武士道18

「国民性」というものがあるのでしょうか。また、それは、守るべきものなのでしょうか。私は、それは、守るというものではなく、私たちの思考や態度に受け継がれてきた無意識の行動のような気がします。しかし、その行動は、基本的には持続的社会を形成していくうえで、また、人類の遺伝子を子孫につないでいくために必要なことなのです。遺伝子を途絶えさせるような災害、環境の変化が身に降りかかってきます。その時に、人間とはどうあるべきか、私たちはどのようなことを学び、行ってきたかを見直すことは必要です。また、それは、それぞれの風土の中で育まれてきた人間としての知恵でもあります。
新渡戸は「日本に怒涛のように押し寄せてきた西洋文明は、わが国古来の訓育の痕跡を消し去ってしまったのであろうか。一国民の魂がそれほど早く死滅してしまうものとすれば、それはまことに悲しむべきことである。外からの影響に対していともたやすく敗退するものならば、それはきわめて貧弱な魂といわねばならない。」と言います。日本人の心の中に受け継がれ、国民性のかたちづくっているものを「武士道」の中に見てきたのですが、新渡戸は、武士道で取り上げた特質とされているものが、「武士道のみ」に限られた遺産ではなく、どの国においても見られるとしています。新渡戸は次のように言っています。「あらゆる国のもっとも有力な人々を結びつけ、お互いに理解し合い、協力し合える要素、そして、もし誰かがその秘密結社の符号を見失っても、ただちに感知できるような明確な何かである。」
武士道は、人との関係の在り方を示しています。人との関係は、どの国においても必要であり、人類が持続するために必要な知恵なのです。人は社会を形成し、その一員としてのあり方を学んでいく必要があります。社会の中で、理解し、協力し、それは、私が常々言っている「共生と貢献」を学んでいくことが必要なのです。ただ、その理念は世界共通であっても、社会は、その国特有のあり方が問われてきます。それが、「国民性」と言われるものかもしれません。そして、日本人にとって、武士道が蓄えている活力は否定できませんし、その影響は広汎な範囲に及んでいることは間違いがないと言います。武士道は、一つの無意識的な、あらがうことのできない力として、日本国民及びその一人ひとりを動かしてきたのです。
「維新回天の嵐と渦の中で、日本という船の舵取りをした偉大な指導者たちは、武士道以外の道徳的教訓をまったく知ることのない人々であった。」ことを見ても、私たち日本人を良かれ悪しかれ駆り立てたものは、まぎれもなく純粋にして単純な武士道そのものだったのです。そして、日本で起きた維新のような変化は、まったく自発的なものであり、西洋が日本に教えたのではなく、自ら学んだものだったのです。
ヘンリー・ノーマン氏は、今日の新しい日本をつくり、かつ将来のあるべき方向へと進めている中心軸に触れて、「極東事情を研究観察して日本が他の東洋の専制国家と異なる唯一の点は、“人類がかつて考え出したことの中で、最も厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力をもつ”ことである」と断言しています。
しかし、新渡戸は、反面、日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があると思っています。日本人が深遠な哲学を持ち合わせないことは、武士道の訓育にあたって形而上学の訓練が重視されていなかったことが原因だとしています。また、日本人の感じやすく、激しやすい性質は名誉観にその責任があるとも思っています。
そうはいっても、武士道の影響は深く根付き、かつ強力であると新渡戸は言います。しかし、その影響は無言の感化なのです。そこで、もう一度私たちは武士道から、今に生きる知恵を学ぶことが必要であると思っています。

武士道18” への7件のコメント

  1. 東日本大震災は、私自身がこれから生きていく上で、知らなければならないことを私に与えてくれた、そんな気がします。学び、というより、おそらくは、覚悟、と言ってもよいでしょう。震災の夜、東京では帰宅困難者が眼下の路上を、まるで訓練でもしているかのように、整然と混乱することもなく、列をなして一方向に過ぎ行きていきました。大津波による被災地では、さまざまな流言飛語があちこちで囁かれやがてニュースにもなりましたが、全体的には海外メディアが賞賛したように、助け合いこそあれ非常時とは思えない落ち着きをもって人々は事態に対処していました。「武士道」で言われてきたことが実は庶民レベルにまで浸透していた証だと私は思っています。「最も厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟」が今回の震災によっていみじくも明らかになったのではないか、と考えています。普通の暮らしをしている人々の中にあって実現したことに改めて驚いています。

  2. こうして武士道について続けて取り上げられていて、武士道がどんなものかは大ざっぱに捉えることはできましたが、まだまだ本質まで理解することはできていません。わかったようなわからないような、そんな感じです。でも、日本人が心のあり方についてあらためて考えなければいけない時期に来てるのはよくわかります。問題だと思われることがずいぶん明らかになりました。同時にこれからも大事にしていくべき良い点も見えてきているとも思います。和をもとにしたつながりを今は強く感じているのですが、まずはここに注目しながら今感じている問題にも目を向けていこうと思っています。

  3. 実は、日本人は、大きな国難のたびに、武士道精神を捨ててきた気がしてならない。第一の国難である明治維新。皮肉なことに維新回天の原動力である武士道精神を文明開化の陰で徐々に忘れ始めた。第二の国難である昭和20年の終戦。それに続く奇跡的な高度経済成長。「国家の品格」で新田次郎氏が嘆いているように、日本は世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったのです。「古い上着よさようなら」とばかりさっさと日本人の心を捨てて、豊かさと便利さこそが幸福を生むという信仰に憑りつかれてしまった。その結果、世界一の地震大国にも関わらず、世界で三番目に原発の多い国を作ってしまった。3.11による原発災害は、起こるべくして起こった国難である。先日、カタルーニャ国際賞を受賞した村上春樹氏はスピーチの中で次のように語っている。
    『原子力を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。それは、日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。』
    「我々日本人の倫理と規範」とはまさしく武士道のことである。世界に範たる「共生と貢献」の理念である武士道を蘇らせるのは、未曾有の国難の時、今しかないと思う。

  4.  自分が守るべきもの。ブログに冒頭の方に「思考や態度に受け継がれてきた無意識の行動」まさにその通りだと思います。人間はまず自分達の遺伝子を残すことが優先です。それが一番でないと、まず国も守ることもできません。その為には、人との関わりがとても重要になってきます。今回の震災でも自分だけ助かれば良い、という安易な考え方をしている人が大勢いると、たちまち日本という国は滅びていくと思います。「共生と貢献」本当にこの言葉が重要だと思います。国民全体が共に生き、共に貢献しあう事が、遺伝子を残すことができ、それが「国民性」につながるのですね。これは確かに意識して出る行動ではなく、無意識の中で出る行動ですね。

  5. 今回の震災で学ぶことは多くありましたし、気づくことも多くありました。今回の武士道の話を聞いていると自分自身まだまだできないところがあったり、もういまや日本人にはない感覚なのかもしれないと思うことがありましたが、今回の震災で大きい混乱があっても暴徒化しない人々、救援物資をすぐに送る人々、ボランティアに行く人々、ほかの国では珍しい光景ですが、日本では当たり前に見える光景。これは正に国民性なんだと思います。そして、「武士道17」でも挙げられた「和」というものが見られた用に思います。目に見えてすぐ見れるものではないですが、こういったときに出る行動は正に国民性であり、日本の誇れる文化だと思いました。

  6. 武士道を通して話が進んできましたが、一つ一つの話は分かるものの理解という点では難しくてまだまだ、勉強し足りないと思いました。ただ、「私たちの思考や態度に受け継がれてきた無意識の行動」というのはよく分かるように思います。自然とそうなっていくそれが国民性なのだと思います。また、武士道で取り上げた特質とされているものが、ほかの国でも共通する特質があるというのは興味深いですね。しかし、それは元を正せば共通でなくてはいけないもののように思います。なぜなら、人が社会を形成するに当たり、共通した特性がないと社会ができないからではないでしょうか。何事もその本質になる「骨格」というか、「中心」となる部分が共通していないと国はまとまりません。本当の中枢になる考えをみんなで協力しもつ、こういったことがとても必要なことだと思いました。

  7.  「国民性」について、〝それは、守るというものではなく、私たちの思考や態度に受け継がれてきた無意識の行動のような気がします。〟と冒頭にあり、とても納得します。先日テレビでオランダの子どもの幸福度が高いということで、その子育てについて放送がされていました。食事や子育ての細かい所を見ると、とても日本と違うというのでしょうか、自分が違和感を感じる点がやはり多々あり、その違和感という部分が自分の中に知らずの内に染み込み、浸透している国民性というものなのではないかと思いました。
     その国民性というものの発端のような、時に指針であり、心の支えであったものが武士道に流れる精神のような気がします。見守る保育を学び、勉強を進めていく中で、社会の拠り所となり得る崇高なものを確立することへ、日々歩みを進めていると感じています。〝今、人が求めているものは真理である〟と最近何かの本で読みました。真理とは不変のものであると思いながら、日本人には日本人の真理、日本人の国民性の中で生まれる真理の形があると思います。その上で、武士道の考え方は外すことのできないものであると思います。

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