ヤマト

人類の特徴として「道具を使う」ということがあります。これは、ある猿やカラスなどにも見られることで、石を使って物を割ったり、棒を使って穴から掻き出したりします。しかし、道具としてちょうどいいものが見つからないことがあります。そこで、ちょうどいいように工夫します。石を割って手頃な大きさにしたり、木の枝を剥いで棒にしたりします。そのうちに、もっと楽にできるように、もっと効率的にできるように改良していったでしょう。そうなると、人類だけができることになります。そして、改良だけでなく、その道具を、道具を使って作るようになっていきます。そして、さまざまな道具を使って、効率的に家をつくったり、着るものをつくったり、食べるものをつくったりしたでしょう。
私たち人類は、そのような経緯からか、ものをつくることがしたくなるようです。小さい子に、積み木を与えると、それを積み上げ、そして家をつくり、身の回りの物を真似してそれをつくろうとします。紙を与えると、それを切り貼りして、いろいろなものを作ろうとします。空き箱があると、それらをいくつか使って大人から見るとなんだかわからないようなものを作ります。その行為は、人間しかできないことであると同時に、人間としての成長に役にたっている気がします。
そんな思いを達成させてくれたのが小学生から中学生になるとハマるプラモデル作りです。それは、いつの時代にも繰り返され、最近の「ガンプラ」の大ヒットを受けて起きたリアルロボットアニメブームでは、プラモデルは主力商品に位置付けられました。しかし、このガンプラブームも近年は漸減傾向にあり、飛行機やAFVなどスケールモデルは大幅な衰退傾向にあるようです。経済産業省の工業統計表によると「プラスチックモデルキット」全体の出荷額は、1998年の199億円に対して、2007年は113億円と大幅に減少しています。どうしてこんなにも減ってきたかというと、急激な勢いで進む少子化と、縮小する市場のパイをめぐってのテレビゲーム等の他の玩具との競争が要因としてあげられています。また、最近の子どもたちは、次第に、細かいものをつくることが面倒臭くなってきたこともあるような気がします。ボタン一つで操作できるゲームなどに人気が集まります。
私が子どもの頃は、以前のブログでも書きましたが、雑誌の付録にある紙工作にはまりました。丁寧に糊付けをして組み立てていくと、紙からこんなものが作れるのだと思うくらい精巧にいろいろなものが出来上がります。縁日で買った付録は、作り方が本誌に掲載されているために、付録だけ買うと作り方がわかりません。そこで、試行錯誤しながら、なんとか作る楽しみがありました。それが、次第にプラモデル作りにはまっていきます。その中心は、戦艦や戦闘機でした。そして、必ず一時凝るのが「戦艦大和」です。「戦艦ヤマト」ではありません。1960年にタミヤのプラモデル第1作目として1/800スケールの戦艦大和を発売されます。同時期に栃木の模型メーカーである日本模型(ニチモ)が同型艦武蔵の1/750スケールキットを350円で発売します。戦艦は、非常にパーツが複雑で、それらがそろうととてもかっこよく見えました。それが戦う船であるとか、敵の船を沈めるための砲台であるとか、そんなことは当時何にも思わず、その姿の美しさに魅せられたのです。先日、呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに行って10分の1の戦艦大和の模型を見たときに、そのスケールの大きさに驚くとともに、子どもの頃にプラモデルにはまったことを思い出しました。
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この戦艦大和が「宇宙戦艦ヤマト」として、また現代によみがえりました。そこでも、その船体の美しさにひかれた少年がいました。園の学童クラブに来ている子に、そういう子がいます。船体を得で書いたり、積み木で船体をつくったり、木片を使って船体らしきものをつくったりしています。いつの時代でも、このような姿に魅せられる子はいるものですね。
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ヤマト” への6件のコメント

  1. ガンダムに続いて宇宙戦艦ヤマトとは、懐かしいかぎりです。ヤマトを見るたびに子どもの頃から感じていることに、不思議なバランスの美しさがあります。上手く説明できないのですが、船は水中に隠れている部分が意外とスリムな作りになっていて、それが宙を進んでいる姿に何とも言えない違和感を覚えます。宙に浮かんで進んでいくものとしてはバランスを欠いているような気がして、その不安定さが余計にわくわくさせてくれました。頭の重たいコマが自立するのに感動するような感じです。やっぱり上手く説明できていませんね。とにかく宇宙戦艦ヤマトは、興味を持つ対象も様々で、美しさの感じ方も様々なんじゃないかと思わせてくれる思いでの1つです。

  2. 戦艦大和は日露戦争後の米国との軍拡競争が生んだ巨大戦艦です。当時米国海軍は、大西洋に抜けるためには33.5m幅のパナマ運河を使うために、新造艦の最大標準を35,000t級、艦幅を33mとしました。これだと40cm砲×8,9門が精一杯なので、それを見越した日本海軍軍令部は、46cm砲9門搭載で艦幅39mの大和を建造したわけです。この「大艦巨砲主義」は、航空兵力による機動力重視の世界の趨勢に後れを取る原因となり、沖縄戦での大和の悲劇的な最期を招きます。真珠湾奇襲で、戦艦が無用の長物になったのが、1941年12月8日。大和が竣工したのが1941年12月16日。皮肉なことに、戦艦大和は誕生の瞬間にその存在意義を失ったわけです。

  3.  まず写真の「戦艦大和」は模型とはいえ、大きさに迫力を感じます。実際に見るともっと大きく感じ、感動するでしょうね。そんな戦艦大和がタミヤで始めて発売されたプラモデルなんですね。当時の子ども達にとっては、自分の手で大和を作り上げる事に興奮し、夢中になる姿が思い浮かびます。そんなプラモデルもテレビゲームの影響により、購入者がかなり減ってきているのは、ブログに書いてあるように、細かいパーツがたくさんあるので、面倒くさいというのが一番の原因かもしれません。それもあるかもしれませんが、親の影響も多少はあるような気がします。自分の親が楽しそうにプラモデルを作っている姿や、綺麗に出来上がった作品があると、自分も作ってみようと思うかもしれません。まぁ子育てをしながらのプラモデルを作るというのは、なかなか辛いかもしれませんが・・・。ただプラモデル限定というわけでなく、何かを作るという作業の楽しさを、少しでも子ども達に伝わり、二枚目の写真のようにブロックで「ヤマト」を作る、子どもが増えると嬉しいと思います。

  4. 先のブログコメントで触れた父が作った模型の「戦艦大和」。父は船乗りになりたかったようです。しかし、船乗りになるために入学した水産高校を退学することになりました。以後、木造家屋を建築する大工となるわけですが、海への思いは捨て切れなかったのでしょう。全長1メートルの「戦艦大和」の模型を作り、思いの一端を表したのだと思います。小学校高学年になった私は父の拵えた模型の「戦艦大和」をどうしても海に浮かべて走らせてみたかったのです。確か父がいない時を狙って、その全長1メートルの模型を弟や友達と一緒に持ち出し、ついに海に浮かべ、走らせてみました。ところがみるみるうちに浸水し始め沈没しそうになり、怖くなって、模型を抱き上げ、抱えて家路につきました。持ち運ぶ途中で乾き、いつも置いてあるところにそっとおき、後は何事もなかったように別な遊びに興じました。父は気づいていたかどうか。気づいていてもおそらく私にどうのこうのということはなかったと思います。父は私のやることに反対したことはありませんでした。

  5. 私の時は大和が売り切れでなくなく、「武蔵」を作ったのを思い出しました。兄と一緒にできたプラモデルを眺めていたのを思い出します。しかし、最近は子どもの為というものから、大人のためになってきているように感じます。それは子どもが買わなくなったのとプラモデル世代が大人になったというのを見た玩具会社の戦略かもしれないですね。子どもたちが作った戦艦大和は凄いですね。自分の想像力と発想をフルに使った感じが伺えます。物を実現するための根気・想像力、出来たときの達成感はゲームでは味わえないだろうなと思います。今、子どもたちが根気をつかって作り上げる環境も少ないように感じます。保育環境で「やりこむ環境」というのは子どもたちにとって必要ですね。

  6. 最近のこどもたちがプラモデルをやらなくなってきている原因として細かい作業で面倒くさいからというのはちょっと悲しいですね。私も小さいころはティッシュの空き箱や、クッキーの空き缶などを使っていろいろなものを作ったのを覚えています。その後、レゴブロックやプラモデルなどをやるようになりました。小さい頃からそういった製作などをしてきたことで何を作ろうかなどのイメージや手先なども器用になっていったと思います。何かを作ったりイメージしたりすることで発想力や想像力などの力が養われていくのだと思いました。子どもが取り組んでいる製作や遊びはとても重要ことなのですね。 

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