有機栽培

 最近、食材への放射能の影響を心配するひとがいます。確かに、子どもへの影響は親としては心配です。しかし、それ以上に、日ごろからの食材への農薬の使用とか、添加物の使用も心配です。そこで、なるべく「無農薬」とか、「減農薬」や「低農薬」という表示の野菜などを買う人が増えてきました。また、「有機玄米」や「有機栽培野菜」という表示も目立つようになりました。確かに、今回の放射能ばかりを心配しますが、それ以上に、これらの食材を使用する必要があるような気がします。しかし、それらの食材は安心ということではなく、正しい理解が必要なようです。
需要があれば、当然供給側が増えていきます。先日の6月27日の記事で「ドイツの有機農家数、10年は4.3%増 栽培面積4.6%増」という内容が掲載されていました。ドイツは、今回の原発についてもいち早く見直しをしたように、環境についての認識は高いようです。記事の内容をみると、「ドイツ農業・消費者保護省が24日までに発表したところによると、同国では有機(オーガニック)農産物への需要が年々高まっており、欧州連合(EU)基準に従った2010年の有機農家数は前年比4.3%増の2万1942戸に増加、全農家に対する比率は5.6%から7.3%に拡大した。有機栽培面積は4.6%増の99万702ヘクタールとなり、全作付け面積の5.9%(前年は5.6%)を占めた。」とあります。しかし、ドイツといっても、連邦国なので州によってずいぶんと意識の高さが違うようです。私が毎年行くバイエルン州が圧倒的に多く、6437戸、次いでバーデン=ヴュルテンベルク州の6368戸と続きます。その後は、ずいぶんと減ります。ドイツの中でも最大人口を抱えるノルトライン=ヴェストファーレン州は、1800戸です。それでも3位ですから、1,2位はずいぶんと高いですね。また、有機農産物の加工業者も増えており、昨年は前年比4.5%増の7703社を数えたそうです。
日本では、どのくらい有機農家があるかというと、有機農家のうち、2008年現在有機JAS認定を国内で受けている生産行程管理者数は約2800件(組合やグループ含む)で、農家数ならば5000?6000戸と推測されているそうです。日本では、1971年に有機農業研究会が発足し、第一次有機農業ブームが起こりました。その後、1980年前後に第二次有機農業ブームが到来し、2001年には有機基準認証制度がスタートします。また、2006年に有機農業推進法が制定され、第三次有機農業ブームが来ています。
消費者から見た食品の安全性は、農産物の場合、農薬や化学肥料の使用に関すること、加工食品の場合は化学合成添加物の使用に関することで、食品の安全性に影響を及ぼす段階としては、第一位が生産段階、第二位が製造・加工段階、そして第三位が自然環境です。そこで、「生産の原則」として、「農業の自然循環機能の維持増進を図るため、化学的に合成された肥料及び農薬の使用を避けることを基本として、土壌の性質に由来する農地の生産力を発揮させるとともに、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した栽培管理方法を採用した圃場(ほじょう:畑、菜園など)において生産すること」と示されています。この書き方はなかなか難しいのですが、愚弟的に言うと、多年生の農産物の場合は最初の収穫前3年以上、それ以外は種をまく前または植付け前2年以上無農薬・無化学肥料で生産されること。肥培管理については畑や菜園などから出る農作物の残ったかすを使用するか、周辺に生息・生育する生物の機能を活用した方法を取ること。農薬等の化学的なものは使わないなどです。
 このように有機農法は安全な農法ではあるのですが、ここ数年、国内有機農産物は低迷しているそうです。これからは、この農法は、単に安全な食材を生産し、それを食すると言うことだけでなく、環境保全型であるため、生物多様性が保障され、また、景観にも寄与するなど様々な影響を及ぼします。そんな観点で日本農業の再生を図っていってほしいと思います。

隅田川と神田川

 私の園は、かぐや姫の歌で有名な神田川の近くにあります。神田川の吉祥寺にある井の頭公園が源流であることはよく知っているのですが、最後はどこに注ぎ込んでいるかということは意外と知らない人が多いようです。少し前に、職員数人と都内に買い物に行ったときに、私が「神田川の最後を見せてあげようか?」と言いました。神田川は、東京湾に注ぎ込んでいるのではありません。隅田川に注ぎ込んでいるのです。
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そのために、隅田川での涼を楽しむための屋形船や東京湾での釣りを楽しむための船が、何艘もこの合流地点あたりに浮かんでいます。
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一度、この屋形船に園の職員厚生として乗ったことがあります。このあたりの船宿から乗りこんで、隅田川を下り、東京湾に出たところで停泊し、船の中で揚げた天麩羅を頂きました。そして、竹芝か日の出桟橋につけてもらい下船をしたのです。天麩羅は、食べ放題だったのですが、少し揺れる船の中ですので、そんなに食べることができなかった思い出があります。
また、神田川と隅田川の合流地点の地名を「柳橋」と言います。ここは、私の小学校の学区域内で、小学校の同級生が何人も住んでいます。町名の柳橋という名のとおり、そこには「柳橋」と称する橋があります。
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柳橋という町名は、この橋の名からとられました。この橋のたもとには、石碑があり、そこにはこの地名の由来が書かれてあります。「柳橋の名は、江戸中期から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が並んで賑わっていた。ひところは、料亭および芸者衆も多く、隆盛を誇ったものである。「柳橋」は、元禄11年(1698)に初めて架けられた。神田川が大川にそそぐところにあったことから、その当時は、川口出口之橋と呼ばれていたが、橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか柳橋と呼ばれた。現在の橋は、昭和4年に架けられたものでローゼ形式の橋である。」若い人は知らないと思いますが、私が子どもの頃、昭和を代表する芸者歌手である市丸さんという人がいました。彼女はこの柳橋に住んでいて、その跡地が今は、ギャラリーになっています。
NHK大河ドラマ「江」に、将来、江の夫となる徳川秀忠が登場しています。秀忠は、家康と家光の間に挟まれ、それほど脚光を浴びてきませんでしたが、実はさまざまな業績を残しています。Sの一つが神田川に関係します。神田川は、もともと「平川」と呼ばれ、現在の日本橋川の分流点付近から南流し、現在の丸の内・日比谷に入り込んで、日比谷入江に注ぎ込む川でした。当時はこの平川が豊嶋郡と荏原郡の境界となっていました。天正18年(1590)に江戸に入府した徳川家康は、海辺で井戸によって真水を満足に得ることができない江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、井の頭池と善福寺池、妙正寺池を水源とする神田上水を整備します。この改修により井の頭池を出て善福寺川、妙正寺川と合流する上流部分は現在の姿となり、神田上水は川の本流から目白で分流して小石川、本郷に水を供給したのです。私の園がある場所は、落合という地名ですが、神田川と妙しょうじ川が合流する(落ち合う)場所ということで命名されています。
徳川秀忠の時代に、江戸城の東北の守りを固めるために平川を天然の堀とすることが考えられました。そこで、小石川から南流していた流路を東に付け替える工事が行われました。この工事では、水道橋から東は神田台と呼ばれる台地が本郷から伸びていたため、これを掘り割って通し、現在の御茶の水に人工の谷を造成しました。そして、神田台の東では、元からあった川を利用して神田台から真東に浅草橋、柳橋の東で隅田川に合流するようにしたのです。この改修によって、平川の元の河道は切り離されて江戸城の堀となり、東に流れるようになった平川は「神田川」と呼ばれるようになったのです。
今の神田川の名の由来、その流れの道筋をつくったのが、徳川秀忠だったのです。

社会脳5

 ひとに何かを伝えるのはとても難しいことです。また、その伝えることで人を動かし、人を変えていくことはもっと難しいことです。それは、その言葉や言動に、人を納得させる力がないといけないからです。また、ある商品をつくっても、それを買ってもらうためには、その商品の買い手に、その商品の意味を納得させなければなりません。同じように、テレビ番組をつくって、その番組を視聴者に見てもらおうとするときには、その番組で訴えようとすることを分かってもらわなければなりません。そんなビジネスの社会だけでなく、組織の中でのリーダーシップとは、肩書ではなく、リーダーについていこうとする気持ちが人を動かすのです。
「なぜ、人は動かされるのか」ということで「影響力の武器」という本をロバート・B・チャルディーニという人が書いています。その内容は、「ふとした隙につけこまれ、あれよあれよという間に欲しくもないものを買わされてしまった」「ひっかかるはずのない怪しい〈儲け話〉に乗せられてしまった」「人気商品なのに品薄なことが多い・・・・・・」などの心理を考察しています。本書の著者は、街頭や個別の訪問販売、怪しげな宗教の寄付などで苦い思いを味わった経験から、セールスマンや広告主の世界に入り込み、人がどのような心理的メカニズムで動かされるのか解明しています。
また、アラン R.コーエンとデビッド L.ブラッドフォードという人が、「影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル」という本を出しています。この本の内容紹介では、「世界の組織内コミュニケーションを根底から変えた、歴史的名著の最新版が、遂に日本に上陸!」とずいぶんと大げさなことが書かれてあります。現代の組織において、スピードとコミュニケーション能力は、必須の事項であるといわれています。しかし、多くの組織は、トップの考えが社内全体に伝わらない、数人の部署内でも情報が共有されていないなど、コミュニケーション不全に陥っているともいわれています。このことが、組織のスピードを著しく遅延させているというのです。
 ひとに影響させるために、自己表現力が必要になります。この能力は、自らが希望する自分の印象を他人に与えるように自分自身を演出する能力です。よく、カリスマ性ということが言われますが、カリスマ的人物には、他者を自分のリズムに同調させ、自分の感情に染め上げる自己表現力があるといわれています。しかし、相手を何が何でも説得しよう、そのためになんでもわかってもらおうとすることが自己表現力に優れていることではありません。自己表現力の発揮には「抑制し隠す」能力も必要だといわれます。どの立場にある人がどの程度まで感情を表現すべきかという微妙な規範を知ることも自己表現力の大切な要素だといわれているからです。
 こうして見てくると、これまでの教育では、「賢明に生きるため、出世するための知識」を身につけることが優先され、学問的な知識や技術、社会の中で適切に行動するために必要なルールや規範、儀礼を読みとる能力など個々の人間の表の道の能力ばかりが論じられ、強調され、その習得のための学習や訓練が行われてきたといえます。しかし、脳科学の進歩に伴い、人が社会の中で賢明に生きるための社会的知性とは、人と人との関係において感情、情動で働く脳の裏の道の能力も存在することがわかってきたのです。
社会脳における他人と同調する能力、傾聴する能力、共感的関心など、裏の道のシステムの能力の高さをともなった上で、高い知力、学力を持ってこそ、始めて人はよりよい社会人としていきることができるとゴールマン氏は言うのです。つまり社会で生きるということは、脳科学の面で見ると、他者と自分の脳の交流であって、この交流を上手に行う脳の反応経路、社会脳を持っている人は生き方が上手だといえるのです。
そして、社会的能力、社会的知性の発達に乳幼児期がいかに大切であるかが認識されています。そしてこの中心となるのが、他との愛着形成です。乳幼児期に豊かな愛着の経験を持つ人は、ストレスに出会ったときにストレスを和らげ、自分を支えてくれる心の港を持つことができるのです。

影響

 1989年にイエール大学のピーター・サロベイ博士とニューハンプシャー大学のジョン・メイヤー博士によって「EQ」という考え方が示されました。EQとはEmotional Intelligence Quotientの略であり、日本語では感情指数と呼ばれ、学問上では「EQは、情動状態を知覚し、思考の助けとなるよう情動に近づき、情動を生み出し、情動や情動的知識を理解し、情動面や知的側面での成長を促すよう情動を思慮深く調整する能力である」と定義されているものです。そして、ダニエル・ゴールマン氏によって、「EQ:こころの知能指数」という書物の中で有名になったのですが、ビジネスで成功を収める人々は皆このEQが高く、Fortune誌が選ぶトップ企業500社のうち約8割の企業がEQを人事制度に採用しているとも言われています。それによって、それまで学歴重視であったビジネス界を大きく揺るがすものになったのです。
アメリカでも当時、学歴が重視される社会でした。そこで、サロベイ博士とメイヤー博士のふたりがIQの高さとビジネスでの成功度合い(年収や役職など)との関連性を調べた所、「IQの高さとビジネスでの成功に関連性はない」という結論にたどり着きました。では、「ビジネスでの成功者たちに共通する要因はなにか?」と彼らの能力、性格、ビジネススタイルなどを調査していった結果、成功するための能力として、「自身の感情を的確に把握し、感情のコントロールがうまいだけでなく、他者の感情の状態を感じ取る能力にも長けている。それによって、周りの人間と良好な関係を築くことができ、結果として優秀な成果を上げていた」という結果が出たのです。つまり「対人関係能力に優れていた」というのです。そこで、この能力をEI(感情知能)と名付け、後にダニエル・ゴールマン氏によって「EQ」として世に知られることとなるのです。EQとは「心の力」いわゆる「人間性」を示すもので、昨日のブログの言い方で言うと、IQは表の道。EQは裏の道といえるかもしれません。
では、EQを構成する要素は、そのような能力のことを言うかというと、1:自分の感情を感じ取る能力、2:最適な感情を創り出す能力、3:他者の感情を把握し、相手の言動の中での感情の位置づけを理解する能力、4:自己成長を促すために感情をコントロールする能力と言われています。そして、これらの能力が優れているほど周囲の人間と円滑なコミュニケーションを取ることができると言われています。この能力は、ビジネスの分野だけでなく、「職種や役職関係なく全ての人間に必要とされる能力である」と言われています。それは、現在、学力というのは「コミュニケーション能力」であると言われているからです。
以前のブログで、米誌タイムが発表した「世界で最も影響力のある100人」を取り上げましたが、この「影響力」とはどんな力なのでしょうか。EQを世に広めたゴールマン氏は、社会的相互作用の結果を生み出す能力を影響力と呼んでいます。他人と向き合って、コミュニケーションをとり合う場合は、さまざまな感情、考え、理屈が飛び交います。それらをどのように調節し、良い結論を導き出すか、そこで働くのが影響力という社会的才覚であり、この技術に長けた人がいれば、うまく治まるのですが、そんな人が居ない場合は、座は白けたものになり、治まることもないだろうと言っています。
 たとえば、相手の怒りを静め,事態を平常におさめるためには相手との関係を建設的に処理しなくてはなりません。このとき、権威を持っている人、地位の高い人、年長者などは、ともすると強い力を発揮して押さえつけようとしがちです。しかし、それでは強制的な押しつけになってしまいます。相手をみて、どの程度の力の行使が必要かを見極める社会認知能力を発揮し、強い力を発揮したい衝動を押さえる自制力が無くては適切な影響力を発揮することはできないのです。
他人に影響を与える人は、社会的認知能力に長けた人なのです。

社会脳4

ネット社会は、時代を変化させるきっかけにはなりますが、持続的社会をつくるにはなかなか至らないのは、社会とは、実態としての人と人とのつながりだからでしょう。それは、ネットだけでなく、テレビなどでの情報についても同じようなことを感じます。たとえば、画面で見る俳優は、その人の性格を、そのドラマの中の役の人物と、実際の人物が混同することがあるからです。また、名優は、その演技力が素晴らしいのであって、その人の性格は別なことが多いのです。もちろん、真の名優とは、人格的にも優れた人であるべきだとは思うのですが、それは、理想であって、すべてがそうであるわけではないのです。
このように、その人のイメージと実像が違うことは多くあります。それは、著作でも言えます。おどろおどろしいホラーを書いている作家が、実際は非常にやさしい人であるとか、立派な評論を書いている人が、実生活ではずいぶんと乱れているとかということがあります。どうしても、読み手は、その著作の内容と、書き手のイメージを重ねて判断してしまうことがあります。このように、人を判断する時に、その人から直接受ける印象と、その人が表わした演技とか、著作とかから受ける間接的な印象があります。それは、受ける印象だけでなく、その人に共感する場合の落とし穴になることがあると言われています。
よく、集団心理といって、共感が、意識されることなく伝染していく場合があります。集団の中の中心になる人間の激情が、その場にいる人々に集団感染した場合、個人の感情が全員の共通した感情となり、最初に共感した内容とは別の感情になってしまい、暴走してしまうことがあります。共感とは、他者と繋がりを持つことで、大切な能力なのですが、そのためには、相手に意識を向け、事態をしっかり理解し判断することが必要になるのですが、それは、脳の前頭前野の役目だといわれています。この部分が十分と発達していなければ、共感によって、行動までもそっくりまねしてしまうのです。また、前頭前野が働くことによって、これらの能力は学習や経験によって得られる知識、他人の人権を認め、思いやることのできる心などに支えられて十分に発揮されるのです。
 他者に対して共感する時、人が他者と対するとき、即座に好意などの感情的な親近感をもたらすのを「裏の道」とすると、より洗練された社会的感覚をもたらし、適切な反応を導き出すのを「表の道」です。ミラーニューロンの働きは「裏の道」で、この能力は、人と人とがうまく同調するために必要です。同調は、お互いが考えるのではなく、非言語的ヒントを即座に読みとって円滑に反応する必要があるからです。
一方、社会における自己存在の位置の自覚、社会の潮流の把握、必要な情報を収集して冷静に解決策を練る能力は「表の道」であり、それを支えるのは教育、学習によって得られる多くの知識です。社会的意識の能力発揮はこれら裏の道、表の道の二つのシステムが相補いあう必要があります。しかし、表の道は、裏の道がきちんと整備されなければ、開通が困難になります。学校教育では、社会的認知能力に役立つ知識である表の道を子どもたちに与えるためにあるといわれ、乳幼児教育は、豊かな人間関係を築くための、原共感、情動チューニング、共感的正確性,社会認知能力からなる社会脳である(社会の一員意識)裏の道を育てる期間とも言えます。
ですから、乳幼児期こそ、生きた人間同士が顔と顔を直接向き合うことが必要になるのです。

社会脳から共感脳

社会脳は子どもの知識・教養・人格の形成に必要不可欠であることがわかっています。そして、人類の脳にあるミラーニューロンという神経細胞によって、心の中だけで他人になってみて、その仮想体験を基に他者の気持ちを理解したり、他者の意図を理解したら、他者の行動を予測したりする能力を持ちます。この能力こそが、他者から知識・教養・人格を受け取る上で重要であると同時に、他者理解を通じて共感・同情・相互利益・相互扶助を行う「共生脳」においても中心的な役割を演じているのです。その意味で、人類では社会脳を鍛えることは共生脳を鍛えることになり、それが、子育てをするうえで、重要になってくるのです。そして、それらを鍛えるために、子どもに教えるとか、躾けるというようなやり方ではなく、子どもが自然に、周りから良い知識・教養・人格を吸収するように、良い社会脳と良い共生脳を育てる環境を作ることが、早期教育で最優先されるべき課題なのです。
しかし、このような環境の中で子どもが育つことは、核家族化、地域社会におけるコミュニティーの欠如、少子化などにより困難になってきています。子ども同士の関係の中で、「顔と顔を突き合わせてお互いの感情を理解する」という共生脳の発育は、今や保育園のような施設の中でないとなかなか体験できなくなっているのです。エドワード・ソーンダイクはこれを「社会的知性」と名付け、「人々を理解し管理する能力であり、人間の世界でうまく生きていくために誰もが必要とするスキルである」と定義しました。そして、この知性は、人間関係について広い知識を発揮する能力に留まらず、実際の人間関係の場でもその知性を発揮し、実践できる能力でもあることがわかっていき、この能力と脳の働きの関係を考える上で登場したのが「社会脳」なのです。
しかし、「社会脳」というのは、ある神経細胞のことを指すわけではなく、小脳や大脳や前頭葉のように脳のある特定の部位を指すわけではありません。他人との関係や他人に対する思考や感情などを統括する神経メカニズムの総称であり、脳内の複数の部位が関係していて、その働きとして注目されるのは他者の心的状態に常に波長を合わせ、また逆に他者の心的状態から影響を受けるプロセスのことをいいます。更に、「社会脳」の能力は、書物の上での学習で高められる能力ではなく、乳幼児期における養育者との関わりによって目覚め、以後の人間関係の積み重ねによって、発達していく能力なのです。
社会脳の能力は、社会生活を行う上で必要であり、社会生活の中で能力を高め、最終的には人間社会の平和維持にも役立つ能力であるので、いじめ、少年犯罪などの根源に、この「社会的知性」の欠如、社会脳の未成熟があるのではないかと推測されています。
では、共感の次に必要な能力は何かというとゴールドマン氏は、「全面的な受容性を持って傾聴する能力。相手に歩調を合わせる能力」と言っています。これを「情動チューニング」と名付けています。そして、この能力の発揮に役目を果たすのがミラーニューロンなのです。人間の脳はミラーニューロンの働きで、他者の感情を、動きを、感覚を、情動を自分の内部で起こっているかのように関知することができるために、ミラーニューロンの働きが強い人ほど、共感する能力も強いといわれています。そして、他者から読みとった情報を自分の中で再現することによって、迅速で的確な対応をすることができ、動作の意図をかぎつけただけでニューロンが反応し、そこに働いている動機を探り出し、他者の意図と理由を感知することで、きわめて貴重な社会的情報を得ることができるのです。
この周囲の状況に対するアンテナの役割をはたす能力があるお陰で、私たちは高度な社会が形成できるのだと言えます。

社会脳2

 最近、「愛着」という言葉をあらためて聞く機会がありました。一つは、今回幼保一体化の中での途中経過として出された案の中です。「保育には、入所している多数の子どもとの間に愛着関係や信頼関係を構築することが求められること、」とあります。保育所は、家庭に代わって保育すると子という原則はありながらも、子ども同士の愛着関係や信頼関係を構築することも少子社会では求められているというのです。もうひとつは、佐世保小6事件の最終審判決定の中です。同級生を殺害してしまった少女の人格特性として「自分の欲求や感情を受け止めてくれる他者がいるという基本的な安心感が希薄で、他者に対する愛着を形成し難かった。」と書かれてあります。
 心理学における愛着(attachment)とは、子どもと育児する側との間に形成される母子関係を中心とした情緒的な結びつきという意味で使われることが多いのですが、最初の例では、子ども同士の関係に使われていますし、後の例では、母親との関係ではなく、他者に対しての関係として使われています。それは、乳幼児が愛着の対象とするのは母親だけではなく、次第に自分が発する信号に的確に答える人に愛着を向けるようになっていき、他人や動物などに対して築く特別の情緒的な結びつきのことを言うからです。
 人は、よりよく生きるためには、回りの人たちとよい関係を築くことが必要なのです。そのことを東北大災害で知らされているのですが、もうひとつ、おもしろい記事を見つけました。
 この春に中東アラブで民主化運動が起きました。チュニジアのジャスミン革命で始まり、エジプトではムバラク大統領の長期政権を倒し、イエメンではサレハ大統領を事実上の国外亡命に追い込んだのです。しかし、その後の政情は、民主化がどんどん進んでいかずに、リビアではカダフィ大佐が巻き返しているようですし、エジプトでもイエメンでもシリアでも、依然として体制の根幹に変化はないようですどうしてでしょう。
今回の民主化運動は、インターネット上のツイッターやソーシャルネットワーキングの普及に象徴される情報通信革命の勝利だと騒がれました。しかし、先週の、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙にロイター通信社のグローバル・エディターであるクリスティア・フリーランド氏がこんな記事を書いています。
今回、20年余り前の東中欧諸国で成功した民主化革命のようには進展していない理由に、一つは、民主主義が、かつてのように必ずしも自由と繁栄を約束するものではなくなったために、あまり魅力がなくなったためであるということと、もう一つは、「情報通信技術の発達は体制打倒をめざす市民の組織化には役立ったが、新しい真に民主的な社会システムの構築を組織化するにはあまり役立ちそうもない」ということだと言っています。ブルガリアの政治学者、イバン・クラスチョフ氏は、「情報通信革命は“公共の場”を細分化してしまい、インターネットやソーシャルネットワーキングは市民全体に関わる一つの問題について議論を集約していく作業が苦手である。ネットが求めるのは、自分のもっているバイアス(偏見)を確認してくれる情報だけだというのです。ですから、ツイッターやソーシャルネットワーキングは、みんなで同意し、盛り上がるきっかけにはなりますが、真の民主化をサポートするものではないということです。
 やはり、人が直接結びつくことが、持続する社会を構築するうえで必要なのですね。

社会脳1

霊長類における脳の進化は、集団生活にともなう社会関係の認知の必要性によって促されたという最近の考えは、私は何度かこのブログでも取り上げています。それは、いろいろな観点からも言われてきています。脳は、非常に小さいものですが、その役割は大きく、そのために、大きな代謝に要するコストがかかる器官です。たとえば、人間の脳の重さは体重の2%にすぎないのですが、エネルギーは約20%消費します。このような高コストの器官が進化するためには、それだけの役割が必要だ必要とされてこなければなりません。霊長類の中のいろいろな種類を比較してみると、新皮質のサイズと相関があった要因は、唯一、集団のグループサイズだけだったそうです。それは、大きな群れで生活する霊長類にとっては、個々で生活するのと比べて、お互いの関係を構築するための能力が必要になるからです。たとえば、群れの中における順位関係や親和関係をきちんと理解し、他者をうまく社会的に操作することが、生存や繁殖のうえできわめて重要であるとされています。さらに、相手が何を欲し、何をしようとしているかというような相手の行動を予測する能力は、ミラーニューロンという神経細胞がなせるもので、お互いに相手の行動の共感、予測が知性の進化を、いっそう加速化させてきたのです。
 このような霊長類の脳の中でも知性を担う大脳新皮質は、厳しい自然環境に適応して生きるために進化したと考えられていました。ところが実は、環境への適応よりも、むしろ社会集団の中で他のメンバーとの諍いや軋轢を生き抜く社会的な能力を得るためだった、という説が、1970年代の半ばにハンフリーというイギリスの心理学者によって「社会的知性仮説」が提示されました。その後1980年代には、大脳は社会で権力を握る権謀術数の能力を獲得するために進化したと考える「マキャベリ的知性仮説」が現れ、流行語にもなりました。そして、1990年、イギリスの進化人類学者ブラザーズが初めてヒトを対象にして「社会脳」(social brain)ということばを使い、ヒトの脳の大脳皮質が極度に発達しているのは社会集団の中で生き抜く社会性を身につけるためだった、というヒト脳の進化に関する「社会脳仮説」を提唱しました。これが、昨日のブログで書いた「社会脳」と呼ばれている脳です。また、イギリスの人類学者ダンバーは、いろいろな霊長類の活動特性を大脳皮質の大きさと比較し、ほとんどの特性は大脳の大きさと無関係だが集団の大きさはある程度の相関がある、という社会脳仮説を支持するデータを報告しました。
こうした研究が積み重ねられ、今日も社会脳仮説の検証が世界中で進められています。それらの研究の中でも、「共感」の研究は最先端のテーマの一つです。このような1970年代から90年代にかけて始まった社会脳や共感脳の研究に対して、日本では、バブル期における経済市場原理、個人主義の進行によって、「共感」「信頼」「公共性」という感覚を後回しにしてきました。私は、今回の東北大災害に当たって、もう一度その機能と、それが育つ環境を見直す必要がある気がします。
人類において知識・教養・人格はいずれもが個人から社会全体へと拡大し、また逆に社会全体から個人の内部へと浸透して拡大と収縮を繰り返しながら柔軟に発育発達しているので、「自分の子どもだけは良い子に育つように」と願うことは、親心として無理のないことですが、実は、社会脳の観点からはそのように考えることは子どもにとってプラスにはならないのです。自分の子どもが人類社会の一員であって、社会全体の知識・教養・人格と共同体を構成しているのだという「共に生き共に育つ」意識を社会全体と養育に関わる全ての人たちが共通の認識として持つことで、また、子どもたち自身にも持たせることこそが現代社会での子育てで最優先されなければならない重要事項なのです。それが、結果的にわが子のためにもなるのです。
「他人のことは関係ない」という考え方や人生観は、子どもの成長や、社会脳にとって、最も有害であり、今後生きていくうえで、子どもたちには最も好ましくない考え方であるということをすべての人々が強く認識することが、人類の遺伝子を未来につないでいくことなのです。

早期教育

子どもの育ちは、その時期その時期に大切なことがあります。それぞれの時期に蓄積された力が、望ましい将来を培う力になっていくのです。そういう意味で、早期教育という意味は、後でやるべきことを早くやるとか、人より早くやることではなく、早い時期にやるべきこと、早い時期にその力を引き出されておく必要があることということになります。そこで、「早期教育では何が一番重要か」「早期教育として何をすればいいか」について、考えてみたいと思います。
子どもは、生まれついたものを持っています。ある遺伝子を受け継いで来ています。では、その時期には、大人は子どもには何もできないのでしょうか。何もする意味はないのでしょうか。生まれつきだから仕方ないということが言われたり、生まれてから人生が決められているということが言われている一方、環境によって人生が変わってしまったり、教育によって人間が変わったということも言われます。
1970年代に、人間の脳の神経細胞であるニューロンや神経回路であるシナプスは生まれてから数年間が最も多く、それ以降は、減っていくだけであり、育児とは、成長とは上手にこれを減らすことであるということが発見されています。人間の脳は、遺伝子に従って神経回路を作り、そして、その後の子育ての環境が作られた神経を壊してゆくということです。脳はこの減っていく過程で子どもの人格を作ってゆくのです。そのために、人間は生まれてからの8年間は、非常に大切な時期であると言われています。このことから、1990年代以降、国際社会では、乳幼児期の発達と学習が初等教育を含むその後の人生の経験や生活の質に極めて重要な意味を持つとの問題意識のもと、ECEC(乳幼児期における教育とケア)と呼ばれる分野への政策的な関心が高まってきているのです。
人間は、確かに神経細胞、ニューロンの数は生まれて数年が一番多いのですが、脳が育つというのは、数が増えることだけではないのです。それは、生きていくうえでの質が高まらないといけないからです。その質は、心を育てていくことになるのです。人の心は、脳と神経組織の電気的な働きの結果、精神的に体験される心理的な現象であると規定されています。ですから、子どもの心が脳の中で、遺伝子が規定する脳神経の基本的な枠組みに従って、それぞれの脳神経細胞が環境からの刺激に応じて、神経細胞内でその機能を制御するタンパク質合成調節を発現するというメカニズムを通して、脳神経細胞同士のシナプス結合と神経軸索繊維のミエリン化のプロセスを生み出すことで発育発達していきます。ということで、よく「発達は環境を通して行われる」ということがいわれるのです。ということで、早期教育というのは、早い時期に、子どもたちにどのような環境を用意すればよいかということになります。
人類の心は、一個人の脳神経内に限定して機能するのではなく、さまざまな社会を構成している人どうしが相互に影響し合って、個人の脳も発達させていくのです。知識も人格も周囲の社会から学び取るものなのです。その方法として子ども、特に乳幼児期では顔と顔を見合って会話をし、相手の行動を見て、共感して、模倣して、そして、知識が伝授されていくというのが基本的な伝達方法です。そこで、このような伝達方法が中心の乳幼児期には、こども集団を通じて人間関係を学習し、人類に蓄積された知識・教養・人格の遺産を受け継ぐことが必要で、それ以外の教育方法は現在のところ困難を伴うのです。
また、それは、現在を生きる人だけでなく、長い進化の過程で人類が学び、獲得し、発展させてきたものを受け継いでいきます。そのために、過去の知識、文化、人格までも学んでいく必要があるのです。このような巨大に社会化された脳機能を考えると、早期教育で一番大切なことはなるべく早く子どもをこの社会脳ネットワークに参加させることだと思われています。
早期教育で重要となる一番のポイントは「社会脳を鍛えること」なのです。乳幼児期を特定の個人とだけ過ごさせることは、非常にリスクを伴うと最近は言われています。

地域おこし

 その地方で考えた、それほど高価でない食べ物をB級グルメと言い、それで地域おこしをしようと全国でコンテストやさまざまなイベントを行い、大変な人気を得ています。このような試みは、なにも食べ物だけでなく、衣服でも実はあるのです。
 2005年、環境省や経済産業省が中心となって「夏の軽装」運動を実施してから久しくなり、今年は節電対策もあって、クール・ビズの取り組みが盛んです。この運動が始まった当時の環境大臣であった小池百合子は、沖縄担当大臣兼務していました。そこで、クール・ビズの取り組みの代表として沖縄の「かりゆしウェア」が推進されました。推進期間開始には内閣府沖縄振興局などで多くの職員が着用したほか、小泉純一郎首相も着用したり、政府は2009年6月にクール・ビズの一環として閣議で閣僚全員に着用させたり、民主党政権になっても閣僚が着用したりと代表的な衣服でした。
 実は、この「かりゆしウェア」は、沖縄の夏を快適に過ごすとともに、沖縄を訪れる観光客を温かく迎え入れ沖縄のイメージアップを図るためにと割と最近考えられたウェアで、沖縄の伝統的な衣服ではないのです。
30年ほど前の昭和45年に、当時の社団法人沖縄県観光連盟会長の発案により、沖縄の暑い夏を快適に過ごすとともに、観光沖縄をPRするために、ハワイのアロハシャツをモデルとして、「沖縄シャツ」の名称で発売されたのが始まりです。当時の沖縄シャツは、開襟シャツで、ハイビスカスの花やデイゴといった沖縄をイメージしたトロピカルなデザインや、沖縄の伝統工芸品である琉球紅型や琉球絣の柄をあしらったデザインが主流でした。そして、当初は、沖縄県ホテル組合が中心となって着用し、2度のオイルショック時などに普及を図ったのですが、バリエーションに乏しく、ホテル業や旅行社・ツアーコンダクターなどの観光関係者の着用に限られていました。その後、平成12年に沖縄県工業連合会により「かりゆし」という商標登録がなされ、名称が現在の「かりゆしウェア」に統一され、その年の「九州・沖縄サミット」開催を契機に県内でも急速に普及し始めることになります。「かりゆし」とは、沖縄の方言で、「めでたいこと」や「縁起の良いこと」を意味します。定義は、(1)沖縄県産であること。(2)沖縄らしいデザインであること。と決められています。
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先週末、講演で沖縄に行ったのですが、ホテル、土産物店、空港など県内至る所で着用され、そのデザインや形や素材も多様化しています。そして、この「かりゆしウェア」は、沖縄県内では、夏の正装として定着していますので、沖縄県庁や国、市町村等の各行政機関でも着用しています。また、祝宴用や喪服用などが作られるようになり、冠婚葬祭時における着用も広がっているほか、最近では、沖縄県外の人も沖縄県内で結婚式を挙げる際、出席する人へもかりゆしウェアの着用を薦めるケースが増えてきているそうです。そして、従来は、主に中高年の男性の方が着用されてきた服装ですが、デザインやスタイルの多様化にともない、女性や若い方の着用も少しずつ増えてきたようです。
B級グルメ同様に、地域PRとして、沖縄県では4月から11月までをかりゆしウェア着用推進期間とし、期間中は知事を筆頭に地方自治体の大部分でかりゆしウェアが着用されています。また、沖縄県議会での着用も容認されており、大部分の議員が着用しています。
地域おこしは、いろいろな方法があるのですね。