ほめる育児

子どもが活動したときに、その活動の達成感を感じ、その活動をより深め、その活動を次の活動につなげていくためにはどのようなことばがけや対応がいいのでしょうか。その有効な手段として「ほめる」ということが言われてきました。しかし、「親たちが、子どもが容易にできることを完成した時に大げさにほめる行為は、子どもたちの自発的に努力するという意欲を失わせてしまう」と指摘されています。一部の専門家はその理由として、こどもは簡単にできることを完成しただけで褒められるのを嫌がるからだと分析しています。それは、自己主張が始まったころに、一生懸命に自己主張している子どもに対して「では、やってみたら?」ということばがけは、子どもにとっては、「聞き流された」と思ったり、「簡単にあしらわれた」と思ってしまいます。子どもたちが望んでいるのは、主張を聞き入れてもらうことではなく、真剣にことばのキャッチボールをしたいからだといわれています。簡単に「ほめる」ことは、同じように思ってしまうのでしょう。また、親のこのような間違った行為により、子どもが本来努力すべきことが長続きせず、真の成功を手に入れるにはどれほどの努力を費やせば初めて獲得できるかが分からなくなると指摘しています。

アメリカに「ハイスコープカリキュラム」という、子どもの自然な発達をもとにした教育的なアイディアと実践の開かれた枠組みが提案されています。このカリキュラムでは、子どもの活動において、計画、実行、再考を大切にしており、最後の再考は「振り返り」であり、次の活動への動機にもなる部分です。ですから、そのときの大人の働きかけ、ことばがけは重要になるのです。しかも、それは、子どもが計画に沿って実行するときの大人の参加から重要になります。まず、大人は子どもが計画していることをきっちり聞き、適切なレベルを挑戦させるための活動を広げるために彼らと一緒に積極的に作業的な活動をしたりします。ですから、「子どもにやらせる」とか、「子どもを指導する」のではないために、大人の質問の仕方は重要です。その内容は、大人は大人が参加するのを助けるために子どもからの情報を探すような質問を強調するのです。たとえば、「どうしたの?」「どうやって作ったの?」「見せてくれる?」「他の子を手伝える?」などと質問するのです。その質問内容は、子どもどうしの相互作用のための言語のモデルにもなります。

このような質問には、決して「ほめる」というような評価はありません。子どもの話に耳を傾け、子どもの言いたい事を真剣に理解しようとし、そのことばのキャッチボールによって、子どもは新しい発見に気づき、新しい考えに取り組んでいこうとするのです。

また、「えらいね、すごいね」と褒めるのはいいのですが、これを続けていると「褒めないとやらない」「見ていないところではやらない」となる傾向もあるそうで、一方、「〜してくれてありがとう」というのは「他者に貢献した行為に感謝している」ので、なにか人の役に立つことをしよう、という意識付けができるそうです。また、英ダビ大学教育学部シニア講師のサイモン・ブラウンヒル氏は、学校の奨励制度には賛成だが、「努力を費やしたからこそ褒美を獲得できる」と主張し、普通に思われていたことよりも子どもの成績が良い時や努力して物事を進展させた時こそ褒めてあげるべきだと言っています。ほかの多くの学者も、学校の奨励制度の中には良い成績や良い行いに対して表彰状やお菓子、しいては金券の提供までをするようですが、子どもからすると、これらのことは一種の「賄賂」にあたり、学習する意欲を失ってしまう原因になるとも指摘しています。

どうも、過剰に褒められて育つと、往々にしてリスクを負いたがらず、努力することに時間を費やすことをせず、自分自身への励ましに欠けるとの結果が出ているそうです。また、子どもに対して早い段階で「君は頭がいい」と褒めてしまうと、却って子どもにとってそのことが圧力となり、その後の活動ぶりは思うほどではなくなるとの結果が出ているようです。どうも、「ほめる」ことでは子どもは育たないようです。