声の育ち

 以前、ことばの獲得についてのブログで、理化学研究所の岡ノ谷一夫さんの研究を取り上げましたが、彼が言葉と歌について、彼の著書「言葉はなぜ生まれたのか」のなかで面白い仮説を展開しています。それは、「人は歌うサルだった?」と言う章です。

 インドネシア・ボルネオ島の熱帯雨林に住むミュラーテナガザルのオスは、大きな声でうたうように鳴くことで知られ、別名「歌うサル」とも呼ばれているそうです。しかし、このサルは「ワ」「オ」という二種類のエレメントしか出せないのですが、この二種類の音を組み合わせ、並び替えることによって歌うとされています。「ワオーオオオワオー」などと聞こえる鳴き声を数キロ四方に、1時間以上も歌い続けることもあるそうです。それは、おもに縄張りを守るためや群れの結束のためだと言われています。すなわち、「警戒」「仲間(隣人)への呼びかけ」「家族内の呼びかけ」「自己アピール」「強い威嚇」の意味があることが知られています。

 岡ノ谷さんは、このミュラーテナガザルが状況によってエレメントの並べ方が異なる歌を歌い分けているように、人間の祖先も状況に応じて歌を歌っていたと考えています。たとえば、ある者が、「今日はみんなでマンモスを狩りに行こう」という意味の歌を歌います。別の者は、「あっちの草原でシマウマを狩ろう」という歌を歌ったとします。すると、お互いの歌を歌っているうちに、二つの歌の中の重なり合う部分が切り出され、このかたまりに「狩をしよう」という意味がついたのではないかと考えました。また、「今日はみんなでマンモスを狩りに行こう」「マンモスを食べよう」と言った二つの歌の共通部分から「マンモス」という単語が生まれたのではないかと言うのです。当然、これには長い年月を要したでしょうが、次第に単語がつくられていったのではないかと言っています。

 赤ちゃんは、さまざまな声の出し方で実に多彩な表現をしています。もちろん、生まれたばかりの赤ちゃんの音域は限られていますし、声の大きさにも限度があります。しかし、その声は豊かな表情を持っています。この声の発達は、普段の子どもの表現の中にあり、それは歌うことにつながっていると静岡大学の准教授である志民一成氏は考えています。そのような研究の中で子どもが歌うことに対して、保育者がどういう考えを持って臨んでいるかが気になるといいます。

 「幼稚園、保育園で子どもたちが歌っている場面を見ると、子どもたちが元気に歌うのはごく自然な姿なのですが、それに対して保育者が「元気に歌えたね」「大きな声が出たね」と、どなったり、がなったりして歌うことを助長するようなことばがけが少なくないように思います。一方、幼児に児童合唱団のような発声で歌うことを求めたり、わらべうたのような音域が限定されるものしか歌わせるべきではないと主張したりする方もいるようです。」と、現場に対して危惧しています。それは、なぜ、子どもたちに歌わせるとか、歌うことによって、どんな力をつけようとしているかがわからないからでしょう。

 子どもががなって歌っているとき、一見して楽しく元気に歌っているように思えますし、子どもたちは、気持ちを発散させているかもしれませんが、志民氏は、子どもは歌って心地よいか、心から楽しんでいるのかは疑問だといいます。赤ちゃんは、生まれてまもなく、母親の声の高さに合わせてて声を出すことが知られています。子どもはそういう能力を生得的に持っているのだと考えると、自分から、上手に、心地よく歌いたいという欲求を本能的に持っているのだと志民氏は考えているようです。

 この、上手に、心地よく歌うというのは、決して音程正しく、美しい声でというのではなく、声の表情の幅を持っているということだというのです。ですから、ただ、「元気に、大きな声で歌えた」というだけの成果で終わらずに、保育の中で、子どもたちの中で何が育っているのかを見取る視点や、感じ取る感性が必要になり、子どもたちの生活や遊びの中での表現の育ちを見通した援助が必要になってくるのです。