ブラヘイジ2

1950年7月、東京都台東区浅草菊屋橋で(株)萬代屋が設立されました。この会社のスタートは、セルロイド製、金属玩具の販売業でした。その後製品を続々と市場に投入し、70年代には、マジンガーZ、仮面ライダー、80年代にはガンプラ、90年代にはたまごっちといった商品が大ヒットします。1961年には社名を「バンダイ」に変更します。この、バンダイ本社が、駒形にあり、「駒形どぜう」の店舗の道を挟んでの隣にあります。ここが、ブラヘイジで最初に立ち寄ったところです。ビルの脇に並んだキャラクターの前で、思い思いに記念撮影です。

その後、隅田川に架かる駒形橋を渡り、吾妻橋からつながっている浅草通りに沿って歩いていくと、業平橋に差し掛かります。この「業平」とは、もちろん、平安時代に「伊勢物語」を書いた在原業平から採られています。「駒形橋」から上流へ「吾妻橋」「言問橋」と続くのですが、この言問橋の名称にはこんな由来があります。「歌人・在原業平は官位を取り上げられ、無官の時期が10年も続きました。業平はこの時期に諸国を放浪し、東国滞留は数年におよびました。隅田川の渡船で業平が詠んだ歌は、江戸時代になり隅田川に架かる橋を詠唱の「言問わん」から言問橋と名付け、業平が遊歴彷徨した故事を偲び、地名・橋名から名付けられたものと思われます。」と東武鉄道の説明に書かれてあります。この歌とは、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥我がおもふ人はありやなしやと」というもので、この在原業平の「東下り」の故事にちなんで、ここにある「地名や橋名」に「業平」とつけられています。

ただ、東武鉄道では、2012年春に予定されている東京スカイツリーの開業にあわせ、玄関口となる伊勢崎線・業平橋駅の駅名を「とうきょうスカイツリー」に改称すると発表しています。なんとなく残念です。ということで、次の目的は、もうすぐ開業の「東京スカイツリー」の真下に行くことです。東京スカイツリーは、5月22日のグランドオープンに向けて急ピッチで周辺の施設を建設中です。真下からでは、全景を写真に撮ることはできませんし、ましてや人を入れた写真となるとスカイツリーの下の方しか写りません。そこで、地元の人たちでカーブミラーをいろいろなところに用意してあり、そのミラーに映し出された姿をとれば、魚眼レンズのように全景を写すことができます。

そこから、両国に向かいます。まず、立ち寄ったのは、「東京都慰霊堂」です。ここには、私が子どものころにはよく遊びに来ました。そのころは「震災記念堂」と呼んでいましたが、その名のとおり、関東大震災の慰霊堂です。もともと、この場所には陸軍の「本所被服敞」があり、関東大震災が起きた1923年9月1日は公園予定地として更地でした。震災発生後、東京下町の方々から火気が立ち、やがて町中が火の海になってしまったので、ここは格好の避難場所になったのです。しかし、しばらくしてこの地に火災旋風がおきました。多くの家財道具が持ち込まれ、足の踏み場もないほどの状態のなかで火災旋風が起こったわけで、ここで東京全体の犠牲者数の半数以上である3万8000人もの犠牲を出してしまったのです。その後、この跡地に慰霊記念堂が建てられ、震災の犠牲者約6万人の遺骨が納められましたが、その後東京空襲での犠牲者約8万人の遺骨が収められ、名称が東京都慰霊堂になったのです。
もう少し、ブラヘイジは続きます。

ブラヘイジ2” への6件のコメント

  1. ブラヘイジの中身が見えてきました。なんだかワクワクしてしまいます。バンダイとかも訪ねるんですね。参加されてる方々の楽しそうな様子が浮かんでくるようです。で、読んでいて同じく残念だったのが「とうきょうスカイツリー」駅への名称変更です。合併により市の名前が変わってきたことに対しても同様ですが、その名称が土地の歴史を表していて、その土地の様子を想像できるような名前も多かったのですが、そうした歴史がぶっつり途切れてしまうようで少しさみしくなります。とうきょうスカイツリーができて新たな名所となるのはいいとして、駅名くらいはどうにかならなかったのかという部外者の思いです。一度途切れたものはなかなか元には戻らないので、考えさせられました。

  2.  駅名や地名が変わると寂しいと感じるのは、年寄りの感覚なのでしょうね。少なくとも子どもの感覚ではない気がします。
     さて名称が変わることで、過去と現在とのイメージが、がらりと変わることはよくあります。私の中で、その一つに、池袋のサンシャインシティがあります。いまでこそ若者や家族連れでにぎわう複合商業施設ですが、戦後まもない頃は、巣鴨拘置所、通称スガモプリズンと呼ばれ、1944年にはスパイとして逮捕されたゾルゲや尾崎秀実が処刑され、多くの戦犯達が、強制労働をさせられた血なまぐさい場所でした。
     ブラヘイジではありませんが、以前、妻と二人で山手線の線路沿いを二日かけて1周歩いたことがあります。その後、山手線や沿線の歴史を書物で読みました。だいぶ忘れてしまいましたが楽しかったです。
     東京スカイツリー、もうすぐ完成ですね。まだ近くに行ったことはありませんが、職場の窓から先端部分が見えます。その成長の様子は、しっかり写真に納めました。

  3. 関東大震災の直後、後藤新平の英断によっていち早く立ち上がった復興事業。それを担った帝都復興院で土木局長として隅田川の六大橋(下流から相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)の建設事業を指揮したのが太田圓三氏。文化成熟の土台としての都市づくりを構想した彼は、復興のシンボルとして、隅田川を「橋の展覧会」にしたいと具申。アメリカの新技術・ニューマチックケーソン工法を駆使してユニークなデザインの橋を次々と架けていきました。今見てもどの橋もモダンで芸術的です。人や物資の往来のための橋に、文化の味つけをした先人の叡智に「復興」の本当の意味を見出すことができます。

    文化の味つけと言えば、スカイツリーもそうですね。タワーのデザイン監修をされたのが、名高い彫刻家で元東京芸術大学学長の澄川喜一氏。先生の話によれば、「そり」と「起(む)くり」を入れたあの独特な形のおかげで、写真撮影も一工夫がいるようです。

    <建設中の東京スカイツリーに大勢のカメラマンが写真を撮りに来ます。皆、よい撮影ポイントがどこか探すわけですが、結局、ぐるりと一回りしてしまい「アレッ」という顔をします。塔が傾いて見えるところが何カ所もあり、左右対称に見えるところは3点しかありません。一番よい撮影場所はどこか、と探しているうちに、一回りしてまた元の場所に戻ってきてしまうわけです。>

    昨年3月、生臥龍塾の日に、業平橋から完成前のスカイツリーを間近に見ましたが、カーブミラーはグッドアイデアですね。近くには隅田川に映る逆さスカイツリーとかいろんな撮影スポットがあるようです。開業が本当に楽しみです。

  4.  ブログを通してですが、ブラヘイジの内容を詳しく説明していただくと、本当に面白そうですね。いつか参加してみたいと常々思います。過去のブログでは庭園などを散歩していたと思いますが、歴史に関するところを重点的に周るのかと思っていましたが、玩具メーカーのバンダイや今、話題のスカイツリーなど、現代的な場所にも行くのですね。そして、観光名所だけでなく東京都慰霊堂のような戦争、震災で亡くなった人達を思い、今後の自分の人生と向き合うことで、散歩中に少し考えますね。とても大切なことです。ブラヘイジは東京の下町や歴史を学ぶ以外にも、生き方についても学ぶことができるのですね。

  5. いよいよスカイツリーがオープンですね。新しい東京の名所ができましたね。今回のブログは栄枯盛衰を思わせる内容ですね。スカイツリーができるのは喜ばしいですが、昔からある駅名が変わるのはどこか寂しいように感じます。駅名はその土地の歴史や逸話がその名に表されていることが多く、スカイツリーも歴史的なことなので、それも時代なのかもしれませんが、そういった名前が変わるというのは残念に思います。
    さて、今回も色んな場所に行ったんですね。まだまだ、東京のディープなところはたくさんありそうですね。自分自身、ブラヘイジのブログを読むたびに、私も地元のことをもっと知ろうと思う、今日この頃です。

  6. 当ブログコメンテイター各位のご都合もあると思いますので、全員一緒、というわけには参らないかと思われますが、是非ご都合をつけて頂き「ブラヘイジ」にご参加できますようお祈り申し上げます。コメンテイターの私も常に「ブラヘイジ」に参加しているわけではありませんが、参加したときには実にさまざまな発見をします。しかしその時にわからなかったことを当ブログによってわかることがあります。それは玩具メーカー「バンダイ」が「萬代」のカタカナ表記であったという事実です。今回掲載されている「仮面ライダー」のリアル放映視聴者の一人としては大変お世話になった会社の正体の一部を垣間見れて恐悦至極です。さらに、一回りも二回りも違う若者たちとの共通点を見いだせるところにある種の喜びを感じます。東京スカイツリーの足元のミラーには驚きました。あれは「おもてなし」のミラーですね。おかげでいい写真が撮れました。ブラヘイジ、次はどこに行くのでしょうか?楽しみですね

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