安曇野

 先週の土曜日は長野県安曇野で講演がありました。安曇野といえば、現在NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」の舞台として脚光を浴びています。そんな安曇野の大糸線「穂高駅」の近くに「井口喜源治記念館」という建物があります。ここは、研成義塾を起こした井口喜源治生家の跡地に、教え子たちが中心になって昭和44(1969)年に建てられたものです。
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 研成義塾の教育精神は、「人はいかなるものになろうとも、何をしようともその前によき品性の人になれ」「教育は、一人の教師(人格)が一人の児童、生徒に愛と信頼をもって相対するところに行われる」「教育は“できる”“できない”というレベルだけでなく、その子のよさ(天賦)をどう伸ばすかにある」「教育は、人間を現実の人間から真実の人間に育て上げていく営み」などで、これは今日でも厳然と生きています。
 井口は明治3年、長野県南安曇郡穂高町に生まれました。中学卒業後、明治法律学校へ進学しますが、内村鑑三、厳本善治ら宗教家・宗教的教育家に会い、教育の道に興味を持つようになります。そして学校を中退し、上高井高等小学校小布施分校の教師となりました。その後、松本の垣内小学校と言われている松本尋常高等学校に教師として招かれます。その後、結婚を機に、東穂高高等小学校に転任し、そこで、生涯の友となる相馬愛蔵らが創立した東穂高禁酒会に入会します。この「東穂高禁酒会」というのは、とてもおもしろい会で、明治24年に創立されました。禁酒会の目的は、27年に、村に芸妓を置いて繁栄を図ろうとする計画に対し、反対運動を展開し、豊科署に請願を提出したことからもわかるように、単に禁酒そのものより社会浄化、自らの節制、勤勉といったことを勧める色合いの濃い会だったようです。この東穂高禁酒会の運動は次第に村の若者達に広がりますが、その広がりから怖れをなし、排斥されてしまいます。ことの成り行きを心配した相馬愛蔵ら禁酒会のメンバーが、井口が理想の教育を行えるようにと、村の有力者の援助を得て、明治31年私学校「研成義塾」を村に起こします。
この相馬愛蔵とその妻星良(黒光)は非常に面白い人生を送ります。東京専門学校(早稲田大)を出た後、蚕種製造に携わります。黒光と結婚後、明治34年上京し、東大赤門前の本郷中村屋を譲り受け、パン屋を始め、そこでクリームパンを発明して。新宿に開店したのが今の中村屋です。その裏には彫刻家萩原守衛のアトリエをつくったり、中村屋には、明治の末から大正にかけて、美術・演劇・文学その他広い分野にわたる多彩な顔ぶれの人々が集まるようになりました。その交友の世界は、いつしか「中村屋サロン」とよばれるようになりました。
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 研成義塾は、設立趣意書に書かれてあるように、建物は小さくても、そこには、「学生の多数を望まず、校舎の壮大なるを望まず」「一人の教師が一人の生徒と信頼をもって相対」するという確固たる教育精神があり、井口が脳溢血で倒れる昭和7年まで明治・大正・昭和と34年間続けられ、800人余の教え子たちを世に送り出しています。塾生には、彫刻家荻原守衛(碌山)をはじめとして、外交評論家清沢洌、思想家斎藤茂、実業家東條たかしなどがいます。日本のキリスト教界を代表し、無教会主義の創始者内村鑑三は、ここを何回か訪れ、「南安曇郡東穂高の地に、研成義塾なる小さな私塾がある。若し之を慶応義塾とか早稲田専門学校とか云ふような私塾に較べて見たならば実に見る影もないものである。其建物と云へば二間に四間の板屋葺の教場一つと、八畳二間の部屋がある許りである。然し此小義塾の成立を聞いて余は有明山の巍々たる頂を望んだ時よりも嬉しかった。此の小義塾を開いた意志は蝶ヶ岳の花崗岩よりも硬いものであった。亦之を維持するの精神は万水の水よりも清いものである。」と言い、井口を高く評価し、「穂高の聖者ペスタロッチ」とまで称揚しています。
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彼も新渡戸と同じようにキリスト教に基づいた人格主義教育をめざしたのですが、後に信州教育に影響するようになった彼の「教育は人格の問題であり、知識はその次である」という思いの根底には、きっと日本人に流れている「武士道」が影響しているのかもしれません。

安曇野” への7件のコメント

  1. 今日、内村鑑三の「代表的日本人」を買った。西郷隆盛や上杉鷹山などの高潔な日本人を英文で紹介した古典的な一書である。しかし、代表的日本人は、私たちの知らないところにまだ数多くいる。安曇野の井口喜源治。これまで燕岳や常念岳山行で、何度も穂高の駅に立っているのに、その人の名を知らなかった。市井に埋もれた偉人である。臼井吉見の大著「安曇野」に研成義塾を描写した一節がある。
    『十二坪の板屋根の教場一つと、八畳二間の一棟と便所一棟、これが塾舎のすべてであった。教場は北面の裏側に窓が三つ、開閉もままならぬ一枚戸だった。内部は天井がなく、共掛の腰掛が五脚づつ三通り、正面の黒板一枚、教壇の上の教卓一つすべて集会所の時の古物をそっくり移したに過ぎない。ただ冬の寒さに備えて、教室の後ろに炉を切り込んだのが、新しい試みであった。・・・式がすむとごまねじ、かりんとう、みかんなども出て、生徒たちは喜源治から「ああ無情」のつづきを聞いたり、世界一周双六や福引をしたりして楽しんだ。』
    「こんな粗末な校舎に、井口は暑い日寒い日、雨の日風の日、垢光した紋付と羽織袴姿、風呂敷包みを抱えて足駄で通い続け、行きかう人には微笑の挨拶を欠かさなかった」と往時の井口の清貧な暮らしぶりが記録に伝わっている。栄誉栄達を望まず、一人の子どもに寄り添う教育道に人生のすべてをかけた井口喜源治。美しい日本人をまた一人見つけた。

  2. NHKの朝の連ドラ「おひさま」は家族全員でみています。ストーリーの展開がおもしろいですね。同時に、安曇野、行ってみたくなりました。そして今回のブログによって、井口喜源治という「穂高の聖者ペスタロッチ」の存在を知ることができました。私は美術鑑賞を趣味の一つとしているので、碌山こと彫刻家荻原守衛や中村屋の女主人黒光は昨年のNHK教育「日曜美術館」で知ることになりましたが、「中村屋サロン」に集った芸術家中村彝、中村不折、あるいは会津八一、あるいは島村抱月、など当時一流の文化人の名前を拝見するだけでも鳥肌が立つ思いがします。内村鑑三の引用言もいいですね。安曇野に行く前に新宿中村屋でカレーを食べてみたいです。

  3. 研成義塾の教育精神を繰り返し読みました。特に「人はいかなるものになろうとも、何をしようともその前によき品性の人になれ」この言葉がとても重くのしかかってきます。自分ではそんなつもりはないのですが、最近繰り返している失敗を振り返ると、どうやら人やモノと対峙するときに妙なうぬぼれがあるのかもと思えてきます。何者にもなっていないのにも関わらず謙虚さが足りないようです。さて、ここからどう修正していくか、結構大変な道のりになりそうです。

  4.  安曇野と聞くと有名なのが「わさび農園」ですね。幼い頃に家族旅行で訪れたそうですが、記憶がありません。そして朝の連ドラの舞台にもなっていて、今はとても注目されている場所ですね。そんな自然豊かな場所にも「研成義塾」という塾が存在していたのですね。塾を開設した井口喜源治という人物、もちろん初めて聞く人物ですが、ブログを読んでいて、塾の教育精神、設立趣意書に書いてある文章にしても「見守る保育」に通じる物があり、そしてブログの連載が続いている「武士道」にも共通する物があると思いました。おそらく当時の寺子屋や藩校、そして研成義塾にしても教育の精神というのは共通していて、それは特別な方法や考えではなく、教育そのものだと感じました。そうなると「見守る保育」というのは方法ではなく、「保育」そのものなのかな?と感じました。

  5. 研成義塾の井口喜源治という人は初めて知りましたが、この方も「教育は人格の問題であり、知識はその次である」と説かれたんですね。今でいう「教育」と井口氏や新渡戸氏が語る「教育」とは大きく差があるように思います。実際今まで「見守る保育」というものに出会わなければ気づかなかったことかもしれません。保育所には「人格の形成」とよく書かれていますが、それを想像し、形として結果が出るのを見ることが難しいので、つい目に見えて結果のでる知識に意識が向いているように思います。そうなるのも社会に
    ものがあふれているからなのかもしれませんね。それこそ「金銀の欲を思うべからず、富めるは智に害あり」ということなのかもしれません。つねに謙虚さをもって、自制心をもつ、これは大切なことですね。「見守る保育」はそういった自分の子どもに対する志を改めて見つめさせてくれたように思います。

  6.  中学生の頃、両親のすすめで高校受験に向けて『希望塾』という名前の塾に通いましたが、そこにいた先生がもう怖くて怖くて(笑)チョークは投げるわ、間違えれば教科書で叩くわ、大声で怒るわで、嫌になってやめてしまいました。その後は友だちもたくさん通っている都内では有名な方の塾に自分で決めて通ったのですが、そこは和気あいあいと楽しく学ぶことができ、結果希望する高校に入ることができました。先日、希望塾のあった場所を車で通る機会があったのですが、看板もなく、潰れてしまっていました。
     井口喜源治の研成義塾、吉田松陰の松下村塾、松下幸之助の松下政経塾、そして、藤森先生の臥竜塾、と〝塾〟という言葉を最近とても崇高な言葉として受け止めています。wikipediaの最初の方にも〝学者や知識人が自分の自宅で個人的に教えたもの〟とあります。その塾に入りたい理由は、その塾長に魅力があるからです。その学び場にいる人たちに魅力があるからです。その学び場に魅力があるからです。4月いっぱい、時間をじっくりかけて〝テンションを人並みにする方法〟を身につけていきたいと思います。

  7.  「人はいかなるものになろうとも、何をしようともその前によき品性の人になれ」「教育は、一人の教師(人格)が一人の児童、生徒に愛と信頼をもって相対するところに行われる」「教育は“できる”“できない”というレベルだけでなく、その子のよさ(天賦)をどう伸ばすかにある」「教育は、人間を現実の人間から真実の人間に育て上げていく営み」〝これは今日でも厳然と生きています。〟藤森先生が仰られている通り、今日でも活き活きと、むしろ新鮮さや鮮烈さをもって読み手の心を打つように感じられます。人は人から学び、人格を形成させていきます。良き人、悪しき人、様々な出会いの中で自分を築き上げていくのですが、人格を向上させていくことが人生の課題であると考えた時、やはり教師たる者、保育者たる私たちは反面教師の素材になるべきではなく、〝よき品性の人〟として生徒の、子ども達の心の糧となるべきでしょう。
     目の前の子どもの素行を正す日々。いたずらに日々を重ねることを止める為にも、井口喜源治氏の根底に流れていたであろう武士道の精神、人格者としての振る舞いを、教育、保育に携わる者は身につける努力をしていかなくてはならないのかもしれません。

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