どう子どもたちに接したらよいかということに迷うことがあります。それは、昔から言われている「子どもにとってよいこと」が、必ずしも子どもにとってよいことではないのではないかと思うことがたびたびあるからです。そのひとつは、昔からの育児を新しい考え方で否定したことが、科学的な検証が行われた結果、昔からの育児のほうが正しかったということや、また、たとえば「母子関係が大切」とよく言われますが、大切なのは、母子関係をどう構築するか、どう接するかということを考えることが大切であり、その関わり方を考えないとならないのに、その言葉だけが独り歩きすることが危険なことがあるからです。そんな中で、それまでの子どもとの関わり方がまちがっていたというよりも、子どものおかれている環境の変化により、子どもに必要な力や、その力をつけるための関わり方の変化のことが多いのかもしれません。
子どもとのかかわりでの変化に大きな影響を与えているのが「少子化」です。子どもが家庭内にも、地域の中でも多かったころの大人と子どもの関係は、上手に適当な距離を持っていました。それは、大人が一人の子どもにだけを相手にできないために、自分でやらなければならないことが多かったので、一人ひとりに、丁寧に相手をすることが求められていたのが、子どもが少なくなると、意識して子どもが自分でやる機会を増やすことが必要になるということです。
そんな子どもが育っている環境の中で、最近考えてしまうのが「褒める」ということです。ある園を訪れたとき、こんなことがありました。ある子どもが私のところに制作物を持ってきました。「ねえ、見て!」それを見た私が、「すごい!すばらしい出来だね!」と褒めたところ、「じゃあ、これあげる」と言ったので、「うれしいけど、よくできたのだから自分で大切に持っていたら?」と答えたら、「なんだ!」といって、それを思いっきり投げつけて向こうに行ってしまいました。どうも、この子は、思いを込めてそれを作ったのではなく、「褒めて」もらいたくて、作ったようで、しかも、いつも褒められなれている感じで、褒められたからといって、それほどうれしいのではなく、なんだか大人を簡単にあしらっているような気がしたのです。
子どもは、よく自分で作ったものをくれることがあります。それは作品のすばらしさだけで判断はしないつもりですが、なんだか、紙を切っただけとか、ただ折っただけだとか、その作品に思いがこもっていない事が気になります。確かに、褒めることで自分に自信を持ち、次への意欲が増すこともあるでしょう。しかし、最近の子どもたちは、ただ「褒める」ことでそのような気持ちになることが少なくなっている気がしてならないのです。
ちょうどそんなことを考えていると、今年の5月末に発売された「間違いだらけの子育て―子育ての常識を変える10の最新ルール」( ポー・ブロンソン,アシュリー・メリーマン,小松淳子 著)の本の中でそんなことを言っていました。この本は、膨大な量の実証研究から、とかく主観的になってしまいがちな子育ての、いわゆる「定石」が、時としては逆効果を生むことが反証データとともに紹介されています。たとえば、「こどもは褒めて伸ばすのが良い」、「嘘つきはいけないことだと教えないといけない」などを例にとり、親という生き物は、子どもの視点でものをみておらず、子育てについての「思い込み」で子どもに間違った接し方をしているということが多いと言うのです。
多くの親は自分の子どもに対して沢山褒めてあげることがその子の自信に繋がると考えているのですが、子どもへの過剰な褒め言葉は反って子どもの成長の妨げになると指摘し、子どもを褒める時にはそのやり方を重視し、状況を考えるべきだと強調しています。では、どんなときに、どのように褒めればいいのでしょうか。
これまで信じられてきた「育児の定石」が、少子化という社会の激変とともに、それが通用しないどころか逆に子どもの自立を妨げ、学校でのいじめや登校拒否、青年期の引きこもりの遠因になっているのではと思うことがあります。子育てにおける「母子の愛着関係」の強調が子どもへの母親の過保護・過干渉に拍車をかけたのではないか?そんな親に限ってやたらと子どもを褒める。そうすることで子どもは育つと信じている。「自尊感情」という言葉が独り歩きする。「褒め殺し」という言葉もあるように、「褒める」ことは両刃の剣。大人は自分の都合のいいことだけ褒める。賢い子どもは褒めることで自分を管理しようとする大人の「下心」を見透かしてしまう。これでは親子の信頼関係はつくれない。もっと大切なのは「認めてあげる」こと。子どもの感情や意志を認めて褒めてあげるなら子供は素直に育つものでしょう。また、褒めるだけでなく悪いことは悪いと正しく叱ることも大事だと思います。
定石というものは取り方によっては怖いものでもあると感じました。ある行動に対してはこう対応すればいいというものではなく、相手の状況に合わせて変化させることが育児においても定石と捉えるべきだと思います。変化できることも定石を用いる上では大事なことで、結局は定石を基本に柔軟にということなのではないでしょうか。答えのない育児に対して定石を参考にしながら、でもそれにとらわれることなく子どもの姿をまっすぐに見ることができるようになりたいものです。
育児の定石、振り返ってみるとはっとする部分があると感じます。確かに子どもが作った作品に上手だね、うまくできたね、などというのは当たり前のように使っています。しかしブログを読むと本当にその受け答えが正しいのか、その子にとって良い返答であったのかと考えてしまいます。その場の状況やその子の今の気持ち、その子の育ち方などよく知っていても難しい部分ではありますね。多くの親がそんなことを考えず褒めて育てているのでしょう。そんな育児の定石を考慮して保育していかなければいけないのが専門家の保育士なのでしょうね。
今回のブログを読んで、改めて自分の子どもの関わり方を考えるきっかけになりました。やはりブログに書いてあるように、子どもが自分で作った作品をくれる事がありますが、だいたいは貰うようにしています。もちろん、その子が一生懸命に作った思いと、おそらく褒められたのが嬉しいという思いがあると思うので、貰っています。ただ、明らかに適当に作った作品もくれる事があるのは確かですが、その時は困ってしまいます。けなすのも個人的に気分が良くないし、もしかしたら、その子が本当に一生懸命に作った作品だったらどうしよう?という思いもあります。その辺の見極めは、やはり一人ひとりの発達理解になると思います。現場では子どもを「褒める」事はよくあると思いますが、やたら褒めるのも確かに成長の妨げになるのは分かります。そうならない為に上手な褒め方、次のブログで勉強させていただきます。
褒めることと叱ることは、車でいうとアクセルとブレーキのようなもの、とある本で読んだことがあります。確かにどちらかが欠けてもいけないし、両方必要ですよね。ブレーキばかりでは前に進まない。なので、基本的には褒めることを多くし、危険だと感じたときにはしっかりと叱るということですかね。あと、褒め方も難しい問題ですよね。結果よりも過程を認め、褒めることが大切だということが次のページに書かれています。褒めると叱る。自分の中では永遠の課題です。
http://youpouch.com/2011/10/12/090038/
「褒める」のが保育の上で最近よく聞きますが、たしかに子どもたちの意欲ややる気に繋げるという部分を考えるとただ褒めるのがいいのか、少し内容が変わってきますね。最近の大人は育児書や保育書を使って勉強している人が多いですね。親だけじゃなく、保育士もですが、先入観が先に出て、実際の子どもたちに目が向かないことがあるように思います。「褒める」という方法論だけでみるのではなく、その目的や内容をしっかりと洞察することが必要ですね。大人の行動は意外と子どもたちはしたたかに見つめているというのをよく感じます。
かつて私も「ほめる」信者になっていた気がします。「子どもは褒めて育てる」と。しかし、このことをよく考えてみると、「褒めて育てる」ことを定石とする大人の私はそのことによって子に何を期待しているのか。そもそも私は大人に褒められて育ったのか。このようにあれこれ考えてくると「褒めて育てる」ことは果たして自然なことなのか、という疑問にぶつかるのです。「褒める」「褒められる」という経験はおそらく皆さん経験していることでしょう。では「褒められて育ちました」という経験をもつ大人は一体どれだけいるのでしょうか。「叱られて育ちました」という経験をもつ大人と同じくらい少数派のような気がします。「褒める」「叱る」の「思い込み」「刷り込み」で右往左往している子どもとともにいる大人たちをよく見かけます。「褒める」「叱る」の意味をじっくりと考えて行動することが大人の私たちに求められます。『親という生き物は、子どもの視点でものをみておらず、子育てについての「思い込み」で子どもに間違った接し方をしている』という指摘はとても重要です。保育園や幼稚園、学校のように子どもたちが集う場に「先生」として従事している専門家の皆さんはなおさら反省しなければならない点だと思います。