禁忌

人は、自然の共生するためにいろいろな禁忌を持っていました。その言い伝えは、国によって長い間に言い伝えられ、それは文化として形成されたり、風習として残ったり、脅しと使われたり、さまざまな形で伝承されています。そして、伝承の中で、それぞれの国として特殊性を持つこともあり、その言い伝えを他国から見て変だと思うことも多いのですが、それはその国にとって意味のあるものだったのでしょう。
先日、何かの記事で呼んだのですが、それぞれの国には長い文化・伝統があり、日本を中心に考えるとおかしなことになる例として、韓国では女性は立て膝で食事をし、食器を手にすることは食べ物を独占する意味があり、嫌われるそうです。また、食器も箸も金属製なのは、古来、毒殺を恐れて銀食器を使用した名残りだといいます。「行儀よく座って食事をしなさい!」「ちゃんと食器を手で持って!」というように子どもを怒るのは、どの国でも共通することではないようです。他にも、「手で食べないで!」とか「三角食べをしなさい!」などの国によっては違います。
 私たちから見ると非常に面白い風習が紹介されていました。わが子にどんな名前を付けるかということで親は悩むものですが、一時、「悪魔」という名前をわが子につけて話題になりましたが、日本では最近、とてもユニークな名前の子が多くなりました。モンゴルでも、子どもの名前にはユニークなものがつけられているそうです。モンゴルは気候の厳しい国で冬は零下30度にもなり、放牧中の山羊や羊が大量に死ぬことも珍しくありません。したがって、神を尊敬し、悪魔を恐れる風習は今なお色濃く残っており、特に子どもと悪魔の関係はユニークで、可愛いい我が児が悪魔にさらわれない(死亡しない)ようにするために、わざと醜い名前をつける習慣があるそうです。たとえば、「バースト(ウンコ)」、「フンビン(人でなし)」、「テルビシ(あっちじゃない)」、「エネビシ(これじゃない)」、「ネルグイ(名無し)」、中には「悪い犬」などという名前があるそうです。日本では、「ウンコ」なんて名前をつけたら、ずっとからかわれるでしょうね。
また、モンゴルでは、子どもの褒め方にしても「まあ!!不細工な子供ね」とか、「汚い子供ね」と褒めなければいけないそうです。なぜなら、「まあ!! 可愛いい!」と言おうものなら、この子は悪魔にさらわれる(死亡する)と、お母さん方は本気で信じているからだそうです。また、小乗仏教の国であるタイ、ミャンマー、スリランカなどでは、子どもの頭には仏さまが宿るといわれ、日本のように子どもの頭を可愛いいと言って撫でることはできません。
このように、その地域にある伝統や文化は、宗教的なことから生まれていることが多いように、日本でも、宗教としていい伝えることがあります。それは、自然に対する警告の場合で、山岳信仰には多く見られます。険しい地形や自然環境により僅かな不注意でも命を奪われかねない環境にあることから、危険な状況に陥る行為を「山の機嫌を損ねる」行為として信仰上の禁忌とし、自らの安全を図るための知識として語り継いでいると考えられています。そして、地域住民は罰が下ると信じ、山をなだめようと大規模な祭事を行います。自然と共存するために培われた精神性が、言い伝えられているのです。
山の神の性別は地域によって様々ですが、よく怖い妻の事を「うちの山の神が」ということがありますが、どうも山の神は女神のようです。ですから、関東から東北にかけて山の神を安産の神とする地域も多く、出産時に夫が馬を引いて山へ入り山の神を迎える習慣があったようです。その時に、山で馬が急に身震いして立ち止まると山の神が馬に乗ったしるしとされたそうです。
長い間、人間は山や森と深い精神的な結びつきがあり、その山や森が日本人の心のふるさとの一つであり、豊かな文化を形成してきているのです。

禁忌” への5件のコメント

  1. 「禁忌」と題する今回のブログによって、まず私は「子どもの頭には仏さまが宿るといわれ」の部分に反応します。この風習は広く東南アジア、南アジアに広まっているようです。タイ、スリランカ、そしてネパールで確認しました。仏教国は仏ですが、ヒンズー教国は神が宿るとされるのです。日本の親や先生は子どもたちの頭をゴツンとやることがあるようです。神仏への冒涜であると同時に脳細胞を破壊する行為になるのではと私は思っています。「山の神」は私たちの田舎での暮らしではとても重要な存在です。年末に一年の感謝と新年をつつかなく迎える喜びの気持ちを込めて「山の神」にお幣束を奉納します。ところが、自治会の決まりか何かでその「山の神」様がところ替えとなり参詣できなくりました。昨年の暮れのことです。その結果は本年現れました。まさに因果応報です。

  2. 毎年恒例の夏の遠征登山は、諸般の事情で地元の石鎚山縦走になりそうです。石鎚山は言わずと知れた標高1982mを誇る西日本一の最高峰で、古来、山岳信仰の盛んな霊山でもあります。毎年7月1日の山開きだけは、女人禁制の禁忌がいまだに守られています。白装束を身にまとい錫杖をついて登る修験道の行者が、「六根清浄」を唱えながら登る姿によく出会います。その健脚ぶりは並みの登山者では追いつくものではありません。彼らの歩くのも登山者があまり知らない修行の道のようで、秘密の神聖な場所で法螺貝を吹いて修行をするそうです。人間は自然の循環の中で生かされていることを山に向き合って体得するー山屋の端くれにも少しは理解できる境地ではあります。

  3. モンゴルの子どもの名前には驚きました。確かに日本でつけると大変なことになりそうな名前ばかりですね。今回のタイトルは禁忌ということですが、確かに国によって、地域によって、ずいぶん違いがあります。それらが自然や文化からきているものであるなら、その違いから地域を知ることは意味がありそうです。いずれにしても、頭で考えたことではなく、実際の経験からとか、体を使うことで築き上げてきたものだと思います。自然に対しても、頭で理解することと実際に体験することでは大きな違いがあることを改めて感じます。

  4.  高校の時に部活の合宿がありました。夕食の時に友達の女子が茶碗を持たずに食べている姿を見て、言葉が出ませんでした。のちのち韓国での食事のマナーを知って、彼女は韓国を意識していたんだね(笑)と友人と笑いながら、その話しをしていました。日本では行儀が悪いと思っている事でも、世界から見れば日本で行儀が悪い事が普通だったりするのは面白いです。またブログに書いてある、モンゴルでの子どもの褒め方も面白いですね。その国の伝統や文化によって、礼儀作法などが全く違うのは、その国の宗教が影響しているようですが、今後、色々な国の人と触れ合う機会がある中で、自分の文化、伝統、礼儀作法というのを身につけておく必要があると思います。しかし、自分の国だけを知れば良いのでなく、他の国の礼儀作法を知る事も、大切のような気がします。

  5. やってはいけないことといってもそれは一面的な見方であって、ほかの国にとってそれは禁忌ではないことが多いですし、逆に周りの国では失礼に値することがあるというのはあるんですね。モンゴルの風習はとても驚きました。日本ではそれだけで報道の話題になりそうですね。しかし、決して禁忌には意味があり、その意味を見るのは面白いですね。その土地の風土・風習を見ていくと世界のいろいろなことが見えてくるように思います。その風習が自然から発していると思うと自然と人間のかかわりは生活の一部になっているというのがわかります。

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