人間

生物は、長い地球の歴史の中で、生き残るための宿命的な戦いが行われてきました。それは、地球上に起こる気候変動との戦いです。その戦いに敗れ、その種が滅びてしまったものも少なくありません。恐竜といわれる生物は、あれほどまでに地球を制覇し、我が物顔で歩き回っていたのが、全滅してしまったのも、地球上で起きた自然災害だったのです。人類においても、ポンペイの遺跡に見られるように、繁栄を極めた都市でさえ、気候変動のために壊滅してしまったのです。気候変動と人類の進化の相克の中で、人類のあまりにも小さい存在と、逆にその中を生き抜いてきた私たちの祖先の偉大さを感じざるを得ません。

この小さくて、偉大な人類の受け継がれてきた知恵は、どのようなものであったか、そして、それは、基本的に生きていくうえで必要な力であり、次の世代に伝えていかなければならない責任があるのです。このような観点から、もう一度「教育」というものを見直し、生まれながら子ども達はどのような遺伝子を持って生まれ、それをどのように上手に引き出していかなければならないかという観点から「乳幼児教育」を見直す必要があると思います。そして、このような力を引き出していくという点では、誘導的であり、意図を持ったものです。しかし、それは、子どもを誘導しようとすることでもなく、子どもを大人の意図で動かすことでもないのです。ヒトは、とても社会的な生き物であるといわれますが、それは、ある環境におかれることによって引き出されていく力なのです。

先日、ある人と発達について議論しました。私は、常々、発達というものは年齢によって発達していくのではなく、生涯において、どのように変化していくのかという捉え方が必要であると思っています。そして、環境がその変化に影響をし、変化の様子を変えてしまうのだと思っています。それは、ある発達が現れる時期を前後させたり、発達の現れ方も変えてしまうことがあると思っています。そのときに、その人は、「そうは言っても、やはり概ねある年齢における発達というものはあるのではないか?」と言いました。

私も、以前は、発達には大きく分けて二通りあり、身長が伸びるとか、右肩上がりで発達するものもあると思っていました。しかし、最近は、多くの子どもに見られる、ある年齢における発達は、それまでの環境の中に置かれている年数のことであり、その環境は、人が生きていく上で自然なもので、空気を吸い、日の光を浴び、動き回ることのできる空間があり、そして何よりも人と関わる機会が多いという環境で、何年くらい過ごしたかが、年齢に比例しているだけのような気がしているのです。日も当たらず、人とも接することもなく、動き回ることもできない環境、一時「監禁」された子どもたちが話題になりましたが、その子たちは、身長でさえ、いくら年齢がいっていても正常には発達していなかったのです。

どのような環境が、人類にとって心地よかったのか、あるいは、生きていくうえで都合がよかったのでしょうか。きれいな空気が流れ、新鮮な水が沸き、温暖な気候で、食べるものが豊富にあり、敵に襲われる危険性が少なく、ある人数の集団があるということが条件だったでしょう。気候変動がなければ、そのような場所を見つけてそこに住めばいいのです。そこは、ガードされたエデンの園ということで「ガーデン」だったのです。しかし、自然は、そんなに甘くはありません。人を進化させるためにさまざまな試練を与えます。しかし、人間もそんなに弱くありません。その試練に立ち向かい、多くが滅びていく中で、私たちの先祖である「ホモサピエンス」は生き残っていき、次第に「人間」になっていくのです。

この壮大なドラマが、NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」によって描かれていました。