準備

 昨年、ドイツに行く前に、参加メンバーでのMLによる情報交換をしました。その中で、参加者の自己紹介、現地での様子、見学先の選定、持ち物の確認、そんなやり取りをしていきながら当日に向けてのテンションがあがっていきます。そのように、人は、準備の楽しみがあります。楽しみのための準備の多くは、夢を込めることができるからです。あんなことをしたい、あれを持っていきたい、どんなことが起きるだろうかとワクワクします。そういう意味で、正月は、1年の始まりであるということは、1年の中でこんなことをしたい、どんなことが起きるだろうかとワクワクします。

 多くに人はそうでしょうが、そうでない人もいて、特に私はその思いが特に強いということがわかりました。昨年のドイツ行きでも、私は10年くらい続けて行っているにもかかわらず、行くまでの準備が非常に楽しみです。参加者の中に、初めての海外旅行の人がいると、初めての期待感を共有して、私まで、機内食のメニューの想像、はじめて空港に降り立ったときの感動、初めて外国の草木を見たときの感動、走る車に外車の多いことへの感動など、初めて訪れたときの感動を共有してしまうのです。

 また、準備の期待感には、初めてということだけでなく、今年はどんなところが変わっているのだろうか、どんな取り組みが行われているのだろうか、もし変わっていないとしたら、何を大切に思っているのだろうか、そこから、何を日本に持って帰ることができるだろうかというようなことがあります。

 かつて、小学校の教員をしているときに、土曜日の午後に「父親だけの懇談会」という開を持ちました。もう、35年位も前の話ですので、当時それほど父親の育児参加がされていない時期でしたから、集まった(たった4名でしたが)父親たちは、特にわが子の話はなく、自分の子ども時代の話になり、野山で遅くまで走り回ったとか、地域で異年齢のふれあいがあったという話で盛り上がりました。そして、それに比べて、今の子達はかわいそうだという話になったときに、私は、「かわいそうだと思ったら、何かしたらどうですか?」ということを言い、それがきっかけで子ども会が生まれ、その活動が社会教育映画にもなりました。

 正月のこれから1年が始まるのに際し、「この1年どうなるのだろうか」という不安ならまだしも、「ひどい世の中になるのでは」とか、「こんなことでは、子どもがかわいそうだ」とか嘆く人がいますが、私は、「では、自分からできることからでも何かを始めたらどうですか?」と言いたくなります。そのとき、ただ反対運動とか、大声で叫ぶのもいいでしょうが、私は、実際の実践から具体的な提案をしていかなければ変わっていかないと思っています。反対したり、壊したりするのは簡単ですが、何かを作っていったり、誰でもそこに参加できるような社会を構築していくのは大変です。そして、そこに向かって準備を始めるのが正月の思いで、ワクワクしてきます。

正月とは、もともとその年の豊穣を司る歳神様を迎えて、祝う行事です。歳神とは1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実るように、また、家族みんなが元気で暮らせる約束をしてくれる神様であり、門松やしめ飾り、鏡餅は、歳神様を心から歓迎するための準備だといわれています。

 今に時代の「豊穣」とは、必ずしも作物が豊かに実ることではなく、健康で、豊かな1年が送れることであり、豊かな実りである成果が得られることであり、正月はその準備を始めるときのことをいうと思います。