子は宝

 いつの世でも、子どもは宝でした。子どもを守るために、何をさておいても子どものことを優先的に考え、社会全体で子どもの育ちを支えようとしました。それは、子どもは未来だからです。子どもは希望だからです。決して、大人の都合で振り回されてはいけないのです。その原則は、いつの時代でもみんなの心の中で共有されていました。
 数週間前に訪れた、長崎県五島にある堂崎教会の庭園には、子どもを抱き寄せているペルー宣教師の像と、堂崎教会を指差して、子どもと二人で立っているマルマン宣教師の像が建っています。
「復活の夜明け」と名付けられたマルマン・ペルー像の説明板には、「1873年キリシタン禁制高札撤去後の日本宣教は、パリ外国宣教会によって行われる。堂崎にはフレノ師につづき初代主任司祭マルマン師が訪れた。マルマン師は1877年より約10年間下五頭全域の宣教、潜伏キリシタンの復帰に努めながら、奥浦慈恵院へと続く孤児・貧児の救済事業を始めた。1888年よりペルー師が2代目主任司祭となり、1899年には井持浦に日本最初のルルド建立、1908年5月10日に現在の赤レンガゴシック様式堂崎天主堂を献堂し30年に及ぶ宣教司牧の日々を堂崎に捧げた。」
 寛政9(1797)年大村藩から五島への移住が始まり、約3年の間に3,000人が移り住みました。彼らは、地区の寺の壇徒となり仏教徒を装い、密かにキリスト教の信仰を守っていたといわれています。日本における江戸時代の教会の歴史には悲惨な物語が多く残されています。それは、五島でも例外ではありませんでした。しかし、明治に入っても、元(1868)年の久賀島牢屋の窄殉教事件をきっかけに奥浦地区でもキリシタンに対する拷問や捕縛、入牢などの迫害が行われました。それが、明治6(1873)年、ようやく禁教の高札撤去がなされるといち早くフレノ師が来島し、この堂崎の浜辺で五島初のクリスマスミサが捧げられたことが地元で語り継がれています。明治10年には司祭が常駐するようになり、五島での本格的な司牧が開始され、以後島内各地に小教区制度が整うまで、堂崎は五島キリシタン復活後の拠点としての重要な役割を果たすことになるのです。
 宣教師達が五島にやってきた明治の初期、当時の五島の人々の暮らしは非常に貧しく、赤子が生まれても食べさせることができず、間引きといって密かに闇に葬らざるを得ないほどの状況にありました。この悲惨な状況に心を痛めた宣教師はすぐに子どもを引き取り、近隣のキリシタンの乙女達を集め世話をさせました。その頃、宣教師が通りそうな道端には赤子がそっと置かれていたこともありました。彼女達の何人かは独身のまま子ども達に奉仕する道を選びました。困難に満ちた子育ての日々を、彼女達は希望を持って命の尊さを賛美し、祈りながら多くの子どもを育て上げ社会に送り出してきたと言われています。
フレノ師についても子どもに関する様々な逸話が残されています。幼きイエズス会のシスターが作った小学校が、改変され幼稚園を開園した際、幼児教育の重要性を説いたのですが、親たちが、貧しさゆえに月謝が高いとこぼしているのを聞いてシスター・マリ・マグダレーヌに月謝を下げるように注文に行ったそうです。「マリさも、幼稚園の親が、月謝が高いと言うぞ。遊んでばかりいるのに30銭もとって。毎日1銭ずつもたせるからよかろうがというとるぞ」しかし、結局、月謝はまけてもらえなかったもののシスター方は宗教教育に力を入れ、両親の理解を得たと言われています。
 子どもを優先に考える世の中であったほしい気がします。

子は宝” への7件のコメント

  1. いつの時代も子どもは宝ですね。昔の出来事で当時貧しかった為、食べて行く事ができず「間引き」という事があったのは悲しいですね。しかし、裕福になった日本で減らない虐待問題やそれ以上の事件が無くならないのは悲しいどころの出来事ではありません。全世界でそうなればいいと思いますが、本当に子ども一人一人の事を考えて大切にできる世の中になればいいですね。

  2. 子は宝、この言葉に反対する人はいないでしょうが、これをどう行動で表現していくかが難しいところなんでしょうね。最後に書かれている「子どもを優先に考える世の中」を目指すことが私たちのすべきことなんでしょうが、どうも何かが違ってきているような気がしてなりません。物事をもっとシンプルに考えていけばいいだけのように思いますが、そうはいかない事情がいろいろとあるんでしょう。かくいう私もまだまだ思考や行動を改めないといけない事がたくさんあるので、まずは自分から変えていこうと思います。

  3. さすがに、現代では貧困からくる間引きや子捨ての習慣は無くなりましたが、育児拒否や児童虐待は減ることはありません。毎年多くの子どもたちが、親の手で尊い命を奪われています。家庭も子どもたちにとって決して安心して成長できる場所ではなくなったのでしょうか。虐待の兆候があっても地域や警察や相談所も機能しない社会の不備。虐待を見つけたら、たとえ親でも即逮捕すべき。子どもは親の所有物ではなく、人格を持った生命として絶対的に尊重されるべきです。

  4. 日本に渡来して来た司祭たちの涙ぐましいまでの貢献にはいつも感動します。子どもたちは神の子である、という意識が来日の司祭たちの気持ちの根底にあったような気がします。私たちが「子は宝」と言う場合は、今回のブログに冒頭部分に書かれてあるように「何をさておいても子どものことを優先的に考え、社会全体で子どもの育ちを支えよう・・・子どもは未来だからです。子どもは希望だからです。決して、大人の都合で振り回されてはいけない」ということです。社会の豊かさ、それは子どもたちを第一に考え実践するところにあるような気がします。私たち保育に従事するものにとって「いろいろな保育」はありえません。あるのは「子どもの最善の利益」を考え実践する保育のみです。

  5.  皆さんがコメントで口を揃えて言われるように「子は宝」ですね。これはどの時代にも通用する事です。大人の都合で子どもを振り回すのは、良くないですね。おそらく、どの人も子どもは大切だという認識はあるかと思いますが、ただ考え方によっては、おかしな方向に進む場合もあるような気がします。子どもの為と言って何でもやってあげる大人、与えてしまう大人、これは「子は宝」という言葉を勘違いしていると思います。「子どもは未来、子どもは希望」とブログの前文に書いてあります。日本はまだまだ子どもを優先に考える世の中ではないような気がします。少子化だからこそ、子ども一人ひとりを大切にして欲しいと思います。

  6. 2回目のコメントです。「逝きし世の面影」(渡辺京二著)は、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の目を通して、急激な西洋化で失われた「江戸文明」とも呼ぶべき日本人の原風景を描いた秀作です。第10章「子どもの楽園」には外国人たちが異口同音に幸福に満ち溢れた子どもたちの様子を語っています。

    <私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国は無い。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい。>

    <親は子どもの面倒をよく見るが、自由に遊ばせ、ほとんど素裸で路上をかけ回らせる。子どもがどんなにヤンチャでも、叱ったりするありさまを見たことがない。その程度はほとんど溺愛に達していて、彼らほど愉快で楽しそうな子どもたちは見たことがない。>

    <父も母も自分の子に誇りを持っている。毎朝六時ごろ、十二人から十四人の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれ自分の腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。>

    <子どもたちは、遊びの際に自分たちだけでやるように教えられている。家庭教育の一部は、ゲームの規則をならうことである。規則は絶対であり、疑問が生じたときは、言い争ってゲームを中断するのではなく、年長の子どもの裁定で解決する。彼らは自分たちだけで遊び、たえず大人を煩わせることはしない。>

    <日本の赤ん坊はおんぶされながら、あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで起るあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間智を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ。>

    総じて、外国人の目に映った日本の子どもたちは、他のいずれの国の子どもたちより多くの自由を持っていて、大人に見守られながら、彼らだけの独自の世界を持っていたようです。江戸時代は、見守る保育が当たり前だったようです。

  7. 五島列島にもそういった歴史があったんですね。今も子どもが捨てられたり悲しいことはありますが、昔はもっとそういったことは多かったでしょうね。キリシタンが多く五島にいたというのは知りませんでしたが、そこで、多くの子供たちは救われたんですね。決して、親も子どもを殺したくなかったでしょうが、そうせざるを得ない環境は時代の悲しさを感じます。子どもたちは自分で判断できてもそれを行動できるだけの能力はありません。だからこそ、大人が自分の都合で子どもを巻き込むのは避けなければいけませんね。

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