変化の時

 外国人から見た日本人は、普段の生活態度や感性だけでなく、今回の大地震などの災害や困難にぶち当たった時の行動や精神にも感心しています。1873年(明治6年)から1905年(明治38年)の間、日本で教師として活躍したイギリス人のバジル・ホール・チェンバレンは、「日本事物誌1」にこんなことを書いています。
 「日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。極東の諸国民は(少なくともこの国民は)ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。同様にまた、異教徒の諸国民は(少なくともこの国民は)キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。」
 変化の間での態度に感心しています。変化は、誰にとってもストレスを感じることであり、変化することを避けようとするものです。しかし、いつの時代でもターニングポイントがあり、そのポイントでどのような態度をとるのかに知性を感じることができるのです。その時の日本人の態度を「根本的な逞しさと健康的」と感じています。それは、十分に姿勢が感じられ、道徳的にも優れていると感じています。
 また、違う部分の記述で、バジル・ホール・チェンバレンは、「過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、外交においては日本ほど率直で穏健であり、戦争に際してはこれほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。もし少しでも「黄禍」があるとするならば、ヨーロッパ自身の良き性質にもまさるさらに高度の良き性質を、その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。このように驚くべき成果が生じたのは、日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。」と書いています。「過ちて、改むるに憚ることなかれ」という言葉です。そして、今回の災害に対しても、日本人に対して感じたように「日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。」を実践してほしいですね。
「ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか」とチェンバレンが言っているように、今、日本も「峻烈な気候と貧しい国土にあって、敢然とその任務に当ってきた」ような「かつての日本人がよく知っていた日本人としての素晴らしさ」を新しく学ぶ時かもしれません。それは、大変な時、変化の時、やり直そうとするときこそ学ぶチャンスです。