機内放送

 私は、いわゆる団塊の世代ですので、人口が多く、テレビや商品などの様々な企画は、私の年代をターゲットにするものが最近多く見られます。少し前の映画で、「ALWAYS 三丁目の夕日」では、ちょうど私が小学生のころを描いていて、舞台も私が育ったところでしたのでとても懐かしく見ました。また最近の映画「マイ・バック・ページ」では、学生運動が盛んだった1960年代後半から1970年代前半を舞台にしています。ちょうど私が、中、高校生のころが舞台となっています。
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 そんな私たちの世代にとって、とても懐かしい企画が、今年度、全日空の機内オーディオ放送で流れている「オールナイトニッポンClassics」という番組です。パーソナリティを、当時のニッポン放送アナウンサーである、愛称「あんこーさん」と呼ばれた斉藤安弘さんが勤めていますが、声は年をとらないものだということを感じるほど、古希を迎えたという斉藤さんの声は、まったく当時のまま変わりません。また、その番組のオープニングテーマも、パラッパ パッパラパ パッパラッというトランペットの曲「ビタースウィート・サンバ」で始まります。また、番組中の選曲も60年代から70年代にはやった曲が中心に流れ、どの曲も青春の思い出と重なります。そして、毎回当時のアナウンサーがゲスト出演します。愛称は「ひでちゃん」「ヒゲ武」「ヒデ坊」と呼ばれていた高嶋秀武元ニッポン放送アナウンサーや、パックインミュージックの「ナッチャコパック」で人気を博した声優の白石冬美さんなどが登場しました。
 このオールナイトニッポンという番組は、いまでも続いているようですが、東京の放送局ニッポン放送が、昭和1967年に始めた深夜放送でした。当時、受験生だった私たちの世代は、これらの深夜放送を聞きながら、深夜の勉強の孤独感を紛らわしていました。他にも、午前零時の時報と同時にFM東京では、ジェット機の音が流れ、続いて、テーマミュージックである「ミスターロンリー」が流れ、真夜中にふさわしい声でパーソナリティーの城達也さんが、「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。(中略)これからのひと時。日本航空が、あなたにお送りする音楽の定期便。「ジェットストリーム」。皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、わたくし、城達也です。」というナレーションで始まる「ジェットストリーム」が、1967年7月から1994年12月まで続きました。
 もとに話は戻して、オールナイトニッポンの木曜日の担当は、アナウンサーの「てっチャン」という愛称の今仁哲夫さん、大御所の糸居五郎さん、高岡寮一郎さん、常木健夫さん、プロデューサー兼DJ であった高崎一郎さんが担当していました。
 放送開始2年後の1969年には木曜日に高嶋秀武さんが、土曜日に亀渕昭信さんが参入します。亀渕さんはアナウンサーではなく、製作担当でしたが、奇抜かつ斬新なDJスタイルで人気が出ました。何月かの機内放送でゲストで彼が来て、斉藤安弘さんとともに「カメ&アンコー」としてレコードを出したいきさつ、そのコンビではやった「水虫の唄」が流れていました。
 月が変わって機内放送の番組が変わると、ANAに乗ってすぐに誰がゲストに呼ばれているか、どんな曲が流れるのかをまず機内誌でチェックします。

機内放送” への7件のコメント

  1. いや?今回のブログは郷愁をそそられますね。どこからコメントしていきましょうか・・・。藤森先生よりはジャスト一回り下の世代ですが、「オールナイトニッポン」は深夜のお供。小6から高校生まで聴いていたと思います。特に土曜日の深夜、正確には日曜日の早朝は終わるまで聴いていました。夏場は外が結構明るくなっていました。パーソナリティは南こうせつさんやイルカさん、そして土曜日は笑福亭鶴光さん、・・・思い出すだけで懐かしいですね。中学の時は定期試験の勉強で友達が私の家に泊まりこみ試験勉強、しかし「オールナイトニッポン」の時間からは笑い転げながら朝になるのも忘れていました。楽しかったです。そしてFM東京の午前零時の「ジェットストリーム」。初めて生で聴いた時の感動は今猶覚えています。

  2. 団塊の世代の次の世代ですから今夜の内容は完璧にわかりました。深夜ラジオは必須アイテムでした。
    今の世代はどうなのでしょうか。
    さきほど、wowowで村上龍の小説を映画化した「69」という1969年の佐世保の高校生の話を見ていたのですが、一般の高校生は当時こうだったのかと感慨深かったです。藤森先生はいかがでしたか?
    自分は、73年にちょっと変わった高校に入りましたので、先輩から「防大に行けない成績のものはベトナムに送られる」と冗談とも本気ともつかない話におののき、76年のMIG25事件の起きた3年生のときは、「我々の死に場所は北海道の音威子府峠だ」と時代錯誤な檄を飛ばしていた記憶があります。
    今より昔のほうが良かったというわけではなく、今より絶対不便で貧しかった60年代?70年代なのですが、あの頃を思い出すと何故か甘く切ないという気持ちになるのは歳のせいでしょうか。

  3. 懐かしいオールナイトニッポンの出だしです。
    http://www.youtube.com/watch?v=FuxZo1cOuPk&feature=related
    四国の片田舎では、なかなか東京の電波が捕まえられず、威勢の良いハングル語や中国語放送が波のように襲ってくるのをかき分けながらダイヤルを微調整して聴いていました。好きだったDJは糸居五郎さん。満州でNHKのアナウンサーとしてスタート。森繁久彌さんの後輩に当たります。ニッポン放送が開局した時の第一声「ただ今から開局いたします」と放送したのも糸居さん。オールナイトニッポンでも、リクエストよりも自分の好みでレコードをかけるスタイルを頑固に貫いていました。「最初で最後のDJ職人」誰が何を言おうとわが道を行く!「Go Go Go & Goes On!」は彼の生き方そのものでした。番組のテーマソング「パラッパ パッパラパ パッパラ」は、ハーブ・アルパートとティファナブラスの曲で、たしかこのグループには、「マルタ島の砂」というヒット曲があったと思います。よくこのころの深夜番組にリクエストしていた曲です。

  4. 藤森先生よりジャストふたまわり下の世代なので、今回の内容はほとんどが「…」でした。唯一知っていたのが城達也のジェットストリームです。あの曲と雰囲気を思い出すことができますし、曲を耳にすると今でも当時の感覚がよみがえってきます。目で見たものはそれほどでもなかったりするのですが、音とかにおいが伴った記憶は細かく思い出すことができるんですよね。そういった体験をどれだけ持つことができるかが、過去を懐かしむということだけでなく、前に進むためにも結構重要な役割を持っているんだろうと感じています。

  5.  あいやまさんより更に下の私には、もっと「…」でした。ただオールナイトニッポンは高校の時に聞いていたので、オープニングテーマは知っていましたが、まず藤森先生が受験生の時から流れていて、テーマソングも今も変わらずに流れているのには驚きます。それだけ耳に残る曲で、それが流れると「始まったなぁ」という期待感が湧くのかもしれません。私も曜日によってパーソナリティが変わり、それぞれ色々なコーナーをしているので、毎日が楽しみだったのを覚えています。最初はテレビで育った私はラジオは面白くないという刷り込みがあったので、最初は疑いから聞き始めました。しかし、どんどんラジオの面白さにはまっていきました。聴覚だけで情報を得る為、それだけ頭の中で想像が膨らみ、面白みが湧くような気がします。

  6. オールナイトニッポンはたまにラジオでやっているのを聞いたことがあり、ブログに出てきたオープニングテーマも藤森先生のころと変わらずに私の頃もなっているということにびっくりしました。現在もパーソナリティが変わりながらも続いているのはすごいことですね。また、「ジェットストリーム」はまさかというほどこの話題がでることにびっくりしました。私が聞いていた頃はもちろん城達也さんのころではなく、しかも、メイン曲も「ミスターロンリー」の頃ではなく、「ビートルズ」の「Here, there And Everywhere」でした。しかも、ナレーションが森田真奈美さんで城達也さんのころ聞いていた人が聞いたら「そんなのジェットストリームじゃない」という頃が私の思い出のラジオでした。このブログを見てまた、ラジオをつけてみようかなと思いました。

  7. 動画で オールナイトニッポン を 聞いています。
    懐かしいですね。深夜ラジオ あの頃 流行りました

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