ヒノキ

 今月の初めの7月4日の新聞に、「5500年前、縄文5500年前、縄文時代の日本人はヒノキの樹皮からポシェットを作っていた!」というニュースが流れました。これは、三内丸山遺跡で出土した重要文化財の通称「縄文ポシェット(編籠)」の素材が、ヒノキ科の樹皮だったことが分かったという内容です。これまでは、イグサ科植物で編み上げられたとされてきたのですが、あらためて調査を進めた結果、ヒノキであることが判明したのです。このポシェットは、約5500年前の縄文時代前期のもので、1993年に出土しています。幅5ミリほどの素材が縦横に組み上げられ、当時の人々が高度な技術を持っていたことをうかがわせるものだそうです。このほかにも、全国の縄文遺跡からササ製の編籠の出土例が多く確認され、ポシェットの破片を高性能の電子顕微鏡で検証したところ、ヒバやスギといったヒノキ科の樹皮と判明したのです。ただ、このポシェットが当時の人々にとってどう使われたのかは、まだわかっていないようです。
それにしても、ヒノキは日本と台湾に自生し、日本ではずいぶんと古くから付き合いがあるようで、建築・木彫・木材工芸に最良の材としてわが国の「木の文化」に重要な役割を果たしてきたのです。法隆寺・東大寺など大寺院の建立や伊勢神宮式年遷宮に用いられる大量の檜材を産出するために、林業政策を古くから行い、木曾・吉野など優良産地が大切にされてきました。このようにヒノキは、日本の代表的な気ですが、私は特別に深いつながりがあります。それは、私の家の家紋は、「丸に檜扇」なのです。
hiougi.jpg
檜扇(ひおうぎ)とは、ヒ(檜 桧 ヒノキ)の薄板をつなぎ合わせてできていて、奈良時代から平安時代にかけてできたと言われています。この檜扇は、後の時代の紙の扇に先立つものとされています。
平城宮跡から、紙が広く普及する以前に、文書の記録や荷札に用いられた木の板である「木簡」が多く発掘されています。その材料には、ヒノキ、スギ、他、様々な種類の木が使われていますが、使用済みのヒノキの木簡を綴り合わせた檜扇があるそうで、これが原型と言われています。この檜扇で使われているように、檜(ヒノキ)は、古くは一音で「ヒ」と呼ばれました。こうした一音節の語は、特定のものでなく、「ヒ」という性質のチカラ(昔の人が考えるところの霊質、霊力、生命力、威力)を持った物として、「ヒ」の音の名を付けたようです。「日」や「火」を、「ヒ」の性質のあらわれたものとして、「ヒ」の音で呼ばれたと同じように、檜も同様に、檜に「ヒ」の性質を見いだしていたのかもしれません。檜扇が他の樹木の板でなく、檜の板で作られたのは、「ヒ」の力が期待された呪物的意味があっただろうと言われています。また、扇は神のヨリシロ(依り代)とされることがあり、もとは呪具だったものが、神の概念の発生と宗教の展開から、神のヨリシロと見られるようになり、扇にも宗教的意味があったようです。
また、「日本書紀」にこんな記述があります。「スサノオノミコトが自分の髭を抜いて散らしたらそれがスギになった、胸毛を抜いて散いたらヒノキに、尻毛はマキ、眉毛はクスになった。スギとクスは船に、ヒノキは瑞宮に、マキは棺にすべし。」
法隆寺・東大寺など大寺院の建立や伊勢神宮などの建築にヒノキを中心として用いられたのは、納得がいきます。現代でも、建物にヒノキを用いることが理想的だと言われています。
森林年における記念切手の最初の図柄は、この「ヒノキ」です。