未来へ発信する過去からのメッセージ

  法隆寺は、実にさまざまな条件が組み合わされ、多くの建築上の知恵が集結して、1300年余り命を生き生きと保ち、今も未来へと歩を進めています。もちろん、世界には、そのように長い歴史の中で持ちこたえ、今にその姿を維持している史跡も多くなります。しかし、私から見ると、法隆寺ほど自然と共生しながら残っている建物はないような気がします。世界で残っている建物の多くは、石造であることが多く、自然を寄せ付けない、自然と闘う姿勢が見えるのです。ですから、その今に残っているのは、工夫をしているというよりも、朽ちない材料を使っているということで、今に残っていない理由は、人間が作ったものを、自然が壊すのではなく、人間同士の争いで壊されてしまったものが多いのかもしれません。それは、日本の建造物の多くも、自然に朽ちるというよりも、焼き討ちに合うとか、戦火に巻きこまれるとか、特に木造建築ではそのような目にあって炎上してしまったものがほとんどでした。

  このような状況下の中で法隆寺が残ったというのは、ただ昔からの知恵が終結したというだけでなく、その建物が持っている宗教的に意味があったのであろうといわれています。法隆寺専属の宮大工として知られた西岡常一氏がいます。彼は、鉄やコンクリートを使うことを嫌い、木にこだわって、「伝統的な大工の技術」を後世に残し、伝えることにこだわり続けたのは、「飛鳥の工人の足跡」を伝えたかったからだろうと思われています。彼によれば、仏教は日本化されてはじめて真の仏教になったといいます。その仏教の要締とは、自ら武器を持たず、他から武器を突きつけられてもニコニコと微笑している嬰児の無垢の気持ちと、母ががんぜない子を思う慈悲の心をあわせもつことだといいます。法隆寺は、その仏教としてのシンボルであり、天武天皇亡きあと、聖徳太子が聖人化され始めたことが、法隆寺が庶民の手によって守られてきた理由なのだといいます。

  物が後世まで残っていくとか、持続していくということは、物理的な問題だけでなく、精神的にも人々の心の中に残っていかなければなりません。その心も、ある一部の人々の心だけのものであったり、他の心をないがしろにして守ろうとするものであるのであれば、いつかは、時代が変わったときに滅ぼされてしまうのです。今年、NHK大河ドラマで始まった「平清盛」が保護した非常に美しい厳島神社も、清盛だけの心を満足させるものであったのであれば、諸行無常のごとく、打ち壊されていたでしょうが、清盛から離れても、その存在が、人々の心の中に深く残って、愛されてきたからでしょう。

  もちろん、物理的にも、さまざまな知恵がここには集結しています。海上に展開する社殿群は、周囲の自然と一体となった環境をもち、平安時代の寝殿造の様式を山と海との境界を利用して実現させた点で個性的であると同時に、海という自然に逆らわず、かえって自然の驚異を利用する知恵は、まさに法隆寺に共通するものがあります。同時に、ここが宗教的、聖なる空間であることが確かに影響はしていることは確かですが、物が残るということは、物心両面がそろわなければならないということです。

  人類が、今の世まで生き残り、今後も子孫を残していくためには、たとえば医学的な措置とか、生活の改善とか物理的なことだけでなく、生きようとする意欲とか、子どもを作ろうという精神的なことも必要です。最近の自殺の多さ、少子化は、人類が次世代に遺伝子をつないでいくために、物理的に保育園をただ数を作ればいいとか、お金を渡せばいいということだけでなく、何か、精神的なものが欠けてきているのかもしれません。

未来へ発信する過去からのメッセージ” への5件のコメント

  1. もちろん藤森先生はご存知だと思いますが、厳島神社が海上に造営されたのは、「神の島」の宮島 に杭を打ちこむのは畏(おそれ)多いということで、波打ち際に礎石を置き、その上に社殿を乗せる工法を採用したことによります。あの羽田空港の新滑走路と同じ「海上フロート工法」です。これならかなりの高波が押し寄せても、社殿の柱が海底に固定されていないので、壊滅的な被害を免れることができます。海に浮かぶ神殿の景観は、自然と共生の知恵が生み出したものです。私たちは、3・11で多くの人を恐怖に陥れた原発災害によって、文明の進歩と科学の発達に依存した物質的な豊かさが人間の幸福をもたらすものではないことを嫌というほど痛感させられました。人間の心に内在する利己的な欲望にどう向き合うか、これが日本人が直面しているテーマです。温故知新。法隆寺や厳島神社にこめられた先人の「こころ」が教えてくれるのかもしれません。

  2. 自然との共生ということを何度も教わり何度も考えているのですが、自分の今していることが共生につながっていくのかは正直なところ絶対の自信を持てずにいます。ただ、何か行動を起こすときに本当にそのことに対して心を込めているか、本当に納得ができているかということは大事にしてきているつもりです。そう考えて周りにあるものを見ると、ある特定の人たちの自己満足のように思えてしまうものがたくさん浮かんできてしまいます。環境にいいと考えられてるものだとしても、そのことの意味について限られた人の間でしか共有されていなかったりすると、それは長くその地で大事にされることはないんだろうと、残念ながら思ってしまいます。また少し違いますが、とてつもなく高くて大きな堤防が作られようとしていると聞き、作ろうとする人の真剣な思いもわかりますが、その堤防と共に暮らす人たちと自然との関係を考えると、何とも言えない思いになってしまいます。目に見えるものばかりが議論の対象になってしまいがちですが、目に見えないもの、藤森先生の言われる精神的なものの存在についてももっと注目すべき時なんだろうとも思います。

  3.  法隆寺が今もなお綺麗な状態で残っているのは、自然との共生が大きいと感じていました。日本の多くの建造物は人同士の争いの中で失われているのは確かなことです。おそらく法隆寺も同じように失ってもおかしくはなかったと思いますが、こうして残っているのは、ブログにも書いてあるように宗教的に意味があったのですね。天武天皇に続いて聖徳太子が受け継ぎ、庶民が守ってきた。それだけ二人の存在は庶民にしてみれば、大きく、信頼が厚かったのでしょうか。厳島神社も残っている理由は、法隆寺と同じように、平清盛だけでなく、多くの人々がこの風景を残したいという気持ちが強い為に残っているのですね。これは建物だけでなく、最後の方に書かれている、子育てや教育に関しても精神的な物が大切です。物理的な事で問題を解決するのでなく、根本的な考え方から変える事がとても大だと思います。

  4. 何事にも陥りやすいことなのかもしれませんが、形や方法を真似するあまり、その内容や背景を見なくなることが多いように思います。自分自身人に言えるほどできるわけではないのですが、それが意味するものを理解しているか、目指しているかを理解しているだけで、行動や内容の深まり方が大きく違ってきます。法隆寺や厳島神社も形あるものとして、残すことだけではなく、そこにある土着の信仰やその地の文化があるからこそ、そこに住む人々が大切に残してきたのだと思います。子どもたちを取り囲む社会もお金をばら撒くだけではなく、子どもたちに目が向くような社会作りをしていかなければいけませんね

  5. 法隆寺専属宮大工西岡さんの言葉は重く響いてきます。特に「仏教は日本化されてはじめて真の仏教になった」とは、インドで起こった教えがはるばる日本という北東のはての地にやってきて、やっと本来のものとなった、ということであって、その地に生を受けた一人として私自身とても誇らしいですね。法隆寺や厳島神社という「聖なる」人工が、実は限りなく自然に沿う、自然と同化する、ということでその存在を今日までアピールしてきた事実、このことを十分に意識したいものです。人間も自然です。そして自然はバランスです。「人工」も人間の営為の産物であるなら、詰まる所、自然物なのであって、その存続はどれだけ人工が自然であるか、すなわちバランスがとれたもであるか、そのことに拠るのでしょう。このことについては今後いろいろと思索していきたいと思いました。

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