生まれつき

 人の性格を考えるときに、それは生まれつきかそれともその後の環境によるものかを考えることがあります。それは、性格だけでなく、その人の能力、その人の特性すべてに言えます。人の能力が、生まれつきが多くの要素を占めるとしたら、教育の意味が薄くなります。脳のニューロン、シナプスは生まれてからわずかの間にすべてそろい、その後はそれを上手に削っていくとしたら、生まれて数年でそろっているものが将来作用するということが遺伝の作用であり、その後上手に削っていくことが育つうえでの教育によるものと考えられるのでしょう。「利己的な遺伝子」を訳したことで有名な、現在は総合地球環境学研究所所長である日高敏隆氏は、「チョウはなぜ飛ぶか」「ネコはどうしてわがままか」「動物と人間の世界認識」などの著作に加えて、「人間は遺伝か環境か?」という本を書いています。そこには、私達人間という種では、いったいどの様な遺伝的プログラムが組まれているのだろうかということを考える上で、私達は、自分自身の事を何か別格の存在であると思うのではなく、数多くの動物達の中のひとつの種である事を改めて認識しる必要があると言っています。
私たちは、多くの滅びてしまった人族の中で唯一遺伝子をつないできた学名を「ホモ・サピエンス」と名づけられた種ですが、ホモというのは、ヒト属(人間属)であり、サピエンスというのが種名ですが、このサピエンスという言葉は、ラテン語で「賢い」という意味です。ホモサピエンスという種が現れたのは、いつ頃かあまりよくわかっていないようですが、20万年前とか30万年前であると言われています。しかし、この弱々しい人間の祖先は、どうやって生き延びてきたのであろうかということを日高氏は、「おそらく、人間は少なくとも100人、200人という、相当に大きな集団をつくって生活していたからではなかっただろうか。」と推測しています。そして「集団として自分たちの身を守る事で、ほかの動物を獲物として捕らえたり、食べられる植物を探したりして生き延びてきたのではないだろうか。 そういう事ができたのは、やはり人間の脳が発達していたからであろう。 そのおかげで、お互い同士の複雑な関係をうまく保っていく事ができ、大きな集団となって生きてこられたのだろうと思われる。人間という動物の遺伝的プログラムがどの様なものであるかを考える時、この事は決定的に重要なポイントになる。」と言っています。
つまり、大きな集団の中だと、子ども達はいろいろな人に囲まれて育つはずで、人間の子どもだけが「成人」に達するのに10数年を必要とするので、たぶん大昔から家族というものは存在していたと推測しています。父親がおり、母親かいて、しかもその周りには、祖父、祖母、おじ、おばなど、ほかの家族がいっぱいいたのです。そういう中で子ども達は人々のやっている事を観察し、学習しつつ、育っていったのではないだろうかと言っています。
生き物の種によって、発育と学習の遺伝的プログラムは違っています。そして、そのプログラムはそれぞれの種の個体が生き、子どもを残していく事をめざして出来上がっている筈のものなのです。日高氏は、集団で生き延びてきた人間の祖先であるホモ・サピエンス時代から、数10万年を経た現代社会の問題点、特に親子のあり様、家族のあり様、他者とのかかわり方について指摘されています。それは遺伝的プログラムの具体化が現代では妨げになっているとの指摘なのです。「集団を形成する事によって生き延びてきた人間という動物には、その生き方に沿った遺伝的プログラムが組まれていると考えるのが妥当である。 言い換えれば、人間の発育の遺伝的プログラムの特徴は、ネコその他の多くの動物とは異なって、集団の中で育つ」という点にあるといっています。
人類が社会を形成して遺伝子を残していくということは、遺伝子に組み込まれていることなのです。