路地とつくばい

 私は、東京の下町で育ちました。下町の家々には、庭というものがほとんどなく、家と家が密着していました。ですから、隣の家の今晩の夕食が何かわかり、少し多く作りすぎると、隣に持っていく「おすそ分け」という文化がありました。ですから、よく私は言うのですが、「東京の人は、隣近所が何をしているかわからない」というのはおかしい表現だと思っているのです。このような下町における子ども達の遊び場は、家と家との間にでる「路地」と呼ばれる空間でした。その空間は、家と家が向かい合っているので、多くの大人たちから見ることができます。以前、私は、「路地裏とは、子どもたちを見守ってくれる父親の背中のようだ」という詩を書いたことがありますが、路地は、まさにそのような空間でした。その地域の人々に親しまれている路地は生活に密着し、住民の暮らしを見守り、コミュニケーションの場でもありました。

 かつて、武家屋敷は広い敷地を持ち、また、寺社も広い敷地を持っていましたが、都市部に店を構える町人は、限られた狭い敷地を住居にしていました。このような商家のことを「町屋」といいましたが、その町屋の家と家とを結ぶ細長い通路が「路地」です。また、その町屋では、間口は狭く、しかも、そのほとんどを店舗にとられていたため、庭は、「通り庭」と呼ばれる細長い庭園として発達していきました。それが、茶室へと繋がる通路ということで「路地」、あるいは道すがらという意味の「路次」の字をあてていました。そして、江戸中期になると、「露地」の字が使われるようになり、「露地」という茶室に付随する庭園となっていったのです。

 この露地には、一般的に、飛石、蹲踞、腰掛、石燈籠などが配されています。そして、次第に、『南方録』に「露地は草庵寂寞の境をすへたる名なり、法華譬喩品に長者諸子すでに三界の火宅を出て、露地に居ると見えたり、又露地の白牛といふ、白露地ともいへり、世間の塵労垢染を離れ、一心清浄の無一物底を、強て名づけて白露地といふ」とあるように、露地はただの茶室に向かう通路というだけでなく、高い精神性が付与されるようになっていきました。
そして、亭主から準備ができたということを知らされると、飛び石をわたって手水鉢まで行きます。神社の鳥居の前にも必ず手水鉢があり、ここで参拝者は手をきれいにするというだけでなく、精神的・霊的な意味合いが強い一種の行事です。水浴みによって体の汚れを洗い落とすと同時に、心の罪、けがれを祓う「禊(みそぎ)」を簡略化させたものともいえ、身を清め、「けがれ」が神域に及ばぬようにします。

 しかし、そのときにいつも困るのは、まず、荷物を持っているときに、その荷物をどうするか困ります。しかも、左右の手を清めるので、荷物を持ち替えてもぬれてしまいます。ですから、どこかに荷物を置く場所があればいいのにと思います。次に、次に、手を拭くのに、濡れた手で、ポケットからハンカチを出さなければならないし、もし忘れていたら濡れた手をどうしたらよいか困ることがあります。以前、どこかの神社の手水鉢のそばに手ぬぐいがかけられていて、手が拭けるようになっていました。

 ここで、茶庭における手水鉢のしつらえに、「おもてなしの心」を見ます。まず、客が手水を使うために乗る「前石」をその前に置き、湯桶を置く「湯桶石」、灯火を置く「手燭石」の役石と、「水門」別名「海」で構成されています。手を清めるときに、持っているものを置く台を左右に配し、水門で、水がはねないように石を敷き詰め、それを、「海」に見立てるとは、庭の中に、広大な自然を取り入れる日本の文化の精神性を感じます。

園に造られた「つくばい」