格差

 妻が、先日電車内でエロ雑誌?を見ている人を久しぶりに見たと言っていました。一時期はかなりの人が読んでいるのを見ることが多かったのが、最近減ってきたというのです。妻は、どんな雑誌をエロ雑誌と言っているのかわかりませんが、昨年、日本雑誌協会で2010年1?3月の各雑誌の発行部数を発表したのですが、その時に3大少年漫画の部数も公表されたのですが、週刊少年サンデーが約68.4万部と 70万部を割ったことが注目されているという記事がありました。全体の部数で見ると、これは、2009年7?9月の発表を見ると、週刊少年ジャンプだけが前回比から伸びているのですが、他の雑誌はすべて減ってきています。ちなみに、発行部数では、ジャンプに続いて、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、月刊少年マガジン、コロコロコミック、別冊コロコロコミックスペシャル、マガジンSPECIAL、月刊少年ライバルだそうです。私は、少年サンデー、少年マガジンくらいしか知らないのですが、まだ、ずいぶんとあって読まれているのですね。
よく、海外では、電車内で読んでいる雑誌とか、新聞を見ると、その人の職業がはっきりわかると言われています。たとえば、アメリカなどのインテリは、決してスポーツ新聞を読まないとか、漫画は読まないと言われています。これが定かではありませんが、そういう意味では、日本はあまり格差社会ではないのはいいことかもしれません。
私は、よくドイツに行くのですが、ドイツもかなりの格差社会だと言われています。現在、教育関連の仕事と思春期の子育てをドイツで奮闘中の内田 博美さんが、そんな報告をしていました。「ドイツでは、大人でも服装からその人の思想や生活環境が判断できる場合が少なくありません。私が以前に住んだ町ではギムナジウムとレアールシューレ、ハウプトシューレの3つの建物が隣接していましたが、どの生徒がどの学校に通っているかが外見から一目瞭然でした。地味な服装で山のような教科書をカバンに入れて持ち歩くか、上着もズボンもだらしなく、女の子はナイトクラブ風な化粧とカラフルなデザインの服を身に着けるか。朝は「グーテン・モルゲン(おはよう)」「ハロー」とあいさつするのか、「ヘイ、そこのデクノボー! 元気かぁ?」などと罵言を好んで多用するか。学校環境を見ても、ハウプトシューレの廊下にはコーヒーカップやガムの紙が捨ててあり、図書室は小さく、アメリカンコミックスが多くの場所を占めています。一方、ギムナジウムの図書館は広くて英語やフランス語の小説や資料まで並んでいます。」
もちろん学校がすべてではありませんし、また、例外の生徒がいることも多いと彼女は言っていますが、多くの生徒はそうであり、市民はそのような目で学生を見ていることが多いことは確かなようです。こんな格差社会でも彼女はドイツの魅力をこう語ります。「それでもなお、ドイツの教育の現場には何らかの魅力が存在することを感じます。なぜなら“個性的になろう”などと大きな声で言わなくても、どの子も自分らしさを保ち、自分の意見を人前で堂々と表明できる人間に育っていくからです。格差がありながらも、子どもたちはあまり卑屈にならずに、生きることへの主体性や人間としての自己肯定力が身に付いていく。義務教育後の長い人生の中で必要とされる力が養われていると思えるのです。」
格差をなくすことはできません。しかし、外見の格差に左右されず、心の持ち方の格差はなくすことができます。自分の強みを知ること、その強みに自信を持つこと、そして、そんな自分が好きになることは、どのような職業、どのような境遇でも持つことができるはずです。

格差” への7件のコメント

  1. 自分の強みは何かと自問自答します。先生の前でアピールできる強みは何か?
    勇猛果敢ですが支離滅裂。用意周到と思うのですが実は優柔不断。伝統墨守しますが頑迷固陋。
    全部強みを弱みで相殺していました。がっかりです。
    奥様の乗り合わせた電車の対面で、エロ雑誌ではなく、あいやま先生にご紹介いただいたBIO-CITY「子ども勝手な庭作り」読んでいましたら株があがったでしょうか?
    逆にもっと変な人がいたと報告されたり…(笑)

  2.      『すごい父に救われた』   時代の証言者     鎌田實
    僕は拾われた子どもです。終戦5年目の1950年、生みの親が捨てた1歳の僕を、亡き父、岩次郎がもらってくれた。37歳、諏訪中央病院の副院長だった時に、偶然、その事実を知った。岩次郎は青森の貧農の末っ子として生まれ、小学校しか出ていない。18歳で上京して、バスの運転手をしていた時に、車掌だった母と結婚。居を構えた杉並の家は6畳二間と3畳とお勝手。初めは風呂もなかった。僕が小学校へ上がる前、母が重い心臓病にかかった。あの頃は、貧しい人が高度医療受けるのは大変だった。岩次郎は朝8時から夜遅くまで働いた。切りつめてもお金は母の治療費に消える。疲れ切って帰り、夕食を作れない夜は、ぼくを近所の定食屋へ。父は「何でも食え」と言ったが、僕が選んだのはいつも80円の野菜炒めだった。岩次郎は、名前の通り頑固で、無口だけど声が大きく、津軽弁で理路整然と話す人だった。テストで100点取っても、答案用紙に書いた落書きを見て、「テストで遊ぶな!」とこっぴどく叱られた。でも、血のつながっていない岩次郎が、ぼくを育ててくれた。心臓病の母を抱えたあの貧しい暮らしの中で、「拾ってやった」とか恩着せがましい言葉を一言も口にせず。泣き言も言わず、弱音も吐かず。岩次郎は苦難から逃げなかった。苦しいときほど、その苦しみを横において、誰かのために生きようと頑張って、頑張って。最後は個人タクシーの運転手を70歳くらいまで勤めました。岩次郎は幼い私に「貧しい人や困っている人のために生きろ」と教えてくれた。父の生き方が今の僕を支えてくれている。
    親の経済的格差と子どもの教育の関係が問題になることがあるが、親の「愛情の格差」こそが子供の成長とその後の人生に深い影響があると思う。子どもは親の生き方から自ら生きる術と智慧を学ぶものです。鎌田先生の人生から「格差」という宿命を乗り越える強さを学びました。

  3. 格差はあってはいけないという意見もありますが、私は格差は常にあるものだと思っています。問題は、その差を人としての差と見る見方にあると思います。多様な価値観があり、いろんな幸せがあるという捉え方をしていけば、格差を気にしない生き方ができるのではないでしょうか。自分の個性を好きになるような価値観を伝えていくことが、教育の大きな役割だと思っています。

  4.  私は自転車で通勤しているので、電車の中で雑誌を読む機会はなかなかありませんが、だからといって、講読している雑誌も新聞もありません。確かに電車の中で新聞や雑誌を読んでいる人を見ると何を読んでいるのか?つい見てしまいます。スーツを着ている人はやはり日経新聞や経済雑誌でしょうか、私服を着ている中年の人は競馬新聞、女性はやはりファッション誌・・・考えるときりがありませんが、どうしても日経を読んでいる人を見るとエリートサラリーマンのように見えてしまいます。そんな私も外見で格差をしているのかもしれませんね・・・まずは自分の強みに自信を持つこと、そして自分を好きになること。他人を比較する前に自分自身を見つめなおすことの大切さを感じました。

  5. 日本人は、本当に礼儀正しいのか。
    我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
    日本語には階称 (言葉遣い) がある。
    言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。
    日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
    意思は、未来時制の内容である。
    日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
    日本人には、意思がない。
    それで、勝手な解釈を利用する。
    日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
    恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
    恣意は、相手により察しにより文章化される。
    本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。
    日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間 (縦社会の人間) になる。
    義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
    意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。
    意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
    問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
    だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られることになる。
    これは、昔からある浪花節でしょうね。

  6. 日本は雑誌などの外見で格差を感じることはありませんね。サラリーマンでも少年雑誌を読んでいる人はいます。割合でいえば少ないのかもしれませんが、そういったところで日本は自由ですね。しかし、格差というのは社会の意識の問題でドイツの様子は確かに格差はあるのかもしれませんが、ドイツの社会の様子が個人を尊重し、自分らしさを出していると認識しているのであるなら、であり、ドイツでは格差にならないのではと思いました。外見の格差より、心の格差をなくす。これはとても大切なことですね。自分自身に自信を持てるように、そして心の格差をなくすことができるように子どもたちと過ごしていかなければいけないなと改めて認識しました。

  7. 私は雑誌の類をあまり読みませんが、息子は漫画雑誌を読んでいます。今回ブログで紹介されている少年漫画の中の「コロコロコミック」です。「ブイジャンプ」というのも読んでいます。「読んでいる」というより「眺めている」と言った方が適切です。電車の中でサラリーマン風の人が漫画雑誌を読んでいると何だか奇異な感じがします。漫画にも真実があるから非難はできませんが、私としてはダメですね。人に指図されながら生きることを私は苦手としています。嫌、「指図」が私の判断する理に適っていないと私は基本的に駄目です。「生きることへの主体性や人間としての自己肯定力」は本当に大事です。私自身こうした生き方をしたいと思っています。子どもにもこのことを願っています。

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