新陳

「新陳代謝」という言葉は、夏目漱石の造語であるとは驚きですが、夏目漱石は、何をもとにしてこの言葉を考えたのでしょう。この時期、同じように数々の造語をつくった人に福沢諭吉がいますが、彼のつくった造語のほとんどは、英語の訳からつくられています。では、新陳代謝という英語は何かというと、「metabolism」です。この単語を見ると、私たちの世代では恐縮してしまいます。それは、「メタボリックシンドローム」に使われているメタボだからです。ですから、「メタボリックシンドローム」の日本語訳は「代謝症候群」の意となります。では、このメタボをどうしてこのような漢字に当てはめたかというと、新陳代謝という四字漢字は、意味から来ています。
まず、「新陳」ですが、この言葉は最近、この新陳代謝という四字熟語でしかあまり使わなくなりました。「陳」という字は、おおむね三つの意味があります。一つは、「陳列」などと使うように、「並べること」を表します。二つ目の意味に「陳述」と使うように「述べること」があります。「の・べる」には、主に「述べる」を使いますが、他にも「宣べる」「陳べる」と使うことがあり、1、考え・意見などを口に出して言う。2、文章で表す。という二つの意味があります。三つ目の意味として、「陳腐」などと使う時の「古いこと」があります。ということで「新陳」とは、この四番目の意味で、「新しいことと古いこと。新しいものと古いもの。」ということになります。
「新陳代謝」が[古いものと新しいものが代わる」ということはわかるのですが、では、「謝」という漢字にはどんな意味があるのでしょう。この「謝」という漢字は、いろいろな所に使われる漢字で、いろいろな意味がありますが、そこにはおもしろい共通点があります。「謝」という字は「言」+「射」から出来ています。この「射」は「弓を射る」という意味です。これにことばを表す「言」がつくことで、「弓を射た後の緊張感を口にする“言”のこと」ということで、それまでの負担や緊張がなくなり、心がゆるむ、気楽になったことを表しています。つまり「謝」というのは個々の行動を表す語ではなく、個々の行動へのその後の反応を表す語なのです。ですから、まったく正反対のいろいろな意味があるように思えますが、一環しているのは、ある人からされたことへの反応に使うことです。まず、ありがたいという気持ちを表すことから、「感謝する」という漢字に使います。また、相手からの働きかけに対して、断わるということから、「謝絶」というように使います。そして、相手にわびるということから、「陳謝する」というときに使います。この時の「陳」は、考えなどを口に出すという「のべる」という意味です。ということで、「心の中で陳謝する」というのは、口に出していないので、間違った使い方です。そして、最後が、「勢いが無くなってしまうこと」を表します。これが「代謝」です。
新陳代謝は、なにも体や肌にだけ言えるのではなく、いろいろな世界でも必要です。保育の世界の新陳代謝は、「実践から摂取した子どもの姿を素にして、生きていくために必要な力を作ることであり、子どもが持っている好奇心、探究心、意欲、思考力などを、その後の学びに使えるような形に変えることであり、このようにして、保育の質が新しく生まれ変わるためのエネルギーを生み出しているわけなのです。」ということになるのでしょうか。

代謝

 私の歳になると、寄るとどこかが痛いとか、なんだか疲れやすいとか、眠れないとかの話になります。また、どこかが悪く、医者に行くと、「それは加齢のせいですね。」と言われることがあり、では、仕方ないかとあきらめることもあります。しかし、その原因は、歳を取って新陳代謝が悪くなったことに原因があることが多いようです。国語辞典によると、新陳代謝とは「生物が生命維持のために必要なものを取り入れ、体内で不必要になったものを体外に排出すること。物質代謝。物質交代。」とあります。私たち人間について言えば、新陳代謝と言うのは、食事などから摂取した栄養素を素にして、生きていくために必要な物質を作ることであり、体内の糖質、脂質、タンパク質を、体の中の反応に使えるような形に変えることだと書かれてあります。このようにして、体の細胞が新しく生まれ変わるためのエネルギーを生み出しているわけなのです。
 また、新陳代謝という言葉は健康や美容にまつわる文献の中で見ることがあります。その場合は、身体の中の細胞が以前のものと新しく置きかわることを指しています。人間の細胞は60兆個もあると言われています。その全ての細胞が時間とともに新しいものに入れ替わっていくのが「新陳代謝」なのですが、その新陳代謝は、個人差もありますが、体の場所によっても代謝する周期が違います。普通は、肌の細胞は28日周期、心臓が22日周期、胃腸の細胞は5日程度の周期と言われています。しかし、この周期は年齢によって違い、歳をとるに従って、周期が長くなるのです。たとえば、肌の細胞は、20代の女性が「28日周期」なのに対して、40代の女性になると一ヶ月半位もかかります。これは、皮膚の再生能力でもあるので、けがをした時の治るまでの期間、髪の毛の生え変わりなども新陳代謝の作用です。また、正常に新陳代謝が行なわれていると身体の疲労も回復しやすくなったり、病気にもなりにくいと言われています。新陳代謝が正常な周期より遅い場合は、老廃物が身体に溜まりやすく、また、肌が荒れてしまったり、怪我や病気も治りにくくなるようです。
では、新陳代謝を高めるには、どのような方法があるでしょうか。それは、やはりブログでも取り上げた日本の食事が一番大切なことのようです。まず、バランスの取れた食事を摂ることで、主食、主菜、副菜、乳製品や果物などをバランスよく摂り、様々な食べ物から必要なビタミンやミネラルを十分に摂取するのがポイントです。次に、日本の食事様式の一つの特徴で主食のごはんなどの穀類に副食の中心となる主菜と付け合わせとなる副菜を揃えて食べることです。この主食、主菜、副菜を基本とした食事は、様々な食品を摂りやすくし、適正な栄養素摂取量を確保しやすくします。
また、「一物全体」という考え方も大切なようです。そして、咀嚼。同じ栄養素を含む食事でも、よく噛んで食べる人と、そうしない人とでは、大きな違いがあります。よく噛んで食べるのと、あまり噛まないで食べるのでは、消化・吸収の効率に大きく違いが出てくるからです。そして、良く噛んでしっかり唾液を出すということは、ご飯やパンなどのでんぷん質を、唾液中に含まれる消化酵素(アミラーゼ)が分解して吸収しやすくしてくれますし、唾液自体には抗菌の作用もあります。栄養素そのものの見直しをする前に、「咀嚼」に気をつけてみるのも新陳代謝を高める良い方法だと言われています。血行を良くして新陳代謝を促す為にも、なるべく暖かい食べ物・飲み物を摂取するようにして、身体全体が冷えないように心がけることも効果があるようです。そして、暖かい食べ物・飲み物を摂取すると、発汗作用につながりますが、汗をかくということは新陳代謝の活動そのものなのです。
この「新陳代謝」という言葉は、夏目漱石が生んだ造語だと言われています。他にも、「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩がこる」「電光石火」「ひどい」「浪漫」「沢山」「兎に角」「価値」なども、同様に漱石による造語です。どうして、この漢字を使ったのでしょうね。

赤ちゃんの教師

 赤ちゃんたちは、キョロキョロします。歩いているときも、食事をしているときでも、もちろん遊んでいるときでもキョロキョロと周りを見回します。それは、何かいたずらするものはないか、なにか壊すものはないかと、大人の社会を壊そうとしているかのようにものを探しているかのようです。また、歩いているときには、早く目的地につきたいという大人の気持ちをからかうように、わざと途中で何かを見つけて立ち止まったり、何かをしたがって大人の手を引っ張ります。食事のときでも、早く、目的量を食べてほしいと思っている大人をからかうように、わざとゆっくり、あちこちに手を出したり、すぐに口に持って行かずに余分なことをして時間を延ばそうとします。
 このような赤ちゃんの行動は、特に忙しい時、急いで時に限ってするように思えてイライラします。「まったく もう!」「はやくしてよ!」「いつもこまらせるんだから!」と怒鳴りたくなります。そんな思いはよそに、赤ちゃんはマイペースです。大人の気持なんか無視しているようです。
 赤ちゃんは、本当に大人を困らせようとしているのでしょうか。大人をからかっているのでしょうか。また、その子は、やることが遅く、将来、心配な子なのでしょうか。気になる子なのでしょうか。いや、決してそのような子ではありません。その子なりに、将来のための学びをし、一生懸命に生きているのです。しかも、大人よりもすぐれた学び方をしています。それは、一生懸命というのは、必死の覚悟でという大人と違って、「遊び心」満載なのです。そのために、大人をイライラさせるのかもしれません。「遊び食い」という言葉がありますが、子どもは「遊び歩き」「遊び排泄」「遊び着脱」というように生活自体を楽しんであるかのように見えます。しかし、そんな生活の中から、赤ちゃんはいろいろなことを学んでいるのです。周りの物や人などさまざまなものから学ぶために、まず好奇心や探究心を持ち、その環境に関わろうとするのです。それは、実際に触ったり、実際に経験することで学ぶからです。
 赤ちゃんは、身の回りの環境からいろいろなものを学びますが、環境の中で特に影響を多く与える環境に母親の存在があります。母親のやることをじっと見ていたり、母親のまねをしたりしますが、赤ちゃんにとって母親からの学びは必要ですが、十分ではありません。他の人からも影響を受けます。その時に、母親の存在は、学ぶ対象ではなく、自由遊びでの探索行動の安全地帯として母親を使うようになります。そして、取り乱した時には探索行動に戻れるように、母親から安心感を得るのです。そして、赤ちゃんは、母親の援助を受けにとして利用するのではなく、主体的に使っていきます。そして、遊ぼうとする対象を、父親やきょうだいをはじめてして、さまざまな人との関係から学んでいきます。たとえば、乳児は母親とよりも父親と遊ぼうとすることが報告されています。
 もし、家庭に母親以外の人もいるようであれば、乳児は相手によって接し方を変え、複数の関係を作り上げていきます。そして、3歳になるまでには、子どもは相手によって求めるものを変えると言われています。相手をよく見ているのです。たとえば、子どもは助けが必要な時には親を、遊びたい時には同年齢の友達を、何かを教えてほしい時には年上の子どもを選ぶことを見出しているといわれています。この時期に、もし、母子家庭で、母親とだけしか接することがなければ、母親は遊び相手や友達の役割をも求められることになるのです。
 社会的発達のパラダイムは、子どもの初期の人間関係の経験が後続の人生に影響を及ぼしますが、この初期の人間関係を母親との関係のみによって決まるわけではないということが最近分かってきています。乳児は、母親、父親だけでなく、きょうだい、あるいは血縁関係のない養育者とも愛着関係を同時並行的につくっているといわれています。

日本の食文化

国際食学協会(International Food and Health Culture Association)通称IFCAという団体があります。この協会では、日本の良き食文化・食の智恵を「食学」と定義し、「食は命なり」「健康・道徳・経済の根源は食である」という理念によって、石塚左玄が説いた食養学などを普及しています。現在でも天皇家の献立は「食養学」に基づいて作られることがあるそうで、その考え方は、特に日本人の体にとって理にかなったものであり、最近の目覚ましい食の文化・技術・理論の進化や欧米型の食生活が、私たちに食の広がりをもたらした半面、私たちの体に変調をきたしています。そんなことから、また日本で見直されてきているだけでなく、欧米先進国でも日本の古き良き食文化が注目され始めています。
石塚左玄は、食養という学問をきちんと体系化し、書物にも表しています。その内容は大きく五つありますが、今でも参考になる考え方です。一つ目は、「食物至上論」です。すべての本は食にあるという考え方です。「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」というように、食が心身の病気をも作用するというのです。「命は食なり」ということで、人の心を清浄にするには血液を清浄に、血液を清浄にするには食物を清浄にすることであるとしました。
二つ目は、「人類穀物動物論」ということで、食養理論を著した「化学的食養長寿論」という書物の初めに、「人類は穀食(粒食)動物なり」と書かれてあります。人間は、肉食でも草食でもなく穀物食であるということです。それは、人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、この歯の割合で食べるべきだというのはおもしろいですね。ですから、基本的に人類は穀食動物であり、臼歯を噛み合わせると、粒が入るようにへこんでいるため、粒食動物とも言うとしました。三つ目の「身土不二論」は、以前ブログで書きましたが、その土地でとれるものを、その旬に食べることです。その土地の環境にあった食材は、その土地で生活する人の体を守るようにできています。住んでいる場所の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和することを説いています。
四つ目は、「一物全体論」で、生命あるものを丸ごと食べるという考え方です。野菜は根から葉まで、小魚は頭から尾まで、全部食べるとよいといいます。確かに、大根の葉は捨ててしまいますが、ここにはビタミンCが豊富に含まれた折、にんじんに含まれるβ-カロテンは皮の下の部分に最も多く含まれていますし、じゃがいもは皮つきのまま調理すると、ビタミンCの損失を最小限に抑えることができます。また、この考え方は、「捨てるところがない」ということで、ゴミも出しません。最後が、「陰陽調和」です。これは、石塚らしい説です。陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが大切であると当時の西洋栄養学では軽視されていた考え方を提唱します。ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、カリウムの多いものは野菜・果物と植物性食品ですが、となる。しかし、塩漬けした漬け物や海藻は、塩気が多いためにナトリウムが多いものに近い。精白した米というカリウムの少ない主食と、ナトリウムの多い副食によって陰陽のバランスくずれ、病気になるという考え方です。
すべてこの通りということではありませんが、少し、食事を見直してもいいかもしれません。

日本の食

 少し前、牛肉を生で食べて死亡事故が起きました。また、今回も牛肉の放射能汚染が問題になっています。畜産農家は大変ですね。昨日は、のんびりと草をはむ牛を南阿蘇で眺めることができました。仕切られた狭い場所に押し込められ、ただ脂肪を霜降りにするような餌を与えられ、肉を軟らかくするために運動もあまりせずに育てられているよりも、このように、広い中で、のびのびと育っている牛を見ると、なんだか心がなごみます。
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しかし、日本は、多くの牛肉を輸入しています。私は、もしかしたら、和牛の分くらいを日本人は牛肉を食べればいいのかもしれないと思うことがあります。仏教伝来後明治になるまで、日本では、一般に人たちの間では肉食の習慣を持ちませんでした。それに対して、欧米人は、何万年も肉食をつづけてきました。とうぜん、体は、そのような食生活に適するようにできています。また、その習慣は、必ずしも宗教的な理由からだけでなく、国土の自然が関係しています。日本では台風も含めて多量の雨が降り、夏には太陽が照りつけるため、そこで育つ植物は繊維の硬くなります。その植物は、牧畜に向かないのです。反面、この気候風土が日本人を、米や雑穀、野菜などをつくられる農耕民族にしました。また、国土が狭い日本では、その土地の有効利用を考えます。牛1頭を飼うには1ヘクタールの牧草を必要としますが、その1ヘクタールから収穫できる米は30俵から160俵で、12人から64人の人間を養うことができると言われています。つまり日本は、牧畜よりはるかに効率のよい米という食糧をつくる条件を備えているのです。
 このような条件の中で、日本人はあまり肉を食べませんでしたので、当然、肉を食べるような体にはなっていません。最近、身の回りの若い人に痛風の人が増えました。必須アミノ酸から成る優れた蛋白質でも、過剰に摂りこまれた分は排泄されるか、さもなければ肝臓に負担をかけるアンモニアの原料になります。しかもそのアンモニアは肝臓で尿素になり、これを排泄するにはたくさんの水を使わなければならず、排泄が不十分だと尿素から尿酸がつくられ、これが結晶状のまま関節周辺の軟組織に蓄積されて、あの激痛を伴う痛風を引き起こすのです。また、肉を食べると当然、肉に含まれている燐酸や硫酸が血液を酸性にするので、これを中和させるために歯や骨のカルシウムを溶かすことになります。肉食の欧米人に骨粗しょう症や骨の多孔症、骨のわん曲が多いのはそのせいだと言われています。
 また、牛乳が日本に渡来したのは七世紀のころだと言われていますが、あまり広がらず、その後、江戸時代にもオランダ人が持ち込みましたが、やはり日本人の食生活の中に定着しませんでした。いずれにせよ、日本人を含め東洋人は牛乳を飲まない民族であったことは、遺伝子が証明しているそうです。それが、第二次大戦後、牛乳の栄養価は高く評価されて、学校給食に欠かせなくなりました。しかし、私たち日本人の小腸には、乳糖を分解する酵素であるラクターゼが欠如しています。乳糖とは哺乳動物の乳の中にあります。このラクターゼを乳児は持っていますが、離乳期になると消えてしまいます。しかし、欧米人には大人になっても、このラクターゼが小腸内に残っているので、老人になってからでも牛乳を飲めるのだそうです。それに対して、日本人の食物アレルギーの半数近くは、牛乳および乳製品のせいだという研究報告もあります。
 このように、急激な食生活の欧米化に対して、石塚左玄は口癖のように、「健康を保つには生命あるものの全体を食べることだ。野菜は皮をむいたり、湯がいたりせず、魚なら骨やはらわたを抜かず、頭から尻尾まで食べよ。食物に陰陽の別はあっても、生きているものは、すべてそれなりに陰陽の調和が保たれているのだから、その部分だけを食べたのでは健康長寿は望めない。自然界の動物たちの食べ方をよく見るべきだ。彼らは人間のように包丁を用いたり、味付けをしたりはしない」と言う、日本人が古来食べていた食事を勧めます。
 ここにも易経の世界が生かされています。

食養

現在、世界ではそれぞれの国で食育の取り組みが行われていますが、日本で2005年に成立した、国家レベルで食の改善をテーマに掲げた法律「食育基本法」は、世界に先がけて作られています。その法律をつくった動機の一つに、現在、国民の医療費が国家予算の約3分の1にあたる30兆円となったからで、これを減少させるためには、人々の「健康に寄与する食」を供給するという食本来の役割が重要になってくるからです。日本には、古くから「体育・智育・才育は即ち食育なり」と食育を提唱し、「食育食養」を国民に普及することに努めた人がいました。彼は、栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食同源としての食養を提唱しました。それが、食養学という学問です。食養とは、食物プラス修養、すなわち「環境・食物・人間一体論」という意味であるので、それは「食養道」ともいえるものでした。
この食養を提唱したのが、嘉永4年(1851年)に福井県生まれた「石塚 左玄」という人です。日本陸軍薬剤監であった石塚左玄は、ミネラルという微量栄養素の重要性さを、明治時代に欧米に先駆けて世に訴えた先覚者だったのです。当時は、わが国の医学者・栄養学者たちは、欧米の医学界と栄養学会を崇拝していました。欧米では、ミネラルバランスよりも、3大栄養素である炭水化物・タンパク質・脂肪とカロリーが論議の的だったのです。ですから、石塚の提唱を日本の医学界と政府は、特に取り上げもしませんでした。その結果、それまで、病気の少なかったわが国は、さまざまな難病・奇病が発生し、多くの国民が病人か半病人となったほどでした。石塚は、「食は病をつくり病を治す」ということで、食養の基本のひとつは、ミネラルバランスにあるとしました。マグネシウム、カルシウム、鉄、亜鉛、マンガンなど、いろいろあるミネラルの中から、ナトリウムとカリウムの二つのミネラルを取り上げて、ナトリウム1対カリウム5という均衡が大切であると説いたのです。
もちろん、体は食が育てるものですが、智と才も食養に関係し、智と才は表裏の関係です。「智は本にして才は末なり」と智を軽視しないようにして、カリウムが多くナトリウムが少ない食事によって智と才の中庸を得て、特に日本字のような穀食動物の資質を発揮するとしました。幼い頃はカリウムの多い食事をとることで、智と体を養成し、思慮や忍耐力や根気を養うとしたのです。また道徳心や思慮を必要とする場合もカリウムの多い食事にするといいと言い、しだいに社会人となるに従って、ナトリウムの多い食事にしていくことで、才と力を養成するとしました。これらのバランスが大切であるとしたのです。
明治になり、欧米の食習慣が日本に入ってきて、また、食についての学問も欧米に影響された状況に「日本を亡ぼすものは外敵ではない。それは西洋を知らず、また日本そのものをもみずからよく知らず、日本びいきのくせに、内実は西洋文明にあこがれて、ことにその食生活を喜ぶ傾向にあるのは、西洋に身を売って生理的に西洋の植民地化をはかって亡びに至らしめる日本人自身がその元凶であることになる」と言うのです。
私は、これは、他の学問にも言えることのような気がしています。その地に伝わる文化、その地で発展してきた文明、特に、生活に密着する内容ほど、長い間にその地の風土が育ててきたものなのです。そして、その風土が、体をつくり、心をつくり、人を育ててきたのです。そのひとつが、育児なのです。私は、育児について、欧米の学問からだけを参考にするのではなく、もう一度日本で受け継がれてきたものを見直す必要があると思っています。

食習慣

今、昨年発行された私の著書「MIMAMORU」の英語版の10月発行を目指して進めているところです。その中は、たとえば「Chapter 1 Ideals of MIMAMORU Childcare」というような目次ですが、外国の書籍はあまりイラストや写真がなく、内容も難しく、論文を読んでいるようです。特に、専門書などは、文字がびっしり書かれていて、難しいのですが、日本の専門書、特に保育者のための本などはイラストが豊富で、カラフルで、漫画などもあります。文章の少なく、その内容は易しく書かれています。また、保護者向けの育児書にしても、漫画などで表わされ、面白おかしく読むこともできますし、具体的な写真も多く、ちょっと見て参考にしやすくできています。
アメリカで出された「アメリカ人のための食生活指針」は、学校、家庭、地域の連携が提案されているので、この本を実際に買っていくのは多くは、医師であったり、栄養士であったり、そのほか食事指導・保健指導に従事する専門家なようですが、家庭の保護者も読む指針としては、その内容は非常に難しく、一般の人にはなかなか分かりにくい内容になっていますので、本当に読むのかなと思ってしまいます。しかも、食習慣が乱れている家庭に読んでほしいのでしょうが、そのような家庭の保護者はなおさら読まない気がします。そんなわけで、「一般の人を啓蒙しなくてはいけないのに、どうしてこんな分かりにくい本にするのか」「専門家が読むだけなら、税金の無駄遣いではないのか」という批判が出そうですが、アメリカ政府はこのような批判が出ることは百も承知でやっているようです。しかし、批判が出るということは、注目を浴びているということで、少しは、食育に関心を持ってほしいということのようです。
また、内容には、さまざまな人種、宗教の子どもが一緒に学んでいるので、人種や宗教に配慮した給食作りが求められる中、そのような食に携わる人材を育てるための教育プログラムも用意されているそうです。また、地域全体でも栄養教育を進められるよう環境支援が行われており、連邦政府の支援による学校での「学校昼食プログラム」や「学校朝食プログラム」も展開されています。そこには、こんな呼びかけがされています。「果物と野菜をたくさん食べなさい」「全粒粉の食品を食べなさい」「脂肪の少ない牛乳を飲みなさい」「トランス脂肪酸は控えなさい」「ナッツ・魚・野菜のオイルは多めにとりなさい」「1日の摂取カロリーを2000キロカロリーに下げなさい」「1日30分以上、運動しなさい」などです。
日本では、最近芸能人がなくなったというニュースで、喫煙が原因であるかのようなことが流れます。一時、直接に死亡原因と喫煙の関係を言いませんでしたが、アメリカでは、もうすでに喫煙率が半減したことにより、ガンも減少傾向にあり、医療費も減少、多少なりとも経済復興に貢献しているということから、日本でも積極的に禁煙を勧めるようになっています。同様に、各国では、子どもの味覚形成と食育が、心身の問題としても重要視され始めています。
 以前、静岡英和学院大学教授の佐々木氏の講演がありました。彼は長く家庭裁判所の調査官をやっていて、非行の子たちと関わっていたそうです。その時に、非行の子どもあっちの夕飯は一体どのような過ごし方をしているのかなと、25人ほど調べてみたそうです。まず、好きな時間に一人で食べる「孤食」、家族が一緒にいても、みんな別々のものを食べる「個食」、決まったものしか食べない「固食、偏食」、朝飯を取らない「欠食」、彼らは全員この特徴が全部当てはまるか、あるいは1個以上当てはまったそうです。しかも、早い子どもは幼児期からそうだったそうです。年長、年中ぐらいになってくると、「腹減った」というと、親は「はい、どうぞ」と食べさせる。のべつまくなしボリボリ、バリバリ。ここに佐々木氏は非行の原因があると確信したそうです。
 佐々木氏は、おなかがすいても我慢するということをしなければならないと言います。それは、他の分野でも我慢が要らない、自分の欲求が出てきたときは、即何をやってもよいという考え方、行動になってしまうことが、非行に結び付いていると警告しています。
 子ども集団では、当然自分の思いだけが通らないことも多いでしょうが、それが成長には必要なことなのです。

世界の食育

 日本では、食育が叫ばれて久しくなりますが、ますます食を人間特有の行為としての特徴である「調理する生き物」が軽視されてきています。デパ地下で調理された惣菜を買ってお皿に乗せるだけの家庭もよく聴きます。そんなこともあって、2006年、誰もが生涯にわたって「持続可能な社会」を実現するために必要な教育を受ける機会が得られる世界の構築を目指す、日本国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画が改訂され、これに「食育」を国民運動として展開していくことが記載されました。そして、この年の5月に、海外からの「食育」に関する積極的な問い合わせに対応するため、オランダ、オーストリア、ニュージーランドのジャーナリストとの間で「食育基本法」や「食育推進基本計画」に関する意見交換が行われました。そして、独立行政法人国立健康・栄養研究所ではアジア各国の若手研究者を研究所に招聘し、研修及び共同研究等を行っていますが、「食育」への関心は強く、自国での展開も含めて、その手法や成果が世界に発信されることを期待するとの意見があります。
また、外務省では、食育の海外展開の一環として、海外広報活動の中でも食育関連トピックを取り上げ始めています。具体的には、在外公館で配布している一般広報誌「にっぽにあ」、在外公館で上映や貸出しをしたり、海外のテレビ局に無償提供している映像資料「ジャパン・ビデオ・トピックス(Japan Video Topics)」において日本の食文化の紹介を行いました。 
このような食の乱れは、日本だけに限ってのことではないようです。アメリカでは、食の乱れが深刻化したのはかなり古く、また、その乱れが犯罪などを引き起こす原因になっているということで、いち早く「食育」や「味覚形成」を取り上げています。その一環として「kids in the kitchen、not in the clinic(子どもを病院へ行かせず台所へ)」という運動があります。このコピーは、おもしろいですね。それと、「子どもを少年院へ生かせず台所へ」というスローガンはあるわけではありませんが、たとえば偏食により、カルシウム不足がイライラを招き、キレやすく、犯罪を起こしやすくなるなどという認識のもと、食の乱れは心身の乱れにも繋がるということで「食育」や「味覚形成」に関しては日本よりも先を行っています。そして「おむつが取れたら食育を!」というスローガンもあるそうです。スープのキャンベル社での、CMで、「子どもを丸ぽちゃには育てない」と謳っているそうです。
 日本では、2000年に厚生省、農林水産省、文部省が共同で「食生活指針」が策定されています。アメリカでは、日本の厚生労働省にあたる保健福祉省と、食材についての施策を行う日本の農林水産省にあたる農務省(USDA)の2省が共同で作成したのが、「アメリカ人のための食生活指針」です。この指針は書籍として発行されていて、5年ごとに改訂されます。現在出ているのは2010年版ですが、2005年版では、適切な食事とともに日常の運動にも重点を置いた指針となっています。その普及のための媒体として、食品群ごとの望ましい摂取量の割合や運動の重要性を表現したデザインの「マイピラミッド」を公表しました。マイピラミッドの活用等によって食習慣の改善を目指す「チーム栄養」プログラムが、学校を中心に家庭や地域との連携も含めた多様な手法を活用したプログラムとして展開されています。「チーム栄養」の目標は、子どもの生涯にわたる食習慣や運動習慣を改善することです。そして子どもや子どもの身近にいる大人たち、子ども向けフードサービスの専門家に一貫したメッセージを届けるための包括的ネットワークの構築を目指すものでもあるようです。
 食習慣も、家庭、学校、地域の連携が大切なようです。

ヤマト

人類の特徴として「道具を使う」ということがあります。これは、ある猿やカラスなどにも見られることで、石を使って物を割ったり、棒を使って穴から掻き出したりします。しかし、道具としてちょうどいいものが見つからないことがあります。そこで、ちょうどいいように工夫します。石を割って手頃な大きさにしたり、木の枝を剥いで棒にしたりします。そのうちに、もっと楽にできるように、もっと効率的にできるように改良していったでしょう。そうなると、人類だけができることになります。そして、改良だけでなく、その道具を、道具を使って作るようになっていきます。そして、さまざまな道具を使って、効率的に家をつくったり、着るものをつくったり、食べるものをつくったりしたでしょう。
私たち人類は、そのような経緯からか、ものをつくることがしたくなるようです。小さい子に、積み木を与えると、それを積み上げ、そして家をつくり、身の回りの物を真似してそれをつくろうとします。紙を与えると、それを切り貼りして、いろいろなものを作ろうとします。空き箱があると、それらをいくつか使って大人から見るとなんだかわからないようなものを作ります。その行為は、人間しかできないことであると同時に、人間としての成長に役にたっている気がします。
そんな思いを達成させてくれたのが小学生から中学生になるとハマるプラモデル作りです。それは、いつの時代にも繰り返され、最近の「ガンプラ」の大ヒットを受けて起きたリアルロボットアニメブームでは、プラモデルは主力商品に位置付けられました。しかし、このガンプラブームも近年は漸減傾向にあり、飛行機やAFVなどスケールモデルは大幅な衰退傾向にあるようです。経済産業省の工業統計表によると「プラスチックモデルキット」全体の出荷額は、1998年の199億円に対して、2007年は113億円と大幅に減少しています。どうしてこんなにも減ってきたかというと、急激な勢いで進む少子化と、縮小する市場のパイをめぐってのテレビゲーム等の他の玩具との競争が要因としてあげられています。また、最近の子どもたちは、次第に、細かいものをつくることが面倒臭くなってきたこともあるような気がします。ボタン一つで操作できるゲームなどに人気が集まります。
私が子どもの頃は、以前のブログでも書きましたが、雑誌の付録にある紙工作にはまりました。丁寧に糊付けをして組み立てていくと、紙からこんなものが作れるのだと思うくらい精巧にいろいろなものが出来上がります。縁日で買った付録は、作り方が本誌に掲載されているために、付録だけ買うと作り方がわかりません。そこで、試行錯誤しながら、なんとか作る楽しみがありました。それが、次第にプラモデル作りにはまっていきます。その中心は、戦艦や戦闘機でした。そして、必ず一時凝るのが「戦艦大和」です。「戦艦ヤマト」ではありません。1960年にタミヤのプラモデル第1作目として1/800スケールの戦艦大和を発売されます。同時期に栃木の模型メーカーである日本模型(ニチモ)が同型艦武蔵の1/750スケールキットを350円で発売します。戦艦は、非常にパーツが複雑で、それらがそろうととてもかっこよく見えました。それが戦う船であるとか、敵の船を沈めるための砲台であるとか、そんなことは当時何にも思わず、その姿の美しさに魅せられたのです。先日、呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに行って10分の1の戦艦大和の模型を見たときに、そのスケールの大きさに驚くとともに、子どもの頃にプラモデルにはまったことを思い出しました。
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この戦艦大和が「宇宙戦艦ヤマト」として、また現代によみがえりました。そこでも、その船体の美しさにひかれた少年がいました。園の学童クラブに来ている子に、そういう子がいます。船体を得で書いたり、積み木で船体をつくったり、木片を使って船体らしきものをつくったりしています。いつの時代でも、このような姿に魅せられる子はいるものですね。
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プラモデル

 昨日まで、全高18メートルの実物大ガンダム立像のパーツが、お台場シンボルプロムナード公園 セントラル広場に、展示されていました。2009年の夏に、機動戦士ガンダムのアニメ放映30周年を記念して、お台場に実物大ガンダム立像が展示され、約415万人を動員しました。また、2010年7月には東静岡「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」内に「RG1/1ガンダムプロジェクト」として、ガンプラ生誕30周年を記念して展示されていました。その立像を、ちょうど静岡に妻と徳川秀忠の史跡を巡るために行ったときに見ることができました。その時に、久能山東照宮を訪れたとき、その参道にガンダムのプラモデルが飾られていました。しかも、そのガンダムが「家康公ガンダム」を中心とした武将たちをモデルにしたものでした。
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 最近、「機動戦士ガンダム」のシリーズに登場するモビルスーツ、モビルアーマーと呼ばれるロボットや戦艦などを立体化したプラモデルの総称である「ガンダム+プラモデル=ガンプラ」に人気があります。もともとは、TVアニメ「機動戦士ガンダム」が放映され、その翌年の1980年7月にバンダイから発売された「1/144スケール ガンダム」と「1/100スケール ガンダム」が初めだそうです。実は、このバンダイをはじめ、世界でも有数の総合模型メーカーである田宮模型、ハセガワ、フジミ模型など静岡県はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%だそうです。
 どうして静岡なのかといういきさつが徳川公ガンダム模型の下に書いてありました。「その起源をさかのぼると、徳川家康公も崇敬された静岡浅間神社や、久能山東照宮の造営に際し、日本各地から優秀な職人が集められたことにあります。
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造営が終了したのちも、職人は静岡(当時は駿府)に残り、雛人形や竹細工などの木工細工に携わりました。その技術が昭和に入り、木製教育玩具や木製教材を生みだし、戦後になり木製模型が製作され、プラスチック模型につながったのです。」
ちょうど私が小学校に入学したころ32年には、模型飛行機大会と模型のボート大会が開催され、テレビ受信契約ようやく50万超えました。そして、その翌年33年に、マルサン商店から国産初のプラモデルである「ノーチラス号」など4点が発売されたでのす。「プラモデル」という言葉は、マルサン商店が考案した登録商標で、「プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ、人形」ということで1960年9月に登録されています。しかし、1975年からは、日本プラモデル工業協同組合が権利を所有し、組合員は自由に使用できるようです。
世界で最初に発売されたプラモデルは、イギリスのラインズブラザーズ社が、1936年に発売したフロッグ・ペンギンシリーズの1/72に統一された航空機のキットでした。当時の新素材であったプラスチックで模型を作る技術は、イギリス軍が教育に使用する航空機や軍用車両等の識別用モデルをプラスチックで作る技術を応用したものだったそうです。 日本にプラモデルが渡ってきたのは、アメリカでプラモデルが普及を始めた1950年代初めに在日米軍関係者によって持ち込まれたものでした。
私の世代は、みんな競ってプラモデルをつくりました。1960年頃からの少年誌はプラモデルの広告・懸賞ばかりでした。その作る対象は時代によって変遷していきます。1950年代後期から1960年代は、戦記映画の人気や雑誌・出版物での第二次世界大戦戦記特集に影響されて軍艦や飛行機などの実物の縮尺模型が主でした。それが、1960年代後半になると「サンダーバード」シリーズのようなキャラクターモデル、その後、スーパーカーブーム、ブルートレイン・エル特急ブームによるプラモデルがブームになり、1980年代前半のガンプラブームにつながっていきます。