赤ちゃんの教師

 赤ちゃんたちは、キョロキョロします。歩いているときも、食事をしているときでも、もちろん遊んでいるときでもキョロキョロと周りを見回します。それは、何かいたずらするものはないか、なにか壊すものはないかと、大人の社会を壊そうとしているかのようにものを探しているかのようです。また、歩いているときには、早く目的地につきたいという大人の気持ちをからかうように、わざと途中で何かを見つけて立ち止まったり、何かをしたがって大人の手を引っ張ります。食事のときでも、早く、目的量を食べてほしいと思っている大人をからかうように、わざとゆっくり、あちこちに手を出したり、すぐに口に持って行かずに余分なことをして時間を延ばそうとします。
 このような赤ちゃんの行動は、特に忙しい時、急いで時に限ってするように思えてイライラします。「まったく もう!」「はやくしてよ!」「いつもこまらせるんだから!」と怒鳴りたくなります。そんな思いはよそに、赤ちゃんはマイペースです。大人の気持なんか無視しているようです。
 赤ちゃんは、本当に大人を困らせようとしているのでしょうか。大人をからかっているのでしょうか。また、その子は、やることが遅く、将来、心配な子なのでしょうか。気になる子なのでしょうか。いや、決してそのような子ではありません。その子なりに、将来のための学びをし、一生懸命に生きているのです。しかも、大人よりもすぐれた学び方をしています。それは、一生懸命というのは、必死の覚悟でという大人と違って、「遊び心」満載なのです。そのために、大人をイライラさせるのかもしれません。「遊び食い」という言葉がありますが、子どもは「遊び歩き」「遊び排泄」「遊び着脱」というように生活自体を楽しんであるかのように見えます。しかし、そんな生活の中から、赤ちゃんはいろいろなことを学んでいるのです。周りの物や人などさまざまなものから学ぶために、まず好奇心や探究心を持ち、その環境に関わろうとするのです。それは、実際に触ったり、実際に経験することで学ぶからです。
 赤ちゃんは、身の回りの環境からいろいろなものを学びますが、環境の中で特に影響を多く与える環境に母親の存在があります。母親のやることをじっと見ていたり、母親のまねをしたりしますが、赤ちゃんにとって母親からの学びは必要ですが、十分ではありません。他の人からも影響を受けます。その時に、母親の存在は、学ぶ対象ではなく、自由遊びでの探索行動の安全地帯として母親を使うようになります。そして、取り乱した時には探索行動に戻れるように、母親から安心感を得るのです。そして、赤ちゃんは、母親の援助を受けにとして利用するのではなく、主体的に使っていきます。そして、遊ぼうとする対象を、父親やきょうだいをはじめてして、さまざまな人との関係から学んでいきます。たとえば、乳児は母親とよりも父親と遊ぼうとすることが報告されています。
 もし、家庭に母親以外の人もいるようであれば、乳児は相手によって接し方を変え、複数の関係を作り上げていきます。そして、3歳になるまでには、子どもは相手によって求めるものを変えると言われています。相手をよく見ているのです。たとえば、子どもは助けが必要な時には親を、遊びたい時には同年齢の友達を、何かを教えてほしい時には年上の子どもを選ぶことを見出しているといわれています。この時期に、もし、母子家庭で、母親とだけしか接することがなければ、母親は遊び相手や友達の役割をも求められることになるのです。
 社会的発達のパラダイムは、子どもの初期の人間関係の経験が後続の人生に影響を及ぼしますが、この初期の人間関係を母親との関係のみによって決まるわけではないということが最近分かってきています。乳児は、母親、父親だけでなく、きょうだい、あるいは血縁関係のない養育者とも愛着関係を同時並行的につくっているといわれています。

赤ちゃんの教師” への6件のコメント

  1. 人は多くの人と関わりながら影響を受け、人格を形成していくと学びました。しかも母親だけではなく、それ以外の人からの影響もかなり重要だということです。今回のブログに書かれているように、赤ちゃんにとって必要な人や役割はほんとうに様々です。母親との関係だけを重視するのではなく、それ以外の役割を持った人との関係をいかに生み出すことができるかが私たちの大きな役目だと再確認しています。赤ちゃんにとって、子どもにとってのソーシャルネットワークということをあらためて学んでいこうと、今回の研修で課題をもらいました。

  2. 「哲学する赤ちゃん」では、うろうろキョロキョロ、あちこち探索活動をしている時の赤ちゃんの心を「ランタン型意識」と読んでいます。赤ちゃんは、何か一つに集中するのではなく、すべてのものを同時に鮮明に意識することで、一種の至高体験、至福の感覚が得られるとあります。生まれたばかりの赤ちゃんは、見るもの聞くものが珍しくて何もかもが興味と好奇心の対象で、触ったり、引っ張ったり、口に入れてみたり、本当に大人には厄介な存在です。アリソン・ゴプリックによれば、大人でもこの「ランタン型意識」を疑似体験できるそうです。たとえば、見知らぬ外国を旅する時に、見たこともない新しい情報がどっと押し寄せてきて、どれが大事か自分で選べない状態になります。そして注意と意識が高揚して、時の経つのも忘れるほど幸福なひと時を過ごすことができます。赤ちゃんも、人間世界にやってきて、人生という旅を始めたばかり。何をしても楽しくてしょうがないのでしょうね。

  3. 何だかよくわかりませんが、乳幼児に大声で指示を飛ばしたり、叱りまくる大人をみると、その大人は乳幼児の頃大声で指示されたり叱られたりしていたのだろうとかわいそうに思えます。乳幼児期の体験は初等教育以降の子どもやその後の大人と異なって容易に客観化できない分、もしかすると無意識の原体験としてその人の中に残り、薫習して、やがて大人になって自分がやられたように乳幼児に対してやってしまうことにつながっていくのかもしれませんね。乳幼児の「遊び」を大切にしたいですね。と同時に、乳幼児のまわりには様々な経験体験をつめる環境があって、その中には大人もいれば発達の少し異なった子どもたちもいてさまざまなに作用する。これぞ社会。同時並行愛着関係の形成を専門家集団はしっかりと考えなければなりませんね。

  4.  現場で赤ちゃんの行動をよく見ていると、何を考えているのか?何をしたいのか?と大人から見ると、意味不明な事をしているかもしれませんが、赤ちゃんにとっては生きる為の行動であり、決して意味の無い事はしていないのですね。そして目の前にいる他の子どもを見て、自分も学び人と関わりながら発達していくのは思ってもいませんでした。それだけ赤ちゃんにとって周りの環境というのは、とても重要になります。この時期に家の中で母親と1対1で過ごす事は、学ぶ機会が減り、ブログには後世の人生に影響を及ぼすと書いてあります。赤ちゃんの時期こそ、たくさんの人と関わり、色々な事を経験していくことが、とても重要なんですね。

  5. 赤ちゃんを見ていると本当によくわからなくなりどうしたらいいかわからなくなることがありましたが、藤森先生のお話やブログで見方がだいぶ変わりました。とは言ってもたかが知れていますが。
    何もしないでずーっと座って20分程いる赤ちゃんがいました。一見なにもしていないように見えましたがよく見ていると私のことであったりお友達のことであったり、持っている玩具を見ないで触れて感触を確かめてみたり、押して音が出る玩具を見ないで押して玩具の性質を理解しようとしたりとしっかりと五感をフルに使っているように見えました。そうやって数分でも赤ちゃんは大人より得ていることが遥かに多いのだと実感しました。なのでお母さん以外にも人の環境、物の環境をたくさん用意していかなければならないのですね。

  6. 赤ちゃんの時代にたくさんの人に合わせると将来人見知りになりにくいというのを以前どこかで聞いたように思います。赤ちゃんはそれぞれいろいろな環境やコミュニティーを通してつねに学んでいるんですね。家族構成はどの人もそれぞれの役割がありますが、今はその家族構成は昔とは違ってきています。その中で、保育園などの教育機関は家庭とは違った役割を担わなければいけません。そのためには、保育者と子どもといった構図だけではなく、子ども同士のかかわりを十分にできるような環境を用意することは今の時代に求められていることかもしれませんね。

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