プラモデル

 昨日まで、全高18メートルの実物大ガンダム立像のパーツが、お台場シンボルプロムナード公園 セントラル広場に、展示されていました。2009年の夏に、機動戦士ガンダムのアニメ放映30周年を記念して、お台場に実物大ガンダム立像が展示され、約415万人を動員しました。また、2010年7月には東静岡「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」内に「RG1/1ガンダムプロジェクト」として、ガンプラ生誕30周年を記念して展示されていました。その立像を、ちょうど静岡に妻と徳川秀忠の史跡を巡るために行ったときに見ることができました。その時に、久能山東照宮を訪れたとき、その参道にガンダムのプラモデルが飾られていました。しかも、そのガンダムが「家康公ガンダム」を中心とした武将たちをモデルにしたものでした。
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 最近、「機動戦士ガンダム」のシリーズに登場するモビルスーツ、モビルアーマーと呼ばれるロボットや戦艦などを立体化したプラモデルの総称である「ガンダム+プラモデル=ガンプラ」に人気があります。もともとは、TVアニメ「機動戦士ガンダム」が放映され、その翌年の1980年7月にバンダイから発売された「1/144スケール ガンダム」と「1/100スケール ガンダム」が初めだそうです。実は、このバンダイをはじめ、世界でも有数の総合模型メーカーである田宮模型、ハセガワ、フジミ模型など静岡県はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%だそうです。
 どうして静岡なのかといういきさつが徳川公ガンダム模型の下に書いてありました。「その起源をさかのぼると、徳川家康公も崇敬された静岡浅間神社や、久能山東照宮の造営に際し、日本各地から優秀な職人が集められたことにあります。
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造営が終了したのちも、職人は静岡(当時は駿府)に残り、雛人形や竹細工などの木工細工に携わりました。その技術が昭和に入り、木製教育玩具や木製教材を生みだし、戦後になり木製模型が製作され、プラスチック模型につながったのです。」
ちょうど私が小学校に入学したころ32年には、模型飛行機大会と模型のボート大会が開催され、テレビ受信契約ようやく50万超えました。そして、その翌年33年に、マルサン商店から国産初のプラモデルである「ノーチラス号」など4点が発売されたでのす。「プラモデル」という言葉は、マルサン商店が考案した登録商標で、「プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ、人形」ということで1960年9月に登録されています。しかし、1975年からは、日本プラモデル工業協同組合が権利を所有し、組合員は自由に使用できるようです。
世界で最初に発売されたプラモデルは、イギリスのラインズブラザーズ社が、1936年に発売したフロッグ・ペンギンシリーズの1/72に統一された航空機のキットでした。当時の新素材であったプラスチックで模型を作る技術は、イギリス軍が教育に使用する航空機や軍用車両等の識別用モデルをプラスチックで作る技術を応用したものだったそうです。 日本にプラモデルが渡ってきたのは、アメリカでプラモデルが普及を始めた1950年代初めに在日米軍関係者によって持ち込まれたものでした。
私の世代は、みんな競ってプラモデルをつくりました。1960年頃からの少年誌はプラモデルの広告・懸賞ばかりでした。その作る対象は時代によって変遷していきます。1950年代後期から1960年代は、戦記映画の人気や雑誌・出版物での第二次世界大戦戦記特集に影響されて軍艦や飛行機などの実物の縮尺模型が主でした。それが、1960年代後半になると「サンダーバード」シリーズのようなキャラクターモデル、その後、スーパーカーブーム、ブルートレイン・エル特急ブームによるプラモデルがブームになり、1980年代前半のガンプラブームにつながっていきます。

プラモデル” への8件のコメント

  1. 藤森先生のすこし下の世代ですが、当時の男の子でプラモデルを作らない子はほとんどいなかったのではというくらいポピュラーでした。
    プラモデルのために中学生時代、家業の雑誌配達でバイトしました。
    飛行機と船ばかり作っていましたが、お城シリーズや国宝建物シリーズにはまり、その後鉄道模型Nゲージとジオラマ作りにのめり込んだ経験が、園庭改修にも活かされています。

  2. ♪タッタカタ~ タカタッタ タッタカ タッタッタ?♪いや~サンダーバード懐かしいですね。まだ小学生だった私は、毎週欠かさず観てました。毎週日曜日の夜6時、この軽快なテーマ音楽が鳴り出すと、どきどきわくわくしたものです。世界中で困っている人がいればどこへでも駆けつけて、勇敢に困難と立ち向かい、尊い命を助けてくれる国際救助隊。スクランブル出動の段取りもかっこよかったですね。リビングの壁が反転して滑り台で機体まで自動的に隊員が運ばれていく。1号は偵察任務のため、いち早く現場に到着する超音速ロケット。2号は救助用機材を運ぶ大型輸送機。3号は宇宙往還ロケット。4号は特殊潜航艇。5号は宇宙ステーション。トレーシー5人兄弟の名前が当時の米の宇宙飛行士から取っているのもおもしろいですね。秘密諜報部員のペネロープ嬢の声が黒柳徹子さんでした。あの人はテレビ草創期から活躍している「生きた化石」のような人です。

  3. ガンプラには夢中になった世代です。自慢の作品を持ち寄ってはガンダムごっこをしていたことを懐かしく思い出します。静岡にある田宮模型が雑誌などに紹介されるのを見るたびに、静岡にあこがれを感じていました。今でもガンプラを作り、その出来映えをコンテストで競っている職員もいます。ただ作り上げるだけでなく、どのように色づけするかといった人によって様々なこだわりや楽しみが持てる点も、プラモデルのおもしろさの1つなんでしょうね。

  4. 「今は昔」ですが、不器用の代名詞のような私も小学生の頃は「戦艦」の模型作りに没頭した時期がありました。父が戦艦大和の模型を作っていました。全長1メートルほどあったでしょうか、とても格好がいいので、それに触発されて、それよりは小さめですが、戦艦長門、戦艦陸奥、戦艦榛名、戦艦武蔵、そして戦艦大和などを作っていたのです。よくやったものだと幼き頃の自分に感心しております。残念ながら、「ガンダム」の時代は、大学生になっていて、アニメはもちろん、テレビの類をあまり見なかったので、「ガンダム」という言葉は知っていましたが、それが一体何か、わかっていません。「マジンガーz」みたいなものかなと推測して終わりでした。職場の20代30代の男性職員が「ガンダム」話に花を咲かせているのを見るとその影響力の大きさを伺い知ることができます。

  5.  私の友人でプラモデルや造形、とにかく作ることが好きな人がいました。その友人はガンダムではなく、ミリタリー系が好きでジオラマも作るほどでした。当時、興味も無かった私も見た瞬間に、なぜか感動しました。戦車などが好きとかではなく、プラモデルという玩具でここまで、実際の風景に近づける事が可能というのに関心しました。ガンプラについて私なりにネットで見てみましたが、ガンプラが初めて発売した時から現在までのガンプラの変化を見てみると、デザインもかなり変わってきています。最初は全く色がついてなく、全てのパーツが真っ白で自分で色をつける作業が必要でした。それが、時代が進むにつれて、ガンダムのデザインも変わり、パーツにも色が付くようになりました。プラモデルも時代にあった物に進化していくのですね。

  6. 私はガンプラの世代ですね。ガンプラのよさは色が付いていて、着色する必要がないというところですが、大人になるとその上から色を変えて塗ったりとアレンジするようにする人もいます。だからこそ、世代を超えて愛されているんでしょうね。今、おもちゃ屋さんのプラモデルコーナーに行くとほとんどがガンプラですね。航空機や戦艦のプラモデルは少なくなってきました。なかなか知らないことでしたが、プラモデルの歴史を紐解くと面白いですね。建物から木のおもちゃ、木の模型、教材とその変遷を考えるとプラモデルをつくるのもなかなか深いものに感じます。

  7. 私が知っているプラモデルは船やガンダムしかありません。世界で最初に発売したのがイギリスというのは私の中では意外なことでした。そういった物は日本が一番進んでいるのでは勘違いしていました。私の友人でガンダムのプラモデルが好きな人がいて、その人の作品は細かなところまで再現されていて驚かされます。その人は落ち着きがない人ですがプラモデルはもちろん仕事の作業になるとグンと集中して取り組み、細かなところまで器用にこなします。幼いころからプラモデルを好きで作っている人は何か作ることに対して将来大きく役立つのかなと思いました。

  8. ガンプラ懐かしいですね。今は作らなくなってしましましたが、子どもの頃はよく作って遊んでいました。私の何人かの友人はプラモデルを作るのが本当に好きらしく今でも時間があると作っているみたいです。以前ある友人と一緒にプラモデルを買いに行くのにたまたま付き添ったことがあったのですが、プラモデルコーナーの横に大きなショーケースがあったのですが、そこには何十体ものガンプラが展示されておりその出来栄えといったら細かいところまで色を塗ったりととても素晴らしかったです。私はあまり手先が器用な方ではないのでそんな細かい作業ができる友人が羨ましいです。

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