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 中国前漢の武帝の時代に、司馬遷によって編纂された中国の歴史書である「史記」という正史の第一に数えられる書物があります。この中の「魏其武安侯列伝」にこんな話が載っています。
 紀元前154年、漢朝の竇太后の甥の竇嬰は、しかるべき功績によって漢の景帝によって魏其侯に封ぜられました。けれども景帝の皇后(王皇后)の親戚である田〓はその頃はまだ、郎官という官職に留まっていました。その後紀元前141年に景帝が亡くなって、王皇后は王太后となり、武帝が即位すると新たに田〓が寵愛されるようになり、田〓は武安侯に封ぜられました。数年後、竇太后が亡くなると竇嬰はかっての勢いをますます失ってゆきました。一方田〓は更に勢力を増して宰相になり、王朝の中で権威を振るうものたちは皆田〓にとりいるようになりました。それでも将軍の灌夫だけは依然として竇嬰と親密に往来していました。
 紀元前131年、田〓は燕王の娘との婚礼の宴を催しました。皇帝の一族や大臣たちは皆、その宴に出席し田〓の結婚を祝いました。宴席で田〓が乾杯を呼び掛けると客人は皆床に伏して敬意を表しました。しかし、竇嬰が乾杯の呼びかけをしても、ごく少数の旧知のものだけが同調しただけで他の人は全く我関せずといったありさまでした。灌夫はこの様子を見ると憤慨し、大臣達が権威や金銭になびく行為をはげしく非難しました。田〓は自分が招いた客人を灌夫がののしるのを見て怒り、灌夫とその一族を捕らえました。竇嬰は漢武帝に灌夫を容赦するように頼みましたが、一方王太后は田〓を支持するように武帝を責め立てました。武帝は結局、将軍竇嬰をも捕え、同時に灌夫とその一族を全員死刑に処することを言い渡し、家財を全て没収しました。
 捕えられた竇嬰はこのことを伝え聞くと、自殺をしようと食を断ちました。しかしほどなくある人が“武帝は竇嬰を死なせたくないと考えている”と伝えました。自殺を思いとどめた竇嬰はその後食事をとれるまでに快復しましたが、この頃彼を陥れるための全く根拠のない多くの噂話が宮中で飛び交っていました。武帝はこれらの話を全て真に受けて、怒りから将軍竇嬰を処刑してしまいました。
 この史記から「流言飛語」という言葉ができました。このように、噂や讒言から死刑になった例は、日本の歴史でも多く見られます。流言とは、正確な知識や情報を得られず、明確な根拠も無いままに広まる噂のことです。風説とか流説という場合もあります。一部での話が連鎖的に広まり、流れるようにやがて全体に広がっていく形態を取ります。飛語とは、根拠のない無責任な噂を意味する言葉で、話が地についていず、あたかも飛んでいるかのように根拠がないさまを言います。「蜚語」とも書きます。が、「蜚」とはゴキブリなどとぶ虫のことを指すようです。
大きな災害の後には、流言飛語での被害が起きることがあります。かつて、関東大震災の際に、「朝鮮人暴動流言」によるいたましい事件が起きましたし、原爆投下後の広島・長崎の被曝者は、原爆症は感染するといったいわれのない噂に苦しめられ、結婚差別等を受けた時期もありました。ビキニ環礁での核実験で被災した第五福竜丸事件の際にも、「マグロ、カツオ」はすべて危険だとの誤った風評によって、鮮魚店や遠洋漁業が大きな打撃を受けました。
 今回も地震・原子力発電所にまつわる様々な情報・意見がネットで連日飛び交っています。そこには、確かに有益なものもあれば、悪質なデマ、流言飛語もあります。そんなときには、情報の真偽を見分けることが必要になります。まず、「出所がわからない情報」「報道されていないセンセーショナルな情報」はまず疑うことです。「友人から回ってきた情報ですが」というメールや、根拠がわからないブログは、基本的に他人に転送しない方が無難なようです。ツイッターも簡単に様々な情報が拡散されてくるので、情報の真贋はより慎重に見極めなければいけません。下手をすると自分がデマの拡散者になりかねません。重要な情報をツイッターで拡散する際には、ツイッターのHPから「公式リツイート」でしたほうがいいようです。
 情報が欲しい時だからこそ、きちんと情報を見極める必要があります。