人は、大人になっても褒められるとうれしくなります。それは、実績が認められたという評価の一つであるからです。その評価に自信を持ち、より高いものを目指そうとすることもあります。しかし、「褒めて育てる」ということを耳にしますが、この褒めるということは果たしてきちんとした評価をしていることになっているのか、また、褒めることが育ちに何らかの深まりをもたらすことになるのであろうかという疑問を最近よく考えます。というのは、どうも、褒めるという対象を、結果のできばえに対して評価であることが多く、その過程での評価であることが少ないために、次の活動の源や、深まりに結びつかないことが多いからです。
最近、若い人に「うつ」が増えていると言われています。その「うつ」は、中高年に多い従来の「うつ」とは違って青年層に多く、「新型うつ病」とされています。その発祥のモデルとして多いのが、「会社に入る前の自己評価」と「会社の自分に対する評価」のギャップに耐え切れないというものがあります。この原因として、精神科産業医であり筑波大大学院教授の松崎一葉氏は、こう分析します。「個性が尊重される現代社会において、集団の中で沸き起こる葛藤を、我慢をしながら他人と折り合いをつけることを経験しない若者たちは、企業という集団に対応するための十分なスキルを有していないことが多くなるのです。」もう一つの原因について私が考えるのが、小さいころから「ほめられて育つ」ことで、自己評価に甘くなっているということがあるような気がしています。それは、「新型うつ病」患者に見られる性格として、「自己愛が強い」「自分自身のやり方や考え方にこだわりが強い」「根拠のない自信と漠然とした万能感を持つ」があるからです。
内閣府から、平成22年7月に出された「若者の意識に関する調査(ひきこもりに関する実態調査)では、「ふだんどのくらい外出しますか。」という質問に対して、「近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない 」「自室からほとんど出ない」と答えた人を「狭義のひきこもり」、「趣味の用事のときだけ外出する」と答えた人を「 「準ひきこもり」、「狭義のひきこもり」と「準ひきこもり」の合計を「広義のひきこもり」とし、「現在の状態となって、6ヶ月以上」と回答した人で、ふだん自宅にいるときに「家事・育児をする」と回答した人を除いた人数を報告しています。すると、広義のひきこもりの推計数は69.6万人、狭義のひきこもりの推計数は23.6万人、準ひきこもりの推計数は46.0万人ということでした。
この数字が当時ずいぶんと話題になり、その「引きこもり」の概念もずいぶんと変わってきたことを実感しました。どうも、「新型うつ病」と連動している気がします。そして、これらは、少子化とも連動している気が私はしています。その中で、「褒める」ということの再考が求められてきているのではないでしょうか。
イギリスの北ヨーク郡ハロゲイトグラマ学院の心理学部主任のエマ・ドンモア氏は、「子どもは時間と共に自分の成果を感じたいのであって、すぐにほめられたり励ましを受けたりすることを望んでいるのではない」と述べています。このことは、逆に、すぐにほめたり、励ますと、時間と共に自分の成果を感じることが少なくなってしまうということではないでしょうか。
本当に努力し、自分なりの達成感を感じたものに対しては自分でも愛着があり、大切なものであるのにもかかわらず、簡単にできること、簡単に作ったもの大げさにほめられることによって、本当のもの、努力して得られるものが見えなくなってしまう可能性が大きいのだと思います。すると、ほめることが次の努力に結びつかず、次の活動の意欲につながらず、また、活動の深まりにはならないのです。
精神科医の片田珠美先生の『一億総ガキ社会』(光文社新書)によると、日本社会が抱えている問題の根底にある病理は、「打たれ弱さ」「他責的」「依存症」の三つだといいます。その原因として考えられるのは、「こうありたい」という自己愛的なイメージと、現実の自分とのギャップが大きすぎることに苦しむ人が増えたことだと片田先生は分析します。「自分は何でもできる存在である」といった幼児的な万能感をひきずっていて、実際は「それほどでもない」等身大の自分をなかなか受け入れられないからです。これは、「カーリングペアレント」とも呼ばれるように、大人が先回りして子どもの前の石ころを取り除いてやる教育に一因があるとも語っています。打たれ弱さは、不登校やひきこもりに顕著に見られます。大人でも出社拒否や「うつ」という形で表面化していますが、従来の内向的なうつ病に加えて、うまくいかないのを周囲にするような他責的なタイプの「新型うつ」が最近増えているそうです。その症状の特徴は、休日は元気になる。ささいな一言で落ち込む。気分の浮き沈みが激しい。過食・過眠。休職中はスポーツや旅行で元気になるので怠けているとみられる。何より、「会社が自分の脳力を評価してくれない」「上司の指示が細かすぎて、気に入らない」と自分の病気を他人や会社のせいにしてしまう「他責的」な傾向がみられるそうです。この「他責的」傾向は、モンスターペアレントやモンスターペイシェントにも共通します。想像以上に今の日本社会は「病んでいる」。この本を読んで実感するところです。
褒めるということに関して、いろいろと考えさせられました。自分のことを考えてみると、自己評価は厳しめというか、自分が満足していない事を褒められたとしても全く満足できません。他者からの評価は確かにうれいしことではありますが、でも最終的に自分の次の行動につながっていくのは自分の基準での満足がなければ意味はないと思っています。子どもも同じでしょうね。何でも褒めればいいのではなく、自分の思いを達成することを認めてもらうことや次の活動の意欲につながっていくことが褒めることの目的でもあると思います。褒めること自体が目的になってしまうことのないよう、ここでも何が大事なのか、何のために行うのかをきちんと考える必要がありますね。
「褒める」という事は、決して悪い事ではないと思っていた分、少しショックを受けました。ただ冷静に考えてみても何でもかんでも褒めるのは、おかしな事かもしれません。自分が大して努力をしていない事を大袈裟に褒められると、複雑な気分にもなりますし、「これ位でいいんだ」と自分で制限してしまう可能性もあります。結局「新型うつ病」も幼い時に周りから何でも褒められたせいか、自分の自己評価が甘く、それが社会に出たとたんに打ち壊されてしまうのですね。エマ・ドンモア氏の「子どもは時間と共に自分の成果を感じたいのであって、すぐにほめられたり励ましを受けたりすることを望んでいるのではない」今まで私が子ども達に対して、色々な事を褒めていましたが、それまでの過程を見ずに褒めていたのは確かです。しっかり子どもの活動を見て、いかに次の活動に繋がるような言葉がけが大切か分かりました。
自己評価の甘さやギャップにショックを受ける若い人は多いのかもしれません。しかし、人間それを感じることは多かれ少なかれあると思いますが、そこから立ち直ることができないのはなにか原因があるんでしょうね。「褒める」部分、結果ではなく、過程を評価するという目線は大切だと思います。それ以上に、大人と子どもという構図が保育現場で重視されすぎて、子ども同士の関係が希薄になっているのも一つあるのかもしれません。同年代から褒められることや注意されることはとても影響力が大きいように思います。子どもとの関係作り、大人の役割・関わり、時代によって変えていかなければいけませんね。
「褒めるという対象を、結果のできばえに対して評価であることが多く、その過程での評価であることが少ないために、次の活動の源や、深まりに結びつかないことが多い」という今回のブログの冒頭部分のご指摘は重要です。こどもたちは過程について誰かから興味関心をもたれるととても喜びます。そして、いろいろと説明を始めます。説明しながら自分で疑問や課題を提起します。おそらくこのことが「次の活動の源や深まりに結び」ついていくのでしょう。青年層の「新型うつ病」は本当に深刻だと思います。これは国の将来を危うくするものでしょう。とにかく子ども集団が存在する保育園や幼稚園、小中高は「子ども集団」の持つ意味をしっかりと再考しなければならないと思います。現在の「新型うつ病」及び「企業社会」への不適用は現今の「子ども集団」の在り方及びその集団に対する大人の介入の仕方に原因があるような気がします。