに新しい生活を送るためのサポートをする産後支援です。

日本では、まだまだ出産経験者である近隣の女性や産婦の母親が行っているところもあり、また、そのくらいは自分で乗り切るべきだと思う人がいることもあり、ドゥーラを利用する人は少ないのですが、アメリカ、カナダ、フィンランド等の諸外国では、ドゥーラが出産をサポートすることにより、分娩時間の短縮、オキシトシンの使用量が減る、柑子分娩が減る、出産時の合併症が減る、産褥熱の頻度が減る、といったデータが出ているそうです。また、出産後の夫婦の関係についても、出産後自分達の関係が良くなったと報告した母親の率は、ドゥーラ無しの母親に 比べ2倍以上の率になっているようです。

いつまでも、「赤ちゃんにとっては母親が一番」ということが、「赤ちゃんは母親だけで育てる」こととイコールにするのは、文化人類学的にもおかしいことのようです。

文化的動物

 今年の干支は、「壬辰」(みずのえたつ、じんしん)です。この「壬辰」の両方の字に女偏を付けると「妊娠」という字になります。ということで、中国では、今年は出産に縁起が良いため妊娠フィーバーだそうで、例年の年よりも5%以上の出産が予測されているようです。この現象を見てもわかるように、これまで多くの文化人類学者が注目してきましたが、出産は文化に強く影響される現象だといわれています。しかし、いくら文化に影響されるといっても、生き物は、すべて遺伝子を子孫に残す営みが行われます。その営みは、その種によって遺伝子を残すための工夫は、大きく違っています。その手段は、逆に言えば、その種の特性も形作ります。

 京都大学霊長類研究所ではチンパンジーの観察から人間の特性を研究していますが、出産について、人類の特徴をこう考えています。かつて、医師の多くは男性であったこともあり、出産時に妊婦が不安を感じるのは、母親の気持ちが弱い証拠であると考えられることが多かったのですが、実はそうではないことがわかっています。「出産時に女性が不安になるのは、ヒトが社会的背景のなかで出産を進化させたことを考えると、当然なのです。ヒトは長いあいだ出産時に、自分の母親、姉妹、友人たちから離れるなんてことはありませんでした。女性が出産時に誰かに付き合って欲しいと思う理由がそこにあります。私たちはそのような状態で長い歳月を過ごしてきたのです。」

 ヒトは、出産に介助が必要であり、そこにもヒトが社会的な生き物であることがわかります。また、その介助は、出産時だけでなく、子どもを育てていく長い過程にも、協力が重要なのだといいます。「赤ん坊の世話をする母親にはいつも助けがあります。自分ひとりの手で赤ん坊を運ぶ必要はありません。おばあさんやおばさん、おじさん、お父さんが子どもの世話を手伝ってくれます。ほかの動物の場合、母親だけが赤ん坊の世話をするのに対して、私たちは個人よりも集団で赤ん坊の世話をするという特徴があるのです。ヒトが無力で生まれてくる脆弱な赤ん坊を育てていけるのは、ヒトが文化的動物だからです。」

 この研究から見えてくることは、文化的というのは、赤ちゃんを個人ではなく、集団で育てていけることであり、そうでないほかの動物は、母親だけで赤ちゃんの世話をするということなのようです。そうすると、保育所保育指針などに書かれてある「特定の大人との間に情緒的な絆が形成される。」という文言は、どうなのでしょうか。この文言から、いわゆる乳児における「担当制」といわれるような、一人の特定な養育者が常の子どもの世話をする保育形態が行われている園が多いのですが、そのような保育は、実は文化的ではないということを知ることが必要な気がします。また、赤ちゃんの自宅で、母親一人しかいない中で育児をするのは、文化的でないということも知る必要があります。

 人類は恒常的に絶滅の危機に瀕した状況の中で、子育ての責任を母親だけに押し付けない生存戦略をとることによって遺伝子を残してきたのです。霊長類研究所長の松沢さんは、こう言います。「3世代で同居して、おじいちゃん、おばあちゃんの手が借りられたり、お父さんも子育てに参加したり、あるいは一人っ子でなくて、年の離れたお兄ちゃんお姉ちゃんがいて、あるいは隣のおじさんおばさんが助けてくれてというのが、ずーっと長いあいだ何千年も何万年も何十万年も続いてきたホモ族の子育ての仕方なんだと思います。」

 核家族化が増えてきた頃から、意図的に集団で子育てを支えるネットワークをつくるべきだったのでしょう。「せめて赤ちゃんのうちは母親の元で」ということが「赤ちゃんを母親だけの元で」という状況になっていることに気がつかずにいたことが、少子化を加速させた一因かもしれません。

産婆

最近、産前産後期において「ドゥーラ派遣します」というチラシをみることがあります。「ドゥーラ」とはもともとはギリシア語で「女性を援助する女性、奴隷(women’s servant)」を意味し、現在では妊娠、出産、育児を援助する女性のことをいうそうです。上野動物園のパンダが昨日、子作りの気配が見えたというニュースが流れました。もし、出産となると、日本全国が注目するでしょうね。しかし、その出産の際に、動物園の人たちはたぶん監視カメラでの観察になるでしょう。というのは、基本的にパンダの出産は自分ひとりでするからです。それは、パンダに限らず、出産に人の手助けがいるのは、人類だけのようです。

今は、助産師といいますが、いわゆる「お産婆さん」が出産を手伝いました。「産婆」というとイメージではやはり「産むのを手伝う婆さん」ですが、この「婆さん」というのも、もしかしたらもともとは「老年の女性」というよりも「祖母」という意味のようだったのかもしれません。「産むのを手伝う祖母」ということでしょう。ちなみに、フランス語で「産婆」は “Sage-femme”(サージュファム) で、”sage” とは、「(子供が)おとなしい」「賢明な」「身持ちの正しい」「節度のある」というような意味があります。ですから、「産婆」の意味は、「賢い女性」ということになるそうです

このあたりのことをNHKスペシャル「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」では、こう説明していました。「人類の歴史上、最初に二足歩行という変化がおき、はるか後に大きな脳の拡大が起きました。そのあいだのどこかで無力な赤ん坊という制約も起きました。私たちの祖先は地面を二足歩行で効率よく歩くようになって初めてヒトになりました。その歩行の変化が分娩方法の変化をもたらしたのです。」

この「分娩方法の変化」ということについて、アメリカのデラウェア大学のカレン博士がこんなことを研究しています。博士は、骨盤の形の解析の専門家です。「これまで私たち人類の進化の重要なポイントは、道具や言葉の使用だといわれてきました。狩猟などの男性の活動が注目されていました。それに対し、出産はあまり注目されなかった一面です。しかし、私はこれが人類の進化にとって、とても大切だと考えているのです。」博士の説明によると、産道を通るべき胎児の頭部を上から見ると、額と後頭部を結ぶ線が長く、両耳を結ぶ線が短い楕円形になっている。ところが、産道の入り口は、母胎の左右方向に長い楕円形で、その向きは、産道の途中で90度旋回してしまう。それ以降は母胎の前後方向に長い楕円となる。そのため、胎児は、もっとも大きい頭と肩を産道の最も広い場所にあわせて身体を旋回させなければならないという事態に陥る。」

すなわち、上記のような出産では、誰かの介助が必要だということです。この出産を介助する習慣は世界共通だそうです。すると、最も母親の身近にいる介助する人といえば、祖母だったのでしょう。それが、私は、産婆になったような気がしています。もう一つ、産婆の役目が在ります。それは、出産時だけでなく、出産後も人間はほかのヒトの介助を得なければならないということです。「介助は、母親や胎児の死亡や怪我などを回避し、妊婦の不安を解消するのにとても役に立つ」といわれています。

この役目は、かつて産婆さんが担っていました。先日、生まれてからの子どもの入浴を産婆さんに入れてもらったという話を聞きました。産婆さんは、出産に立ち会うだけでなく、その後のサポートもしていたようです。それが、今は、「ドゥーラサポート」がしてくれているようです。

 先月、京都に行った時に今年は辰年ということで「龍」にちなんだ場所が特別公開されていました。そのなかに、通称「鳴き龍」と呼ばれる狩野永徳の子・光信が描いた壮麗な天井画「蟠龍図」がある相国寺に行きました。そのときに、同じ境内にある「開山堂」も普段は公開されていないということでしたが、そこも見学することが出来ました。現在の開山堂は、江戸時代に桃園天皇の后・ 恭礼門院の黒御殿を移築したもので、かつては水が流れていたという前庭は「龍淵水の庭」と呼ばれています。その建物の内部は、礼堂と祠堂に分かれ、開山の夢窓国師像が安置され、杉戸には円山応挙の筆による小犬の絵が描かれていました。

 杉戸といえば、もう一つ最近話題になったことがあります。京都の金閣寺が、平成19に終了した解体修理の際、近代日本画家・石踊達哉氏・森田りえ子氏による杉戸絵が新作されました。今回行われた世界遺産金閣・鹿苑寺方丈(本堂)は、330年ぶりで、まだ若く美貌の女流画家に金閣寺の杉戸絵を描くことを任せたことで話題になりました。彼女の杉戸絵は「春・牡丹図」「秋・菊図」「夏・花菖蒲図」「冬・椿図」で、石踊達哉の杉戸は「双樹・紅梅図」「遠山桜図」「秋草・秋草図」「晩秋・秋草図」です。

 法隆寺に残されている戸は、檜の節なしの一枚板です。この戸は、四方に作られ、外に出るための戸です。奈良時代の建築の特徴は、まだ、内部空間を仕切る建具がなかったために、空間を間仕切るものとしては壁と扉しかなく、内部間仕切りのない、広間様式の建築構造となっています。そこを仕切るためには、衝立や簾、几帳のような可動式の「障子」が使用されていました。そのときに、木製の格子を骨組みとして、両面に絹布を張り衝立て状に台脚の上に立てたものがありましたが、一般的には、軽い杉板を台脚の上に立てた衝立てが、主流でした。

 平安時代になると、内部の仕切りとして、母屋と北廂の間の境に「賢聖の障子」を設けるようになります。この障子は、今日の明かり障子ではなく、絹布を貼った可動式の嵌め込み式の板壁で室礼として用いられ、時に応じて設置されるものでした。この障子は、絹布に賢聖を描いていたので、「賢聖の障子」の名があります。そして、中央間と東西第二間の三ヶ所に「障子戸」が設けられていたようです。

当時の「障子」とは、間仕切りの総称として使われ、「障」とは、間をさえぎるという意味で、「子」は小さいものや道具につけられる接尾語です。ですから、衝立、屏風、簾、几帳のほか、木で作られた室外との仕切の唐戸、板戸の一種である舞良戸、蔀戸等も障子といいました。

鎌倉時代になると、藤原定家の日記『明月記』に、杉板障子に画を描きお終わったので立てたとあります。この障子戸は、黒塗りの框に杉の一枚板を嵌め込だ板戸で、杉障子、杉遣戸、杉板障子、杉戸などと呼ばれていました。そして、杉障子は襖障子と同じように、主に縁側と部屋との仕切りや縁上の仕切りに使用され、そこに絵を描きました。杉障子に描かれる絵は、襖障子と同様に時に唐絵が描かれることもありましたが、多くは大和絵の花鳥風月や跳ね馬でした。私が見た円山応挙の絵は、子犬が戯れているものでした。

杉の戸は、現在は使用されていない建具ですが、貧しい家屋に用いられることが多く、和歌・俳句の世界においても「杉の戸」というのは、「貧しい我が家」を表す常套句でした。そこで、卒業式などで歌われる「蛍の光、窓の雪、文読む月日重ねつつ、いつしか年も、すぎの戸を開けてぞ 今朝は、別れ行く。」の「すぎの戸」は、「過ぎ」と「杉」の掛詞で使われています。その意味は、「貧しい家から出て行く」といわれることが多いようですが、私は、寺院などに多く用いられている絵が描かれた杉戸を開けて、修行の年月が明けて出て行くというイメージを持つのですが、その解釈はどうでしょうか。

人間らしさ

 人間という生き物はとてもすばらしい能力を持ち、すばらしい生き物ですが、それは、完全無欠ということではありません。ミスもするし、落ち込むこともします。そのために、何度も危機に陥ります。そのときに、種を滅ぼすような状況に進むのか、または、生き残るための何か方策を打つのかによって、今に遺伝子をつないできているのかどうかです。

 様々な能力は二面性を持っています。また、遺伝子を子孫に残すために残酷な面があるのも確かです。たとえば、人の気持ちに「共感」する能力も、二面性があるようです。人は必ず共感するわけではなく、共感して自己犠牲を厭わず行動する場合もあれば、まったく共感せずに冷ややかに黙殺している場合もあるのです。私たちの脳は、不公平な人、つまりは不愉快な、嫌な人の痛みを見たときに、快感を感じるようです。私たちの脳は、驚くべき「選別」を行っているというのです。

 よく、性善説か性悪説かと議論するように、人は生まれつき、このような両面を持って生まれるのでしょうか。それは、もちろん確定するほど解明されてはいません。しかし、いろいろな場面で推測されています。イギリスのロンドン大学のウェルカム・トラスト神経画像研究センターは、世界でも有名な脳神経科学研究の拠点だそうですが、そこのベン・シーモア博士は、どういう相手に対して痛みの共感が生じるのかを、さまざまな実験で市食べています。彼は、人間が経験するさまざまな社会的な出来事を脳の先天的な回路で対処するというのは無理だと考えています。そして、こう考えています。「大切な役割を果たすのが前頭葉です。前頭葉は不確かな新しい状況に対処できるような機能があります。人間は社会性を学習する力、生まれた環境で協力を学習する力を持っているようです。」

 久しぶりに「前頭葉」ということばを聞きました。一時、どこでも前頭葉について語られていたのですが、最近は、もっと細かいところまでわかってきて、あまり言われていませんが、やはり、前頭葉に関係しているようです。ただ、もちろん、ミラーニューロンや前頭前野は前頭葉にある神経細胞ですから、同じことなのでしょうが。すなわち、この前頭葉の働きゆえに、共感する能力を後天的に習得している可能性も否定できないと言います。

 また、人は社会を構成し、協力することで生き延びてきた生き物でありますが、社会というのは、一人ではなく、他人がいるということですので、他人と比較するということが行われます。それが、競争を生んだり、切磋琢磨という競い合いの中から向上も生まれるのですが、心の中には、ほかの生き物には見られないこんな気持ちも人間特有といわれています。「人を羨んだり、あるいは自分に劣等感を抱いたり、そねむ、ひがむ、あるいはコンプレックスを持つことが私たちにはよくあります。全部よく考えてみると、他者との比較のうえに成り立っている感情です。簡単にいうと、自他の落差の認識なんです。自分というものの置かれている状況と、他人が置かれている状況の両方を見ている。自分ひとりのことにしか目を向けていなければ、そういう感情は生まれないはずです。」というのは、京都霊長類研究所長の松沢さんです。自分と他者との違いに対して非常に感受性が高いことが、さまざまな悩みや負の感情の原因になってしまうのは、チンパンジーには見られないそうです。「チンパンジーは、ほかの人は、どうでもいいといいます。自分の暮らし、他者の暮らしは他者の暮らし、それはそれ、これはこれ、なんです。」と松沢さんは言います。

 「人間は、他者の心を読むことができる。それゆえ、困っているヒトに対して、自らの手を差し伸べる志を持つことが出来る。しかし、同時にその同じ能力がまったく逆の方向に働き、負の感情を生み出す。こうしてみてくると、人間が共感能力を持つのがはたしてよいことなのか、それとも悪いことなのかわからなくなる」

 どうでしょうか?

人間はコンピューターに負けるか?

 人間とコンピューターとの戦いは、どちらが優れているかではなく、人間という生き物は、どのような特性を持ち、その特性が一見生き延びるためには不利に見えるものでも、実は、非常に重要な能力であることがあるのです。その意味では、コンピューター「「ボンクラーズ」と対局した元名人で日本将棋連盟会長の米長邦雄さんとの戦いは、とても興味津々でした。

 米長邦雄さんは、現役時代、19のタイトルを獲得した永世棋聖で、挑戦するコンピューター「ボンクラーズ」は、3年前に開発され改良を重ね、すでにアマチュアトップクラスは寄せつけず勝率9割5分を誇ります。対局は、ボンクラーズが先手です。ボンクラーズが考えた最初の手は、定跡どおりの一手です。これに対し、米長さんは驚くべき手を指します。最初から玉を動かすというプロ棋士どうしの対局ではありえない手を指しました。あらゆる過去の差し手を読み込んだコンピューターに対して、過去の対戦ではありえない手を打つのです。その後も、米長さんは前例のない指し方を続けます。これは、コンピューターの弱点をつくために練り上げた作戦でした。

 中盤に入ってもその戦略を徹底させていきます。プロどうしの対局でもめったに見られない戦いに持ち込んだのです。その狙いは、コンピューターにはない人間独特の能力で相手を圧倒することです。この人間独特の能力は、強くなることだけを目指すのではなく、相手の強さには、弱さで対抗するとも言える気がします。それは、柔軟性というか、相手によって、直感的に手を考えるという能力かもしれません。米長さんは、「私は自分の
頭の中で 大局観だとか勝負勘とかそういうもので形勢判断するんですけど狙い通り」と振り返っています。複雑な局面の中で、あらゆる指し手を読むのではなく最善と思われる手を直感的に素早く選び出す能力です。昭和の大名人、大山康晴は一手だけ読めばよいと語ったといいます。

 次の一手を選ぶとき、一流の棋士は無数に存在する局面をすべて調べようとするのではなく、僅か数パターンの道筋を瞬時に見つけ出す能力があることが分かっています。このような人間の能力に対して、コンピューターは勝てませんでした。

 このような人間独特の指し方に、ボンクラーズは奇妙な動きを見せ始めました。攻撃の要である飛車を右や左に動かすだけで、攻めあぐねます。しかし、その動きは、不利な局面でも、じっとチャンスを待つという、人間の知性に近づこうとするコンピューターの技術革新がありました。もう一つ棋士に近づくための工夫が凝らされています。最もよさそうな局面を見つけるとそれよりも点数が低い局面の先を調べるのをやめます。そして、そのよさそうな局面を読み進むことに集中します。その結果、プロ棋士が行う取捨選択に近い作業を可能にしました。

 このようなコンピューターの動きに対して、もう一つの人間独特の行為が現れます。そのときのことを米長さんはこう振り返ります。「(ボンクラーズは)私が間違うのをジーッと手待ちしているわけですよね そういう点では(『昭和の大名人』と言われた)大山康晴と指したという感じ」

人間特有のミスを犯したとき、それをうまく突いて、一気にせめていったのです。そして、ついにコンピューターが将棋において、人間に勝ったのです。もちろん、勝利の背景には過去の名棋士の指し手を徹底的に学ぶ機械学習という技術革新がありました。「人間の知性」を手に入れ始めたコンピューターが、将来、私たちの暮らしを変える可能性があります。

しかし、逆にミスをすることはコンピューターには出来ないことかもしれません。根本的に人間とコンピューターは違います。声を使って操作ができ、人に話しかけるのと同じように話しかけることが出来るアイフォン4sに人気が集まっています。その応答は、心から共感しているのでしょうか。

直感

昨年の東北大災害から、人類とはどのような使命を持って次世代に遺伝子をつないでいくべきかを考えるきっかけが生まれました。それは、常々、乳幼児教育に携わっている身としては、まさにそれは乳幼児教育の課題でした。それは、私が取り組み始めた課題に通じるものでした。なんとなく見えてきた課題をはっきりと、明確にさせたものの一つが、最近のブログで取り上げているNHKスペシャル「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」という番組です。この番組に感動して、何度も見て、その内容について検証するために、何回かに分けてブログを書いています。

もう一つ、人間というものを考えるときに、感動した番組が今年の2月8日に放送されたクローズアップ現代「人間 VS コンピューター 人工知能はどこまで進化したか」です。その内容は、コンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と、元名人・米長邦雄永世棋聖の将棋の戦いを描いたものです。10年ほど前、チェスのコンピューターがチェス名人に勝ったというニュースが流れました。しかし、将棋の世界ではプロ棋士たちに追いつくのは、まだ遠い先だと思われています。それは、将棋がチェスよりもはるかに複雑なゲームだからです。将棋では、将棋の盤はチェスよりも広くさらに敵から奪った駒を自分の駒として使えるために、考えられる局面が圧倒的に多いのです。わずか10手指す間におよそ1073京とおりの局面が考えられます。1京という単位は1兆の1万倍ですから途方もない数になります。この膨大な選択肢の中からたった1つの指し手を選び取ることは、いかに高性能のコンピューターでも難しいといわれてきました。

それが最近、ハードウェアの進歩で計算能力が向上し、さらに人間の考え方に近づこうというこれまでにないソフトウェアの開発によって、人間とコンピューターの差が急激に縮まってきました。今までの対戦では、コンピューターは、局面ごとに膨大な「次の一手」をすべて想定し、最善手を選ぶようにプログラムされていたそうです。しかし、世界コンピューター将棋選手権でも優勝したという「ボンクラーズ」は、5万局の棋譜を教科書にして「人間が指しそうな手」を自ら”学習”する「機械学習」によって、プロ棋士並みの強さを手に入れました。

コンピューターはどこまで人間に近づけるのでしょうか。究極の頭脳ゲームともいわれる将棋を指すことが、人工知能つまりコンピューターに人間と同じような知性を持たせようという研究の試金石になっています。人工知能の研究が始まったのは1950年代です。そして、人工知能、その能力が世界的に注目を集めたのは今から15年前、チェス専用のコンピューターディープ・ブルーが世界チャンピオンを破ったのです。ディープ・ブルーは考えうるすべての手を読み進め、未来の局面に点数をつけて評価します。その中で、最も点数が高い局面につながる次の一手を選んでいました。いわば、計算能力の高さにものを言わせ力ずくで人間をねじ伏せたのです。

しかし、この方法は将棋では通用せずプロ棋士の足元にも及びませんでした。将棋は、何手も先を読んでいきます。その何手先を読むかは、初心者よりも中級者、中級車よりも上級者ほど先を読みます。しかし、なんと、羽生名人は、初級者並みしか先を読まないそうです。将棋はプロのようなハイレベルの戦いになると、「局面を、ザクッと大局的に把握し、”直感”で打つ」戦いになるそうです。ですから、「ボンクラーズ」は、チェスのコンピューターのように、膨大な次の一手をすべて想定しようとしているわけではなく、コンピューターでありながら、いわば”直感”で、「勝てそうな想定」にしぼっているそうです。それによって、極めて高度な思考能力を手に入れたのです。

では、将棋コンピューター「ボンクラーズ」と元名人米長邦雄さんとの頭脳戦は、どのような展開を見せたのでしょうか。明日のブログで分析してみたいと思います。

経済力競争

地域間格差はあるものの、中国、韓国は元気ですね。その元気さが必ずしも人を幸せな方向に進んでいるのかはもう少し様子を見なければなりませんが、明治の頃に日本国が「富国強兵」の下にがんばっていた時代、戦後数年経って東京オリンピックに向けてがんばっていた時代を思い起こします。ですから、中国、韓国がどのような取り組みをしようとするのかは参考になることがあります。

 ダイヤモンド・オンライン メールマガジンの今週号に、「莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見」という記事で、「山東省エン州市に見る福利厚生競争の始まり」がありました。中国では、地域間格差の中で、都市間では経済力競争が始まっており、そのために何をどう充実させるかということが行われ始めているようです。この山東省エン州市とは、石炭の産地だそうですが、中国国内の省レベルの行政区のなかで、GNP3位を誇る山東省に属している地方都市で、そこでは、経済力競争のために、先ず行ったのは、福利厚生を充実させることのようです。

 このエン州市では、2008年に山東省内で一番先に、高校までの学費を免除することに踏み切っていたのですが、今年1月から、さらに幼稚園の3年間も学費免除を適用し、保育料を取らないと宣言したのです。これで保育量を含む学費免除期間が合計15年間となったのです。しかも、今まで幼稚園児の保育費は月100元未満でしたが、市は月一人当たり165元という基準で幼稚園に補助金を支給することにしたのです。ということは、園側に保育費だけでなく、雑費などもすべて補助することにしたのです。幼稚園側は、その増えた収入を施設の改善、幼稚園保母のトレーニングと保母の所得の向上に当てることができると話しています。そして、同市は、現在のところ登録されている幼稚園数が合計91で、そのうち都市部には23、農村部には68あり、入園している園児は全入園適齢児童の71%に相当する1万2000名にのぼるそうですが、義務教育には位置づけられているわけでもなさそうです。したがって、入園は、かなり財政的なことが影響しているようで、今回の保育料の免除により、より多くの適齢児童が財力の心配なく、幼稚園に入園できるのではないかと見られています。

 この措置は公立幼稚園だけではなく、私立幼稚園などにも適用するようです。ただ、国によって制度が違うために、幼稚園といっても、中国では基本的に女性は働いていることもあり、また、この記事を書いた莫邦富さんは幼稚園で働く女性を保母といっていることから、単純に日本の幼稚園ではない気がします。ですから、今回の措置には、経済力競争としての対策が二つある気がします。ひとつは、女性の社会進出をバックアップするため、もうひとつは、乳幼児教育の充実が、将来の経済発展のために先行投資であるということです。

そのほかにも、同市はさらに踏み込んだ教育応援措置を取ろうとしているようです。昨年11月16日、甘粛省で幼稚園児をぎゅうぎゅう詰めにした幼稚園専用バスが交通事故にあい、21名もの幼い命が奪われた事件がありました。それは、定員枠を大幅に超えて園児を乗せたことがいけないのですが、その責任が園側だけにあるのではなく、幼稚園専用バスを含むスクールバスの貧弱性の問題も、世論の批判を浴びているのです。それは、エン州市では、この事故が発生する5日前に、海外から45席のスクールバスを10台導入し、そのうちの4台を先行してテスト運行に投入しているのです。この学童送迎サービスは「助学公共交通」と呼ばれています。しかも、このスクールバスはアメリカの製造技術と基準に基づいて製造されたばかりでなく、新しいIT技術も活用されていて、例えば、車内に死角がないようモニタテレビカメラが3つも用意されている。GPS技術を利用して、スクールバスの居場所を親たちに知らせることができるようになっています。また、学童が乗車する際、個人情報が入力されているICカードを関係設備に当てると、保護者の携帯電話に自動的に学童乗車済みという連絡メッセージが送信され、しかも、保護者たちはスマートフォンを利用して、車内にいる学童の動きをリアルタイムで確認することができるのです。

 このような状況は、中国の都市間では、今までの経済力競争から、こうした福利厚生の充実ぶりの競い合いに突入する時代が訪れていることを示しているといわれています。地域間格差を、国レベルで埋めていくのではなく、各地方自治体による取り組みによって独自性を出す方向にいっているようです。