先人

瑞巌寺参道

 東北大災害の直後の2011年3月16日朝日新聞に「松島や、ああ松島や――。大津波は、名勝も襲った。「日本三景」の一つ、宮城県・松島は汚泥に覆われ、静まりかえる。多くの観光客も被災し、国宝・瑞巌寺に避難している人たちもいる。」という記事が掲載されていました。震災直後は、情報があまり届かず、どこがどのくらいの被害にあっているのか、どこまで地震による倒壊があるのか、どこまで津波が襲ってきたのかがわからず、ずいぶんと不安だったような気がします。その中で、まず私たちは、東北海岸線にある有名な観光地である「松島」を心配しました。

 松島の中心部を走る国道45号は一部が冠水し、参道前に軒を連ねる土産物店内は、ずいぶんと押し流されてしまったようです。また、伊達家の菩提寺である瑞巌寺の本堂につながる約180メートルの参道も泥で覆われたようです。

しかし、津波は奇跡的に国宝の本堂がある境内に入る門の手前で止まったようです。瑞巌寺の修行道場は、普段は立ち入りできない建物でしたが、観光客や住民たちの避難所をして開放し、約300人が寝泊まりし、修行僧らが食事の世話やトイレの水くみをしたそうです。そして、被災した土産物店からは食料も差し入れられたということです。

 大災害から数日経った4月2日のNHKニュースでは、「今回の大津波は、仙台市で、海岸から5キロ以上内陸まで入り込み、歴史上、東北地方で最大級の津波と言われる平安時代の「貞観津波(じょうがんつなみ)」と同じ規模の浸水範囲になったとみられることが東北大学の調査で分かりました。」と流れました。今回、津波の状況を調査した結果、仙台市若林区では海岸から5キロ以上内陸まで津波が入り込んだことが分かったということで、歴史上、東北地方で最大級の津波だったと言われる平安時代の「貞観津波」でも、仙台市で5キロほど内陸まで入り込んだことが分かっていて、今回の津波はこのときと同じ規模の浸水範囲になったとみられるということです。
 このように、日本では過去に何回か津波の被害にあっています。巨大津波で多くの市民が亡くなった仙台市若林区の荒浜地区から5キロほど内陸寄りに小さな神社があるそうです。この神社は、貞観津波の直後に建てられ、ここまで津波が到達したことを伝える意味で「浪分神社」と名付けられています。平安時代の人たちは、小さな神社を建てて津波被害を後世に伝えていたのです。今回の東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授の調査で確認されました。仙台平野は400?500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いといいます。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言しています。また、国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かったようです。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残っています。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘しています。
 先人は、自然から、真摯に学んでいます。