倉橋惣三が再評価されている中で、どうも誘導の中の「教育的意図」が一人歩きをしてしまい、誤解を受ける気がしています。それは、特に幼保一体化のなかで「学校教育」の内容が問われているからです。
1歳児でこんな場面を見ました。食事の時間になると、保育士は机の上にエプロンや手拭タオルを広げておきます。そこへ、ヨチヨチ歩きの子等がそのエプロンや手拭タオルの中から自分のものを見つけて、その席に座ります。それは、エプロンや手拭タオルの色や形の違いから自分のものを見つけているのです。しかし、あるとき、ある子のエプロンがないことに保育士は気がつきました。そこで、その子の補充用が入っている引き出しを開けて取り出そうとしました。その引き出しを覗いてみると、数枚のエプロンが用意されているのですが、それらはみな色や形が違うもので、その子のエプロンだという特徴はありませんでした。私は、それなのに、どうして1歳児は自分のエプロンを探し出せるのだろうかと不思議に思ってみていました。すると、保育士さんはこう言ったのです。「何々ちゃん、こっちへ来て、自分の好きなエプロンを出してください!」と子どもを呼んで、自分で選らばせて、自分で出して、自分で席に持って行かせたのです。ですから、以後自分のエプロンを探すことができるのです。
モンテッソーリが、実感したように子ども自ら使いたい教具を取り出すことにより、以前より真剣に遊びに取り組むようになったことから、「活動を自由選択から始める」重要性に気づきます。そして、その活動も、その活動の周期を尊重しつつ、片付けの時間がくると、先生が鈴で静かに合図するだけで、決して無理やりにやめさせることはしません。それは、やがて、子ども自ら一人ひとりが判断して、自分の活動の終わりを決めるようになると思っているからです。そうすることで、「終わるまでやろう」という気持ちを持たせ、「達成感が子どもを育てる!」という信念を持つことになるのです。
また、自分から教具を選択して活動することで、集中して行うようになるということに気づきます。子どもは魅力的な対象があれば、集中して関わるからであり、子どもにとって魅力的な対象とは、自ら選んでいるということが必要なのです。そして、この集中力こそ、知性や情緒の安定など、教育の課題を解決する鍵だと思い、集中力を促す教具、環境の研究を始めます。
倉橋は、「就学前教育に対する周到の用意は、学齢後の教育に正しき基本を与えて、真実にして効果的なる出発を得せしめるものである。」として、就学前教育の主目的を単に「小学校教育に対する、目前的準備効果」におくのではなく、むしろ、「人生の長き教育過程に対して、その基本的任務を担任せんとする」もので「人間の基本教育」であると捉えているという点では、今も肝に銘じておく必要があります。そして、「基本教育」の中味を、「人生教育の全過程に対する基本として、重要なるものは、知能の早き獲得にあらずして、生命の発展勢力の増進と統制とにある。」としています。この「生命の発展勢力の増進と統制」という言い方は面白いですね。自己統制は、知能の成果ではなくして、生活活力そのものであるということは非常に重要なことで、つい、しつけだと思って教え込もうとしがちですが、実は、生活活力であり、それは根の力であり、就学前教育は根の教育であるとしています。この根の力とは、自己発展力であり、それを教育することこそ就学前教育であるとしています。
この自己発展力は「生きる力」であり、その力をつけることは、幼児の活力の十分な解放と十分な機会を与えることが重要であるとしています。ただ、それが、どうして誘導保育になるのかはよくわかりませんが。