NHK大河ドラマ「江」では、いよいよ秀吉と千利休の確執が深まり、緊張関係になってきました。千利休の処に、さまざまな大名たちが癒しを求めて集まっているということを先日のドラマでは放映されていましたが、もともとは、茶室という場所は、室町から桃山時代にかけての「小間(こま)」という空間が生まれて、ある緊張のある空間でした。四畳半以下の、できれば三畳や二畳というものすごい小さな部屋の中に、躙(にじり)口から頭を垂れて入っていくことは、確かに緊張します。この部屋で茶を立てる意味付けを千利休はするのです。中に入ると、その緊張を和らげるかのように、茶を立てる人の対面に座らず、90度の場所に座ります。しかし、狭いその空間は、2人から3人しか入れません。どうしても膝を接するようにして、みんなが座らなければならず、そこに緊張感を利休は求めたわけです。そして、そこで「一期一会」が生まれるのです。一生に一度の出会いという気持で、もてなす者のしていることを一言も一つも見落とさないようにすることを求めるという、緊張したコミュニケーションを求めています。
 しかし、茶室での濃密なコミュニケーションは、ある意図を持った集団になる可能性も強く、また、そこでのコミュニケーションは、政治の場で使い出します。その結果、お茶が非常に政治的な性格を持つようになります。その要素が千利休を追い詰めていくのでしょう。本来は、「お茶飲み話」というように、お茶を飲み合うという場は、気楽な、ホッとするような場であったのです。「一期一会」に使われている「会」という字は、本来、人と人との寄り合う陽気や愉快や、また何事かを共に成そうという共感や決意が込められているのです。
そういう共感や決意を込めた場所を日本人はつくってきました。いろりに鍋ややかんをかけ、その周りに家族がそろい、一緒に食事をし、お茶を飲みながら話をしたでしょう。たぶん、その空間が「茶室」ではなく、「茶の間」になったのでしょう。しかし、この茶の間も茶室同様、茶会に使用する部屋のことを言いました。先日、沖縄の首里城に行った時です。何度か訪れているのですが、それまであまり意識をしたことがなかったのですが、城の中の部屋に「茶の間」と書かれてある部屋があったのです。その部屋は、「茶道具一式を用意した部屋です」と書かれてあり、しかも、丁寧な言葉として「御茶の間」と書かれてあったのですが、丁寧に言ったこの言葉は、逆に「お茶の間」という非常に庶民的な言い方に代わってしまいます。
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茶の間とは、日本家屋の中で、家族が集う、生活の中心となる部屋のことを指します。その場は、茶室とは異なり、茶だけをする場所ではなく、食事を取ったり、一家団欒のための場所となっていて、「居間」「リビングルーム」の機能とともに、食事をする「食堂」「ダイニングルーム」の役割も兼ねています。そこでは、家族が揃ってテレビを見ました。そこで、テレビを見ている人に番組の中で呼び掛ける時「お茶の間の皆さん」などと言うのです。
 茶の間にいる人々は、囲炉裏の周りを囲んでいたように円形になって座りました。それが、ちゃぶ台です。茶の間で、ちゃぶ台を囲んで、みんなでお互いに顔を見合わせながら、食事をし、お茶を飲みながらくつろぐ姿が、「一家だんらん」でしょうね。そんなことがなくなってきたのは、建物の作り、部屋のつくりの問題もあるかもしれません。

未来への転換

今日の一言で「年金基金が支配的な株主になったことは経済史上最大級の転換を意味する。」とドラッカーは「未来企業」の中で述べています。
「ドメイン投票」は、子どもが持つ1票をだれが代理投票するのかという事務的な問題があったり、また、今の日本の人口構造では、この投票のメリットは十分に生かされず、必ずしも格差は埋まらないとのことで、日経ビジネスの中で竹内幹氏が、「年齢別選挙区」という考え方も提案されています。30年前には若年世代が多かったので、年齢別人口分布はピラミッドのような形をしていましたが、現在の人口ピラミッドは以前に比べて大きく歪んでいます。65歳以上の老年人口は全体の約22%を占めており、2050年時点では、老年人口割合は36%になるとも推計されています。このような状況では、子どもにも1票を認めたところで「シルバー民主主義」の打開には至らないだろうという考えです。
そこで、「平均余命に応じて議席配分」したらどうかと竹内氏は提案しています。通常、選挙区というと地理的な区分けがされています。各地方の選挙区から選出された地域代表を通じて、社会全体の利害を議会に反映させるシステムです。それに対して、社会全体の利害を汲み取るために、世代ごとに代表を選出したらどうかというシステムです。0歳?30代の「青年区」、40?50代の「中年区」、60代以上の「老年区」のように分け、世代ごとに代表を選べば、若者世代の声は「青年区」選出の議員が代表できるのではないかというのです。
 さらに、各世代選挙区に、その世代の平均余命(あと何年の寿命があるか)に応じて議席(議員数)を配分します。たとえば、いま25歳の人の平均余命は57年で、55歳の平均余命29年の約2倍ですので、20代選挙区には議席を多く配分し、その有権者1人当たり議席数が、50代選挙区の2倍になるようにします。若さに応じて1票に格差をつけるという考え方です。国政選挙はその国のあり方、数十年後の行く末を決める選挙であるため、その選挙結果の影響を数十年にわたって受ける世代こそが、将来を見通して責任をもって投票する当事者であるべきです。今後、50年、60年に渡って日本の将来を担う世代の声が議会に強く反映されるべきだと竹内氏は主張しています。
 このような選挙制度では、「1票の格差」が懸念されますが、移行期を除けば、生まれた年にかかわらず、どの人も生涯を通じて同じだけの投票力を持つので、生涯を通じた「投票価値の平等」は担保されるので問題はありません。また、若者の影響力が過大になるという懸念はいらないと言います。それは、彼ら自身もやがては高齢者になるのだから、若者だけに都合の良い刹那的・利己的政策ばかりを支持するとは思えないからだと言います。それよりも、孫のいない高齢者のほうが利己的な投票行動に走る可能性のほうが大きいと考えられないだろうかといいます。平均余命でウエート付けし直した人口ピラミッドは、30年前に日本社会が元気だった頃と同じような人口ピラミッドが再建できます。世代別選挙区と平均余命による議席配分は、社会の未来を担う若者世代に希望を与える選挙制度として有効であるのではないかというのです。
 私は、この選挙方法がいいのかわかりませんが、もっと若者も政策に関心を持ち、高齢者も、自分たちの時代だけでなく、次世代をどう作っていくのかを共に考えていってもらいたい気がします。そして、子育て費用、教育費は社会全体でシェアしていき、世代間の助け合いは、若者が高齢者を支えるという年金制度だけでなく、高齢者も子育て家庭を支え、子どもを支えるといった共生社会を目指し、政府も子育て費用を肩代わりして経済を効率的にするような施策が求められています。

投票方法

以前からよく言われることですが、「図表でみる教育2010(OECD教育指標)」には、こんな文章が書かれてあります。「現在の経済情勢において、公共支出がどのくらい教育に費やされているのかを見ると、他領域において少ない公共的関与しか行っていないOECD諸国においてさえ、教育への公的投資は社会的な優先事項となっている。OECD諸国では、平均的に公費全体の13.3%を教育に費やしており、チェコ共和国、イタリア及び日本のような10%未満の国々からメキシコのようなほぼ22%の国まである。」
教育への公的投資は、どの国でも課題のようです。しかし、その中で、日本が名指しで指摘されているのは、恥ずかしい話です。教育に投資する額が低いのがわかっているのに、なかなか増やすことができないのは、教育、子どもに優先的に使う国民的合意が薄いからでしょう。今回、ばらまきだと言われている子ども手当の見直しが行われますが、こんな記事が以前、掲載されていました。「日本の子どもの7人に1人は貧困状態にあり、経済協力開発機構(OECD)の30カ国中、12番目に高い。月に1万3000円程度の子ども手当はバラマキだと批判されるが、「世代間の助け合い」という美名のもと、賦課方式の年金制度は高齢者へのバラマキを続けている。その年金額についても、デフレでモノの値段が下がり続けていることに対応して、本来は減額される予定であった。ところが、政治判断によってその物価スライド適用は見送られている。そのツケを現役世代が負うにもかかわらずだ。高齢者政策は政治家たちが手をつけたがらない「聖域」なのだろう。」
高齢者に手当てするのは悪くはありませんが、社会保障における世代間格差が問題のようです。それは、現在の高齢者世代は、年金や医療保険を通じて政府から多くの給付を受けていますが、そのお金は現在ある収入から支払われているのではなく、国の借金(国債)や現役世代が支払う税金から払われており、その返済は、莫大な国債残高として次世代を担う若者世代やこれから生まれてくる子どもたちが支払うことになるのです。内閣府の「年次経済財政報告(平成17年)」によると、生涯において支払う税金と、受ける便益を比べると、今の60代は差し引きで約1600万円分の純受益があるのに対し、今の30代では約1700万円のマイナス(支払い超過)、これから生まれてくる子どもたちは、生涯で約4500万円分の借金返済に追われると書かれてあります。
これらの世代間格差は、どの国にも見られ、それを無くすために「若者の意思を反映しやすい選挙権制度」に見直し動きが出てきました。それは、急激な少子高齢化により歪んでしまった人口構成のもとでは、選挙で多くの票を投ずる高齢者に有利な政策が選ばれがちだからです。その状況を指して、「シルバー民主主義」と言われています。日本でも、国政選挙での投票率は、50歳以上の票が過半数を超えるのに対して、20代ではわずか9%しかありません。どうも、若者はそれよりもAKB48に投票するようです。これは、投票の仕方の問題なのか、関心の度合いなのか、政治は諦めているのかわかりませんが、自分たちの将来に影響することにもっと関心を持ってほしいですね。しかし、この投票率は、必ずしも関心の高低の問題だけでなく、人口割合にもよります。
ハンガリー政府では選挙の投票方法に関し、未成年の子どもを持つ母親に対して追加的に1票を割り当てることを検討しています。これは、子どもにも1票を認める「ドメイン投票」と呼ばれるもので、子どもにも1票をみとめ、それを保護者が代理投票する制度です。公共財である子どもの作り手(親)の声を政治に反映しやすくするもので、少子高齢化社会の是正として試みられようとしています。日本でも、20歳未満は日本人人口の約18%を占めていますので、この層が新たに国政選挙で影響力を行使するようになれば、選挙戦で子育て支援が前面に出てくるにちがいないといわれています。

宗教教育

 日本人における倫理や道徳観を子どもたちは何から学ぶかということで「武士道」を考えてみました。新渡戸稲造が「武士道」を著したきっかけは、外国人に日本では宗教教育がないのに、どこで道徳を学んでいるのかと聞かれたことだと「はじめに」に書かれてあります。先日、2000年に渡独し、ミュンスター大学で音楽療法士の資格取得、現在、教育関連の仕事と思春期の子育てに奮闘中である内田 博美さんがドイツにおける道徳教育について書いていました。
ドイツでも、最近は、キリスト教離れが進んでいるそうで、キリスト教で禁じられている行為や、規律などが次第に守られなくなっているそうですが、それでも、日本人の心に無意識のうちに根付いている武士道同様、キリスト教の教えは日常生活に強い影響を与えるほど社会に根付いているようです。それは、子どもたちを育てる教育の場でも同じだそうで、その実例が書かれてあります。
内田さんの娘さんは、カトリック系の小学校に通学していたそうです。その学校は、カトリック系なので、入り口には十字架があり、校長先生は敬虔なクリスチャンだったそうですが、生徒の宗教の別を問わず、プロテスタントやイスラム教の子どもも受け入れていたそうです。それでも、入学前に確認されることは、「宗教の授業に必ず参加する」ことだったそうです。ただ、この宗教の授業は、すべての生徒がカトリックかプロテスタントのどちらかの授業を選ぶことはできるそうです。内田さんの娘さんは、友達が参加するからという理由でカトリックの授業を選んだそうです。すると、最初の授業では「困った人がいたら助けましょう」「高齢者には席をゆずりましょう」といった道徳的な内容が中心で、あまり宗教の教義らしさは感じられないのですが、小学校の3年生の頃から生徒の中には堅信式などの儀式を受ける子が増え、同時に宗教の授業は教会の礼拝堂で行われることも多くなり、その内容は聖書を学ぶなど「本格化」していくそうです。
内田さんの娘さんが、3年生も終わりに近付いたある日、教会での宗教の授業には出たくないと言い出したそうです。それは、「教会では、歌って話しを聞いているだけで、すごくつまらない」という理由だったそうです。そこで校長先生に相談すると、プロテスタントの授業に移るよう勧められたそうです。こちらでは教会には行かず、教室で絵を書いているとのことで、ずいぶんと簡単にカトリックからプロテスタントの授業へ移動できるようです。また、同じクラスにいたイスラム教徒の生徒3 人のうち、1人はカトリックからプロテスタントの授業に移り、最終的には1 人だけ教室に残って自習していたそうですが、「宗教の授業に息子を出席させたくない」という願いは、聞き入れられないようです。
ドイツでは狭い地区であってもカトリックとプロテスタントの学校を分けて作っていた時代もあり、当時はそれぞれの生徒同士の対立が激しかったそうです。「世の中には色々な考え方や神様を信じる人がいる」ということは、漠然と学んでいるようですが、教会の神父の厳格さと威圧感に反発を覚えた内田さんの娘さんも、授業自体は歴史を学んでいるようで楽しかったと言います。またドイツには、カトリック教会が運営する学校が多くあり、教師や修道士などが子ども1人ひとりにカウンセラー的存在として配置されるなど、生徒に対してよりきめ細かな配慮があるようです。
ドイツでは、多国籍、他民族の人たちが多く生活しています。そして、多様性を認める土壌があります。しかし、たびたび学校の宗教教育のあり方について、国内で度々激しい議論が起こっているようですが、宗教教育は意外と厳格のようです。伝統、規律、道徳と多様性を認めることとの悩みはどの国にでもあるのですね。

はがき

 先週末、園で遠足がありました。毎年年間テーマが決められているのですが、今年は「森」がテーマでした。ということで今年の遠足のキーワードは、「大災害から身を守るため知恵」ということで、「自然を知ろう」「地域の人たちを知ろう」でした。そのテーマに沿って、裏の「おとめ山公園」を拠点としてさまざまなポイントを親子で巡るといった趣向です。そのポイントには、自然について詳しい人、自然と親しむ方法を知っている人、自然を守ろうとする人、自然を復活しようと活動している人などの地域ボランティアさんたちが、子どもたちにいろいろなことを体験させてくれます。
 その中の一つのポイントには、東京郊外と、園の近くにある両郵便局の人たちの協力で実施のできたポイントがあります。
 そのポイントに来ると、東京郊外の郵便局員さんたちが協力して集めてくれた「タラヨウ」の葉が置いてあります。その気はモチノキ科に属する常緑の高木で、お寺や神社によく植えられています。その葉は、椿の葉のように肉厚は分厚く、硬くて、葉の縁にはとがった鋸歯があります。その形から、場所によってはノコギリバ、ノコギリモチなどとよぶことがあるそうです。この木が、どうして神社やお寺に多いかというと、この木の葉を火にあぶって吉凶を占ったという宗教的な習慣が関係しているからだと言われています。すなわち、タラヨウノの葉を火にかざしますと炎の熱を受けた部分の組織が破壊され、短時間のうちに黒く変色し、何か絵のような模様が見えてきます。そのためエカキバ、エカキシバとも呼ばれています。この模様が何を表わしているかを読むことで占ったと言われています。
 この葉は、炎をかざすとその部分が黒くなるのと同様に、葉の裏にとがった物で字を書いてしばらくすると、引っ掻いた部分が黒くなり、はっきりとした字が浮き出てきます。そのまま乾燥すると、この黒い部分はそのまま残るので、保存することができます。20年も前に書いたものが現在でも読めるそうです。そこから、「ジカキバ」とか、「ジカキシバ」という別な名前もあります。タラヨウとは「多羅葉」と書くのですが、もともとインドで葉の裏にお経の文字を書いたヤシ科の聖木、「多羅樹」になぞらえてつけられた名前です。このタラヨウの葉に宛先の住所氏名を書いて、定形外の郵便切手を貼ってポストに入れると、ちゃんと配達してくれるそうです。
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 ということで、園の遠足のときに、ポイントで、保護者の方に事前に住所を調べておいてもらった大切な人へ、親子でタラヨウの葉に手紙を書いてもらい、園においてある郵便ポストに投函してもらい、後で、近くの郵便局員さんに集配してもらうという企画です。しかし、そのまま投函すると皺くちゃになるといけないので、ビニール袋に入れて、そこに80円切手を張って投函してもらいました。
タラヨウの葉に文字を書くことはすでに戦国時代(500年ほど前)には武士が便りに利用していたとも言われています。このように、この葉に字が書けることから、子どもの手習いにこの葉を使い、「手習いの木」とか「はがきの木」などと呼ばれ、現代のハガキ(葉書)の語源になったとも言われています。また、郵政省では、緑化推進を目指してこのタラヨウを「郵便の木」に指定しています。
地域の人たちの協力で行うことのできた遠足では、地域の人を知るだけでなく、地域の人の知識を知ることもできました。

先週、仙台に行ったときに石巻に連れて行ってもらいました。高台から見た被災地は、テレビ映像では見ていたものの、言葉を失うほど瓦礫の町と化していました。
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そのあと、塩竃神社の近くで食事をいただいたのですが、この神社の祭神は「古事記」「日本書紀」の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与え、ワダツミの宮へ案内した博識の神としても有名な「塩土老翁神」です。塩は汐や潮にも通じ、漁港では、重要な役目を担っていたために、地名にも使われているのでしょう。
昨日、職員と「ラッキョウ」を漬けました。少し前に「イチゴ酒」をつくって非常においしかったので、みんな癖になったのです。どちらにも砂糖をだいぶ入れます。また、昨年は、園で、沢庵や梅干しをつけました。そこには塩をだいぶ入れました。塩には防腐作用があるといわれ、塩蔵として食品の貯蔵に広く用いられています。
 人類が狩猟生活から農耕生活に変わるとともに、住むところを転々と変えていくことから、定住するようになってきました。また、三内丸山遺跡にみられるように、狩猟生活においても村をつくり、集団で生活するようになると、食べ物を腐らせないように保存することが一層重要になっていきました。それに使われたのが塩ですが、塩の入手は容易でなかったために、貴重なものとして扱われていました。また塩は、その防腐作用により物が腐って消えてしまうことを防いだために、神秘的な力があると信じられ、魔除けや厄除け、清めに使われるようになりました。
砂糖は、その浸透圧によって微生物中の水分が細胞外に引き出されて、微生物(細菌、カビ、酵母菌など)は死滅するのですが、浸透圧は砂糖だけではなく塩でも生じますので、塩にも防腐効果があるのです。しかも、塩は砂糖よりも入手しやすく、少ない重量で大きな浸透圧が得られますのでより防腐効果が高いといえます。通常、微生物はあらゆる所におり、熱をかけて滅菌されない限り、環境が繁殖に適しておれば、その微生物は増えてきます。しかし、保存中の塩の環境は細菌の繁殖には適していませんので、数が増えることはありません。また、食塩や精製塩のように熱をかけて煮詰められてつくられる塩は滅菌されていますので、細胞はほとんどいないと考えていいようです。しかし、粉砕塩は天日塩を粉砕した物ですので、特殊な細菌がいるようですが、洗浄されているので数は少なく、心配ないようです。
 塩や砂糖の防腐作用を具体的に表すには水分活性という言葉が使われます。水分活性の値は1より小さいのですが、濃度が濃くなるほど、数字が小さくなり、微生物は繁殖できませんので、防腐効果が高くなり、腐りにくくなります。しかし、多様な微生物の中には、塩分濃度の高い状態でも好んで繁殖する微生物がたくさんいるようです。このような微生物を好塩菌といいます。好塩菌は塩分濃度によって何種類かに分けられますが、一番身近な例では、味噌、醤油の製造に使われる微生物です。
物が腐るための環境として、水分が多く、栄養物があり、pHが中性に近く、温度がほどほどに高いということがあります。これからの梅雨から夏に向けての環境は、微生物の繁殖しやすくなり、物が腐りやすくなる時期ということになります。今年は、肉による食中毒も多発しています。もしかしたら、体が弱くなっていることもあるでしょうが、梅雨の間は気をつけたいものです。

砂糖

 最近、コーヒーに砂糖を入れない人が多くなりました。最初は、それはダイエットのためだった人が多かったようですが、最近はブラックコーヒーの味が好きな人が増えてきたようです。ケーキなどの砂糖含有率が少ないものも出てきています。また、塩分を控える人もよく見かけます。漬物にしても、梅干しにしても、やはり、塩分控えめの製品をよく見かけます。しかし、砂糖も塩も料理の味付けの基本になる5つの調味料である頭文字を取って「さしすせそ」と呼ばれているうちの二つです。その砂糖は、料理においては甘みを出すのはもちろん、隠し味として味に深みを出す場合にも欠かせない調味料ですが、他にもいろいろな特徴があります。
脳はどの臓器よりも多くのエネルギーを消費しますが、そのエネルギー源となるのはブドウ糖だけです。砂糖もご飯と同様に、最終的には体の中で同じブドウ糖に消化され、脳や体のエネルギー源として使われます。しかも、砂糖はご飯やパンに比べ吸収力があり、エネルギーをすばやく回復させる速効性のエネルギー源なのです。また、ダイエットする代表の砂糖ですが、ご飯やパン、パスタと同じ炭水化物ですから、そのカロリーも1g=4kcalとどれも同じです。
和菓子には、たくさん砂糖を使っているものが多くありますが、それは、甘さを出すだけの役目ではなく、他にも菓子に使われる理由がいくつもあります。砂糖には親水性・保水性がありますので、肉に砂糖をもみこむと砂糖がタンパク質(コラーゲン)と水分とを結びつけ、お肉をやわらかくします。また、砂糖は抱え込んだ水を離さないので、砂糖をたっぷり使ったお菓子はいつまでも固くなりません。洋菓子に使うときには、卵白や生クリームを泡立てて、メレンゲやホイップクリームを作りますが、そこに砂糖を加えると泡立ちがよく、できた泡がなかなか消えません。また、ケーキやクッキーなど、脂肪を使った食品に砂糖をたっぷり入れると、脂肪が酸化せず味が悪くなりません。また、果物に含まれるペクチンがゼリー状に固まったものがジャムやマーマレードですが、このペクチンがゼリー化するのは、砂糖がペクチンを網目のようにつなぎ、水を抱え込むためです。
すし飯に砂糖を加えると固くなりません。砂糖にはでんぷんをしっとりと柔らかく保つ働きがあります。パンなどにも砂糖を入れますが、それは、砂糖はイーストの醗酵を活発にし、生地をふっくらとさせ味を良くするからです。また、卵や小麦粉のタンパク質と砂糖が作用しあって、おいしそうな色と香ばしさを出します。
今年の東京は、もしかしたら計画停電が夏に行われるかもしれません。電灯やテレビなどが消えるのは構わないのですが、冷蔵庫が消えてしまうと、中身が腐ってしまう可能性があるので困ります。そんなときに、砂糖は効果を表します。意外と、砂糖は、実は強い防腐作用を持っています。防腐剤というと塩を思い浮かべますが、砂糖には食品などに含まれる水分を奪い取る性質があり、それにより微生物の活動を抑える効果があります。ジャムや砂糖漬けの日持ちをよくするために砂糖を使うのはそのためです。ちなみに、食品の全重量の半分以上を砂糖にすれば防腐の効果が期待できるようです。
砂糖はカビ、細菌の繁殖に必要な水分を吸収して繁殖できないようにする効果をつかって、最近、こんな用途の記事を見つけました。「たんこぶや切り傷などに水で溶いた砂糖を付けると、不思議と跡が残らず、きれいに直るようです。古くから伝わるものの、ただの民間療法といわれていましたが、アメリカの医者が7年間にわたり患者に試したところ、一定の成果が見られたようで効用は実証済みです。同じ姿勢で寝続けているとなりやすい、床擦れにも効果があるみたいです。ただし、すこしでも異常を感じたらすぐに中止するようにしてください」
また、「シャボン玉を作るとき、石鹸水に砂糖をひとつまみ入れるだけで、シャボン玉が割れにくくなり、大きなものを作ることができます。砂糖を加えることでシャボン玉液の粘度が増し、薄い膜になったときの強度が増したといえます。そのほか、切り花は軽く1さじの砂糖を加えた花瓶に挿すと、花の色をきれいに長持ちさせることができます。」

武士道19

いよいよ、長く続いた武士道も最後になりました。新渡戸は、最後の章で「武士道の遺産から何を学ぶか」ということで締めくくっています。私が、今回、武士道の解説をしてきたのですが、それはもちろん新渡戸が武士道を通して何を伝えたかったかということを読み取ってきました。しかし、それは、必ずしも新渡戸が伝えたかったということだけを解説していません。私は、新渡戸稲造の研究者でもありませんし、「武士道」の研究者でもなく、その論文を書いたつもりもありません。新渡戸が言いたかったであろう本質を、今の時代であったらどの様な内容になったであろうか、どのようなとらえ方をしただろうかということを、かなり自分勝手に解釈したり、切り取って強調したりしたところはあります。しかし、それが、保育者、教育者にとって、何を大切にすべきか、何を子どもたちに伝えていけばよいのかという視点から解説をしようと試みたものです。それが、私にとっての「武士道から何を学ぶか」という答えです。
新渡戸は、「悲しいかな武士道、哀しいかなサムライの誇り、鉦や陣太鼓の響きとともに世間に迎え入れられた道徳は“名誉や名君が立ち去る如く”その姿を消す運命にある。」と嘆いています。それは、日本においては武士道を養い育てようとする宗教は何処にもなく、封建制度の中で育っていたため、めざましいデモクラシーの滔々たる流れは、武士道の残滓を飲み込んでしまっているからだと言います。民主主義はいかなる形式、いかなる形態の特権集団をも認めないため、知性と文化を十分蓄えた権力を独占した人々によって組織された特権集団の精神であり、道徳的な諸性質の等級と価値を自らの手で定めていた武士道は否定されてきたからだと新渡戸は言っています。
しかし、新渡戸は、違う意味で武士道が必要になると思っています。「近年生活にゆとりができ、武士の訴えてきた使命よりも、もっと気高く、もっと幅広い使命が今日、要求される。広がった人生観、民主主義の成長、他民族、他国民に対する知識の増大とともに、孔子の仁の思想、仏教の慈悲の思想、キリスト教の合いの観念へと繋がっていくだろう。人はもはや臣下以上のものとなり、市民という存在に成長した。否、人は市民以上のものすなわち人間である。」武士道を、このように大きく考えると、今こそ必要な教えかもしれません。
新渡戸は、クラム教授の言葉の言葉を借りて、日本人に伝えられてきた名誉、勇気そして全ての武徳の優れた遺産を「我々が預かっている財産にすぎず、祖先および子孫のものである。それは誰も奪い取ることのできない人類永遠の家禄」であると言っています。そして、我々の使命は「この遺産を守り、古来の精神を損なわないことであり、その未来における使命は人生の全ての行動と諸関係に応用していくことである。」としています。
私たちは、あらゆる方向に、美と光の力と慰めの源泉を求めたけれど今だ武士道の代わりとなるべきものは発見されていないと新渡戸は言います。しかし、武士道は守るべき確固たる教義や公式を持たないために、その姿を全く消し去ろうとしています。確かに、武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれませんが、その力はこの地上から消し去ることはないと新渡戸は考えています。その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれないけれど、その光と栄誉はその廃墟を超えて組成するにちがいないとみています。
新渡戸が最後に武士道の運命、いつに時代においても影響する武士道の心を美しい言葉でたとえています。「何世代か後に、武士道の習慣が葬り去られ、その名が忘れ去られる時が来るとしても、“野辺に立ちて眺めやれば”、その香りは遠く離れた、見えない丘から漂ってくるだろう。」
私は、最近、どこからか漂ってくるかぐわしい香りに心ひかれ、その源を捜し求めた結果、日本の奥深い山奥で「武士道」という山桜を見つけたのだと思います。

武士道18

「国民性」というものがあるのでしょうか。また、それは、守るべきものなのでしょうか。私は、それは、守るというものではなく、私たちの思考や態度に受け継がれてきた無意識の行動のような気がします。しかし、その行動は、基本的には持続的社会を形成していくうえで、また、人類の遺伝子を子孫につないでいくために必要なことなのです。遺伝子を途絶えさせるような災害、環境の変化が身に降りかかってきます。その時に、人間とはどうあるべきか、私たちはどのようなことを学び、行ってきたかを見直すことは必要です。また、それは、それぞれの風土の中で育まれてきた人間としての知恵でもあります。
新渡戸は「日本に怒涛のように押し寄せてきた西洋文明は、わが国古来の訓育の痕跡を消し去ってしまったのであろうか。一国民の魂がそれほど早く死滅してしまうものとすれば、それはまことに悲しむべきことである。外からの影響に対していともたやすく敗退するものならば、それはきわめて貧弱な魂といわねばならない。」と言います。日本人の心の中に受け継がれ、国民性のかたちづくっているものを「武士道」の中に見てきたのですが、新渡戸は、武士道で取り上げた特質とされているものが、「武士道のみ」に限られた遺産ではなく、どの国においても見られるとしています。新渡戸は次のように言っています。「あらゆる国のもっとも有力な人々を結びつけ、お互いに理解し合い、協力し合える要素、そして、もし誰かがその秘密結社の符号を見失っても、ただちに感知できるような明確な何かである。」
武士道は、人との関係の在り方を示しています。人との関係は、どの国においても必要であり、人類が持続するために必要な知恵なのです。人は社会を形成し、その一員としてのあり方を学んでいく必要があります。社会の中で、理解し、協力し、それは、私が常々言っている「共生と貢献」を学んでいくことが必要なのです。ただ、その理念は世界共通であっても、社会は、その国特有のあり方が問われてきます。それが、「国民性」と言われるものかもしれません。そして、日本人にとって、武士道が蓄えている活力は否定できませんし、その影響は広汎な範囲に及んでいることは間違いがないと言います。武士道は、一つの無意識的な、あらがうことのできない力として、日本国民及びその一人ひとりを動かしてきたのです。
「維新回天の嵐と渦の中で、日本という船の舵取りをした偉大な指導者たちは、武士道以外の道徳的教訓をまったく知ることのない人々であった。」ことを見ても、私たち日本人を良かれ悪しかれ駆り立てたものは、まぎれもなく純粋にして単純な武士道そのものだったのです。そして、日本で起きた維新のような変化は、まったく自発的なものであり、西洋が日本に教えたのではなく、自ら学んだものだったのです。
ヘンリー・ノーマン氏は、今日の新しい日本をつくり、かつ将来のあるべき方向へと進めている中心軸に触れて、「極東事情を研究観察して日本が他の東洋の専制国家と異なる唯一の点は、“人類がかつて考え出したことの中で、最も厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力をもつ”ことである」と断言しています。
しかし、新渡戸は、反面、日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があると思っています。日本人が深遠な哲学を持ち合わせないことは、武士道の訓育にあたって形而上学の訓練が重視されていなかったことが原因だとしています。また、日本人の感じやすく、激しやすい性質は名誉観にその責任があるとも思っています。
そうはいっても、武士道の影響は深く根付き、かつ強力であると新渡戸は言います。しかし、その影響は無言の感化なのです。そこで、もう一度私たちは武士道から、今に生きる知恵を学ぶことが必要であると思っています。

武士道17

「世の人はよしあしごともいはばいへ 賤が誠は神ぞ知るらん」
武士道8で「“誠”とは文字通り、言ったことを成すことです。」という「誠」について考えてみました。「誠」の心を持った吉田松陰は人にはなかなか分かってもらえません。そのために下田で獄舎につながれてしまいます。その時に、自分は何らやましいことはないということを艦隊の士官に渡した手紙に書いた和歌が、最初の文で、回顧録のうち「三月二十七夜の記」に書かれています。賤という言葉は自分を卑しめて指す言葉で、「世間の人は、良くも悪くも言いたいように言え。私の誠を神はご存じなのだから。」という信念が表わされている和歌です。
その吉田松陰は、下田から江戸に移送されます。途中、品川の泉岳寺のあたりを通ります。泉岳寺は、かの有名な赤穂浪士が眠っているところです。自分が取った行動は、当然今の自分が受けているような処罰になるとわかっていても、どうしてもそうせざるを得ない気持ちがあるということで、赤穂浪士が切腹を言い渡されるのがわかっていても主君の仇打ちを実行したのと自分を重ね合わせて、その気持ちは、「大和魂」がなせる行動であると「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」と自分の行動を回顧しています。
また、松陰は、自分の死を悟ったときに家族に当てて書いた「永訣の書」と一緒に、松下村塾の門下生にあてて書いた「留魂録」がありますが、その冒頭に「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」(この身はたとえ武蔵野の野に朽ち果てようとも我が大和魂は、永遠に留めおきて日本の為に尽くすのだ)という辞世の句があります。松陰は、門下生に伝えたい熱き思いは「大和魂」でした。では、松陰が伝えたかった大和魂とは一体何であったのでしょうか。
光源氏は、わが子をどのように育てたらよいのか考えます。周りは息子をちやほやするでしょうが、当時の先進国だった中国の学問をしっかり身につけさせようと思います。その部分を紫式部は、「猶、才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ」と書いています。頭でっかちにならず、いろいろと世の中を知り、常識を持った均整のとれた感覚を、「大和魂」と言っています。
新渡戸は、武士道の次の章で「大和魂」について書いています。武士道の「武」という字は鉾(武器)を止めるという構成からできていますが、まさに、戦わずして平和を維持する道のことを指し、日本人は、武士道を武術の道ではなく、武士階級が守るべき倫理道徳の精神面を大切にしました。深い倫理哲学を心に刻んでの人の道なのです。「やまと」に大和の字を当てたのは、国の理想が「和」であったからで、これに大いにすぐれているという意味の大を付けて大和と名付けました。まさに、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」が基本の理念です。
 新渡戸は、大和魂を本居宣長の歌を借りて、桜の花にたとえています。「しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほふ山ざくらばな」それは、日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表現しました。そして、同じ桜にしても山ざくらです。それを新渡戸は、「大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である。それは我が国の土地に固有である。その偶然的なる性質については他の国土の花とこれを等しくするかもしれぬが、その本質においてはあくまで我が風土に固有なる自然的発生である。」そして、次のようにたとえています。「その美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。およそ色彩形態の美は外観に限られる、それは存在の固定せる性質である。」
この章の最後に、新渡戸は、この大和魂が日本人の心に受け継がれていくことに不安を感じ、それも桜の花にたとえています。「しからばかく美しくして散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型であるのか。」日本の魂とは、桜の花のようにもろく、滅び去ってしまう運命にあるのでしょうか。