開発

 今回の災害は、地震、津波といった自然災害ですが、その被害を大きくしたのは、人災の様相を呈します。自然は、人間に被害をもたらそうと思っているわけではなく、地球を存続させようとする変動でもあるのです。しかし、人間は、その自然を切り開き、開発し発展してきました。そのお互いの確執は歴史的にいつの時代でも繰り返されます。
人間はいつの時代も何かを学び、智慧をつけてきました。それは、ある意味で、自然と共生するために学問をしたところがあります。江戸時代前期には、教科書として農書が多数成立します。江戸時代になって、戦いがなくなり、安定期になります。さまざまなルールが作られ、それによって成長し始めます。そして、4代将軍家綱の頃まで新田開発が進み、耕地は3倍に増え、人口は2.5倍になります。戦いに明け暮れ、やっと成長期になったかと思うと、鎖国により海外の知識、技術は遮断されてしまいます。その中で、耕地を3倍にし、人口を2.5倍にしたのです。現在、少子化を防ごうといくらさまざまなことをしても効果がないことを考えると、この時の成長は目覚ましいものがあります。
しかし、耕地を3倍に増やすと、災害が多発しはじめ、1660年頃になると飽和状態になります。そして、このころを境に、成長期から停滞期に移行します。その時に、これ以上開発すると、もう乱開発となり、資源はなくなり河川も荒れると、儒学者の熊沢蕃山は開発反対をとなえます。蕃山は朱子学の天人合一、陽明学の万物一体思想の影響を受けています。しかし、その陽明学の本家である中国の儒学者が自然を人のための資源と捉えたのに対し、蕃山は「宇佐問答」の中で「山沢気を通じて流泉を出し、雲霧を発して風雨をなすものは、山川の神なる処なり。五日に一度風吹ざれば草木延らかならず。蟲つき病を生ず。十日に一度雨なくんば五穀草木の養ひ全からず。故に山川は万物生々の本、蒼生悠々の業、是に仍てあり。然らば山川は天下の本なり」と書いています。開発は必要であるが、常に自然に対して畏敬の念を持っていたようです。
蕃山の憂える通り、新田開発に走るあまり従来の農地が放置されたり、山の中まで開墾したり、無理な河川開発で洪水が度々起こるようになりました。一夜にして1000軒の町が消え去ったこともあったようです。そこで、幕府も政策転換をしました。寛文6年(1666年)2月2日に、4老中連名で「諸国山川掟」が出されます。これは、諸代官に草木根の乱掘の停止、植林の奨励、川筋の焼き畑や新田開発を禁じて土砂の流出防止を計ったもので、三条からなります。「一、近年は草木の根まで掘り取り候ゆえ、風雨の時分、川筋へ土砂が流出し、水行き留まり候ゆえ、今後は草木の根を掘り取ることを禁止する。二、川上左右の山に木立がなくなりたる所々は、当春より木苗を植付け、土砂が流れ落ちざる様にする。 三、川筋河原等に開発された田畑は、新田畑はもとより古田畑であれども、川に土砂が流出する場合は耕作をやめ、竹、木、葭、萱を植え、新規の開発を禁止する。」
草木を根こそぎ掘り起こすな、川の上流の山方左右で木の無いところは植林せよ、河川敷を開発して田畑を作らない、竹、木、あし、かやを植えない、山の中で焼畑をしないことといっています。この掟をつくった4老中の中の一人久世大和守広之は、蕃山を尊敬していて教えを受けているので、その考えの影響を受けたのでしょう。
蕃山は、当時の儒学者と同様に儒教的自然観を持っていました。それは、「一木一草も其時にあらずしてきるは不仁也。人も志をとげて後死するは遺恨なし。 こころざしを遂ずして死するは遺恨有。春夏の生長は草木の志也。」というように、他の生物にも彼らなりの“生”があるのであってそれをまっとうさせてやることが“仁”であると主張しました。すなわち人以外の生物も道徳の対象に 含まれるべきであることを示しているのです。
成長期の後には、もう一度自然に対する畏敬の念を思い出すべき時が来たのかもしれません。

金さん

 今、日本中が自粛ムードです。東京の夜の街からネオンが消え、店内は薄暗く、自動販売機の前面も暗くなっています。先日も沖縄から羽田に降り立ったとき、なんだかドイツのミュンヘン空港に降り立ったような気がしました。少し薄暗く、逆に落ち着いて見えました。あのギラギラする明るさはなく、そのせいか何かせわしない感じがしていたのが、ゆったりしているのです。その落ち着きは、夜の街からも感じられます。あの音と光の洪水の代表であるパチンコ店でも静かに見えます。夜遅くまで開店していたデパートも夕方6時には閉まります。園から見える新宿の都庁に代表する高層ビルも、早めに窓は暗くなります。このような生活の見直しは、もっと早くやるべきでした。
 このような自粛ムードの中、浅草神社及び浅草神社奉賛会は、今年の「三社祭」を中止すると発表しました。この度の東日本大震災による東日本全域に及ぶ被災状況をはじめ、福島原発事故の影響、また首都圏における電力不足など、今後も想定される現状とそれに伴う社会的情勢を鑑み、協議の上、斎行中止を決定したのです。また、現在各社で行われるであろう花見や歓送迎会の自粛で、ビール需要の大幅減少が見込まれているようです。また、東北へだけでなく、関西、九州への旅行も中止が相次ぎ、ホテル、交通機関のキャンセルが相次ぎ、外国人観光客も来日を敬遠しているようです。週刊ダイヤモンドには、「薄日がさしかけていた日本経済は、一転して、未曾有の危機に見舞われた。当面、経済活動の急激な落ち込みは避けられない。壊滅的な打撃を受けた企業にとって再建はいばらの道である。」
 先月末、職員数人と「遠山金四郎」の墓に行きました。ちょうど今月3月2日は、1840(天保11)年の3月2日、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元が北町奉行に任命されましたということで、「遠山の金さんの日」ということになっているそうです。遠山の金さんというと、桜吹雪の入れ墨と、べらんめえ言葉で有名ですが、庶民の味方で人気がありました。
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 江戸時代は、世に言う三大改革が行われましたが、その中で最も失敗したと言われるのが「天保の改革」です。老中職の水野忠邦は1839年に老中首座に就任して幕政を掌握するのですが、家斉の存命中は放漫な財政に加えて年貢収入の減少によって幕府が弱体化していく様子を成すすべなく見ているしかありませんでした。しかし1841年に家斉が死去すると、それを待っていたかのように改革に着手します。それが天保の改革です。その数年前、1833(天保4)年ごろから連年、天候不良により全国的な大飢饉がおこり、とくに1836年は気温が低く、雨が多かったため農作物の収穫は全国平均4分の作柄といわれています。主な原因は洪水や冷害であったのですが、特に東北地方(陸奥国と出羽国)の被害が最も大きく、特に仙台藩は盛んに新田開発を行い、米作に偏った政策を行っていたため被害が甚大でした。
 このこともあって、水野忠邦は、倹約をすすめ、風俗をただし、都市にでた農民を村に返す(人返し)一方、都市の商業を独占する株仲間を解散し、江戸・大阪周辺の大名・旗本領を取り上げて、他に代わりの土地をあたえるなど改革政治を進めました。それは、素晴らしい改革でした。しかし、奢侈の禁止、風俗匡正、棄捐令など贅沢や娯楽を禁止するような政策が多かったため、庶民には極めて評判が悪く、街は次第に活気を失って行きました。この時に、南町奉行の鳥居が天保の改革を厳密に実行しようとしたのに対し、北町奉行の遠山景元はそれを緩和して庶民の暮らしを守ろうとしたのです。あまりの自粛ムードから、庶民の楽しさを守ったと言われています。例えば鳥居が、風紀上よくないとして江戸中の舞台小屋を全て廃止しようとした時、遠山は全て廃止するのはひどいとして、数個を残せるように交渉し、江戸の人々に喝采されました。そして、芝居などで、背中の桜吹雪の入れ墨として有名になり「遠山の金さん」と親しまれて人気があり、庶民のヒーローとなりました。その後、鳥居が失職した後任の南町奉行に、遠山が任命され、今度は南町奉行として、再び江戸庶民の権利を守るために活躍しました。
天保の改革はきびしすぎたため、街は沈滞化し、2年あまりで失敗に終わりました。

住処

 今回の大地震の日のブログに「安心」というテーマで、「高度開発によってわれわれの住む社会が、知らず知らずのうちに脆弱になっていることも関係しているような気がします。」ということを書きました。そこでも書いたのですが、これからのまちづくりは、「安心・安全」がテーマになりそうです。これまでは、とにかく自然をコントロールし、それを抑制し、征服していた歴史があります。巨大な堤防を築き、海を埋め立て、山を削り、これが開発といわれてきました。しかし、今回の災害によって、住むところは、自然に逆らわず、自然と共生し、人も自然も共に心地よい住環境をつくっていかなければならないでしょう。
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 古代人は、長い歴史の中で、そんな場所を住まいに決め、生き延びてきました。もしかしたら、そうではない場所に住んでいた原人たちはそこで滅びてきたのかもしれません。そんなおもいのする原人の住処であっただろうと言われている場所に先週末行ってきました。そこは、1967年に沖縄で発見され、2008年の8月8日から一般公開されている、沖縄でもっともホットなスポットとして話題を集めている「ガンガラーの谷」です。ここは、太古の森と出会える秘境、守り慈しむべき聖地です。その谷で、約90分のヒトの起源と向き合える壮大なネイチャーツアーに参加しました。
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ガンガーラの谷ツアーのパンフレット
この谷は、約1万8千年も前に生きていた日本人のルーツとされる港川人の居住区であった可能性が高いため国立科学博物館と沖縄県で共同の発掘調査が行われています。港川人は、新人(現代型ホモ・サピエンス)に属する南方系の古モンゴロイドの一派と考えられており、専門家の調査研究によりインドネシアのワジャク人(インドネシア)と類似していることから、海に沈んだスンダランド(タイ湾から南シナ海へかけての海底)からやってきたワジャク人が琉球に定着して港川人になった可能性が強いそうです。身長はおおよそ150cm前後で、現代人に比べると小柄です。その骨格から、森の中を歩き回りながら狩猟採集の生活をしていたであろうと推測されています。
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太古の時代、日本人の祖先は、子を生し、森を歩き、食べ物をとり、暗闇に寝、この地で生を営んでいました。ここは、恵まれた亜熱帯の森で、豊かな実りをもたらしてくれる反面、同時に過酷な環境でもあったでしょう。それでも、この地で生き延び、他の地にも広がり、山を越え海を渡り、多くの命を犠牲にしながらも、世代を重ねて今、私たちの命に受け継がれてきました。
日本列島に、私たち“新人”(ホモ・サピエンス)が住み始めたのは、およそ3万年前からと考えられています。アジアの各地でさまざまな環境に適応し生き残った人々が、独自の文化をもって、いくつかのルートで日本列島にたどりつき、互いに影響を与えつつ融合して“原日本人”が誕生したといわれています。日本列島に到達した私たちの祖先が厳しい自然環境と共生しながら、技術・文化を築き上げてきたのです。
 現在判明している世界最古の人類は、アフリカ中部で発見された約700万年前の猿人トゥーマイで、その後、様々な人類が誕生し絶滅しました。そして、私たちホモ・サピエンスは今から20万年ほど前にアフリカで誕生し、10万?6万年前にアフリカを飛び出し、世界中へと旅立ったと言われています。そんな私たちは、きっと、これらの困難にも負けず、立ち直っていくでしょう。

感情の洪水

 人は誰でも自分らしい特性を持っています。それは個々違うのはわかっているのですが、どうしても自分の価値観で他人を判断してしまうことが多いようです。そして、その違いに憤るか、あきらめるか、それも個人で違います。しかし、脳から見ると、おおむねの傾向があるようです。その違いを理解しておくと、相手に対して頭にくるのではなく、認めることができるようになります。そんなわけで、最近、男と女の違いについての話を聞いたり、本が出版されたりしています。以前に紹介したのは、「男脳と女脳」でしたが、姫野さんの「女はなぜ突然怒り出すのか?」も参考になります。こんな例が書かれてあります。
「会議や商談の席などでは、たとえ不合理であっても“ここは穏便に済ませたい”ということがあるものだ。男の社員の多くはその不満や憤りをグッと飲み込んで我慢をしている。しかし感情的になったおんなの社員はそれを口や表情などで表に出してしまう場合がある。時には正論を言って何が悪いんだという態度をとるので、なだめるのに苦労のいることもある。あるいはその場でぐっと我慢しても、会議が終わってドアを出た途端に突然怒り出すおんなもいる。」
 こんな様子を筆者は、「まるで“晴れ、突然大嵐、後、どしゃぶり”といったように激しく天気が移り変わるようだ」と言っています。どうしてこのように感情的になるのでしょうか。その理由は、その人の性格、育った環境のせい、世代の特徴、どこかでいやな目にあったのでその八つ当たり、いろいろな理由が考えられます。この本の中で、それは王の構造の問題であると言っています。
 「好き、嫌い、快、不快、怒り、恐怖」などの感情成分を情報として好感している「前交連」という左右の脳をつなぐ連絡回路が間脳にあります。この前交連が、女性の方が男性よりも太いのだそうです。ということは、感情の通路が女性の方が太くできているため、多くの感情をいっぺんに流すことができるのだそうです。そのために、女性は一般的に感情表現が豊かで、情緒的にも濃やかな対応をとることができるのです。しかし、多くの感情情報が流れる分だけその処理能力が追い付かなくなります。また、少しの情報でも、それを頭の中で増幅してしまい、より大きな感情にして表してしまうのです。小さな波でも、女性はその波を何倍にも大きくしてしまい、その大きくなった感情の波を男性に向かってぶつけてしまうようです。
 大きな感情の波により、防波堤が決壊してしまうと大変です。あふれ出る感情は、もう自分では抑えることができなくなって、周りに当たり始めます。いろいろな気持ちが一斉に押し寄せてきて、怒っていいのか、笑っていいのか、それとも泣けばいいのか自分でも皆目分からなくなります。目の前の男性に文句が言いたいのか、すがりたいのか、自分でもわからないのです。そんなときには、下手に刺激せずに放っておいた方がいいと姫野さんは助言します。女性が繰り出すわけのわからない言葉に対して、不満を表したり怒ったりしようものならそれは火に油を注ぐようなものだと言います。ますます女性はパニックになってしまうのです。
 感情の爆発は、自分自身にぶつけられているもので、泣いて、わめいて、ひと段落すれば、涙や大声でストレスホルモンが放出されて落ち着いてくるはずだと言います。そして、嵐が過ぎたら、ココアやチョコレートのような甘いものを差し出すといいと助言をします。ブドウ糖が素早く脳に届き、とりあえず脳を落ち着かせてくれるからのようです。また、蜂蜜を入れたホットミルクならイライラを鎮めるカルシウムも豊富で、蜂蜜に含まれるビタミンB6は感情を抑えるホルモンのセロトニンをアップさせるようです。
 女性と付き合う男性は、知っておいた方がいいかもしれませんね。しかし、園などで、女性の保護者から感情をぶつけられたとき、そう簡単にはいきませんが。

左右脳

 2月5日の日経新聞の夕刊に「脳にみる男と女 北澤茂さんに聞く」という特集がありました。サブタイトルは、「助け合ってこそ能力輝く 気配りは女性が得意」というものです。北澤さんは、神経生理学者で、最近、主に脳のなかでの情報統合の研究に携わり、男女の脳の使い方の差や自閉症の解明、治療法の開拓に取り組んでいます。
 北澤さんは、脳の使い方が違う背景には進化も絡んでいると考えています。「いまはイクメンがはやり始めていますが、人類の長い歴史では育児、子供の面倒は女性が担ってきた。言語能力が未発達で泣くとか片言しかしゃべらない幼い子供の意図を読み取って、コミュニケーションをとる。赤ちゃんに抑揚豊かに語りかける。右脳を使いその能力にたけた女性のいる集団の方が子供の言語能力が発達し、集団として力を持つ。そんな流れがあったとしても不思議はありません。」
 10年ほど前に、男女の違いについての論文を書いたのですが、当初、反論もあったそうです。男女平等であるということが、男女同質であると思われていたり、差を認めることは差別につながるとして否定されたりしていました。しかし、最近は、男女の違いを示す結果が、次々と報告されています。「脳の言語機能は左脳というのが100年以上続いた通説でした。朗読の声を聴かせてみると、確かに男性はほとんどが左脳だけで話を聴いている。ところが、大半の女性は話を聴いている時に右脳の対称的な部位も使っている。時間的に短い音や単語レベルの言語処理はもちろん左脳ですが、時間的に長い文章全体の理解となると左右両方の脳を使っているのです」という理由が、先の長い間女性が担ってきた育児に関係があるのではないかというのです。
 「男性と違い、女性は腕力にものをいわせるわけにはいかない。対立を極力回避して賢く生きることができるように、話し方から相手の心、気持ちをしっかり読み取る能力を高める方向に行ったとも考えられます」この違いを理解することが相手を認めることにつながるのです。「違いから言えるのは、お互いの理解が大事ということです。男性は時に女性が論理的に話をしないと言ったりします。でも、実際は全体の状況が見えているのは女性なのに、男性は左脳で言葉通りにしか話を聴く力がなくていらいらしているのかもしれない。女性も男性は相手の気持ちを読むのが不得意なのでデリカシーに欠けると分かれば、鷹揚になれるでしょう」
どうしても相手に対して何も分かっていないと腹を立てることがありますが、実は、それらはお互いに悪気でしているわけではないのです。社会を考えれば、これまで以上に「お互いを知って補い合うことが何より重要でしょう」と北澤さんは言います。「ざっくり言ってしまえば、相手の気持ちを読むのが得意なのが女性。一方、男性は左脳だけを使い、抑揚とか連想にとらわれずに、言葉通りに受け取って判断する。その場の空気に左右されず、冷静で決断力があるとも言えるし、鈍感と言ってよいかもしれない。個人差があるからあくまで平均的な話ですが」
 「自分たちの脳を知るのは社会を知ること」とする北澤さんは、「すべてにおいて完璧な脳はありません。男女だけでなくだれでも脳に違いがあり、どこかに得意、不得意がある。それが様々な才能、ダイナミックな社会につながっている。社会の根底には脳があります。よりよい社会をつくるには自分の脳を知ることが大事だと思います」とまとめています。
 この言葉は、私は、「脳」という生理学的な表現ではなく、「特性」「個性」に置き換えてみるといいと思います。「子どもは、必ずどこかに得意、不得意があります。それが様々な才能、ダイナミックな社会につながっていきます。社会の根底を人それぞれの特性が支えています。よりよい社会をつくるには、我が子の特性を知り、それを活かすことが大事だと思います。」ということは、今日の保護者に向けての講演で話したことです。

ロシアの一元化

 日本は、歴史上経験がないほどの少子社会を迎えようとしています。戦後、団塊の世代を生み出した多子社会から、半世紀もたたずに少子社会になり、同時に多子であった団塊の世代が高齢化を迎えようとしています。その様相は、外国にも見られる現象ですが、細かく見るとその事情は国民性による違いがみられます。しかし、この少子社会はどの国でも問題であるためにさまざまな対策を練っていますので、それは参考になります。
いま、日本では、幼稚園と保育所という二つの施設が共存しているたまに、それがどうにかして一つにならないかという議論をしています。私が毎年訪れるドイツのミュンヘンでも、幼保一元化でもめていますが、この問題は他の国でも見られます。他の国では、一元化をどのように進めているのでしょうか。
ロシアにおける合計特殊出生率は、1999年に日本を下回る1.16で最小となったあと上昇に転じ、2009年には1.54まで回復しています。その背景のひとつには、全出生数に占める婚外子(=非嫡出子)出生数の割合が1995年の21.1%から2000年の28.0%、2005年の30.0%に上昇したことがあるようです。また、一人っ子も増加していて、2002年の国勢調査結果によれば、3828万余りの家族のうちで18歳未満の子どもがいるのは54%であり、その内訳を子ども数別にみると、1人が65%、2人が28%、3人以上が7%です。この背景には高い離婚率や狭い住宅事情、社会保障制度の不整備などがあるといわれています。
ロシアは、ソ連であった時代の保育制度は、ソ連解体と同時に維持できなくなります。そこで、ロシア異になって、1992年の「ロシア連邦教育法」と1995年の「保育施設標準規程」にもとづいて、新しい保育制度を確立します。その後、この二つは何度改正されていますが、骨格は次のとおりです。
まず、親の養育権と家庭養育を重視し、それを支える国立・公立・私立(私人立・社会団体立・宗教団体立)の保育施設を「幼稚園」という名称で一元化し、生後2か月から7歳未満の乳幼児を長時間、受け入れます。日本で言うと、名前は「幼稚園」にしますが、機能は「保育園」にするというものです。ただ、最長3年間の育児休暇の普及により0歳児が在園するのはまれで、早くても育児休暇のうち有給の部分が終わる生後1歳半から入園することが多いようです。次に、幼稚園のタイプとして一般幼稚園・障害児幼稚園・健康幼稚園・統合幼稚園・特別発達幼稚園・児童発達センターなどを置いて、そこでさまざまな保育プログラム(日本の幼稚園教育要領や保育所保育指針に相当)を実施するにあたり、保育者の裁量を尊重することにします。そこには、幼稚園と親の関係に政府は関与せず、園の非宗教化・非政治化を進めます。これは、脱国家化・市場主義化・自由化・多様化をキーワードにして、行政機関の保育条件整備の責任を軽減しつつ、保育界に市場経済原理の導入を図ろうとするものでした。
しかし、未就園児の半数近くの親が「できれば就園させたい」と考えていますが、高い保育料や幼稚園の不足により日本同様、待機児が多く、2009年に全国で172万人もいて、総数3分の1にのぼっています。また、直接契約制が取り入れられたため、都市部の親は園探しに走り回り、農村部の親は通える範囲に園が少なく、保育を受ける権利(保育権)は保障されなくなってしまいました。
このような事情の中で親の信頼を集めているのは、国立の幼稚園なのですが、これは、園の設置・運営形態が問題なのではなく、その公的性格にあるようです。人生の初期を、生まれた家庭の属性に強く規定されることなく、社会の到達度にふさしい保育環境のなかで過ごせることが必要だという考えからです。保育は、あくまでもパブリックな仕事で、企業参入とか競争原理を導入すべきではないことを示唆しています。

停電

 私の住まいがある八王子では、ほぼ毎日計画停電があります。第2グループに入るため、18:50頃から22:00頃までの予定で、計画停電が実施されます。そのために市役所から、「照明灯、信号が消えている場所、踏切等では十分注意してください。ろうそく等を使用する場合は火の元の管理、火の始末などを徹底してください。」というような注意があります。計画停電で交通事故による死者が出るなど混乱が続いていますが、先日、市内で停電実施中に、自宅で発電機を使用し、一酸化炭素(CO)中毒とみられる死亡事故が起きました。ほかにも七輪などの使用中に中毒になったとみられる事故も起きているようです。また、同時に断水も起きているところまあるようです。停電は、ただ電気が消えているだけでなく、いろいろと生活に支障をきたすようです。
 この計画停電(輪番停電)ですが、今月の22日の東京電力の発表では、今夏だけでなく、今冬も続けなければならない、との見通しが明らかにされました。東電幹部が朝日新聞の取材に対して、夏冬の計画停電で家庭や職場の冷暖房の使用が厳しく制限されるのは必至だということで、夏の計画停電は、気温が高い午後2?3時を中心に実施される見通しということのようです。そして、停電規模は、気温の上がり方次第で大きくなる可能性があり、首都圏への電力供給が長期間制限されることで産業界も大打撃を受けそうだと朝日新聞の記事に掲載されていました。昨年の夏幼な猛暑が毎日続くと、熱中症になる子が多くなりそうです。
 最近の国民の関心事は、福島原発の事故についてで、原子力発電についての是非が問われていますが、じつは、この原発問題は、放射能の問題で、電力不足とは、直接関係はないようです。今回の東日本大震災の津波で、福島県と茨城県の大規模火力発電所が、現時点で復旧の見通しが立たないほど壊れていることが分かったためなのです。大きな被害がわかった火力発電所は、広野火力発電所(福島県広野町)と、常陸那珂火力発電所(茨城県東海村)で、発電所の設備や、石油や石炭など燃料の貯蔵施設が津波で壊れたのです。両発電所の合計出力は480万キロワットで、同じく津波で損壊した福島第一原子力発電所(福島県大熊町・双葉町、469.6万キロワット)に匹敵するのです。
 2800万世帯に電力を送る東電管内のピーク需要は、冷房が必要となる夏場が6000万キロワット前後で、暖房需要が高まる冬場が5000万キロワット前後に対して、東電の現在の供給力は3500万キロワット前後しかないのです。電力は、水やガスのようにタンクに大規模に貯められません。そのため、需要分だけ供給力を用意する必要があるのです。よく、西日本の電力会社から回してもらえばいいと言われますが、周波数の違いから、受けられるのは100万キロワットまでだそうです。北海道電力からも送電技術の限界から60万キロワットしか受けられないそうです。
 今日、沖縄に来ていますが、宿泊しているホテルは、東京同様薄暗くなっていて、節電中とあります。「沖縄で、なんで?」と思ったのですが、実は火力発電に使う原油を節約して、東北地方の火力発電に送るためだと書かれてありました。火力発電では、燃料として石油、石炭、天然ガスなどが使われます。しかし、石油を使うことはオイルショック以来あまり依存をしないようにしています。また、石炭への依存度は今でも非常に高いのですが、温室効果ガスの排出量が最も多く、地球温暖化対策では問題が多いようです。水力発電も、ダムの問題から望ましくないし、なかなか難しいですね。

世界の動揺

 今回の日本における福島原発の事故により、原子力発電の見直しが世界では起きつつあります。しかし、それぞれの国にはそれぞれの事情があり、また、さまざまな発電方法にはメリットデメリットがあるために、簡単にどれがいいとはいえません。たとえば、世界一のエネルギー消費大国であるアメリカは、広大な国土には、石炭、石油、天然ガスなどのエネルギー資源が豊富に存在しています。しかし、ブッシュ政権では、地球環境保全とエネルギーの安定供給のために、原子力を重要な役割を果たすものとして位置づけ、オバマはそれを引き継いでいます。
一方、資源がない国では、いろいろと苦労しています。たとえば、フランスでは、日本同様、石油などの化石燃料に乏しく、石油危機以降、石油代替エネルギーの開発に邁進してきました。その中心が原子力です。そこで、現在、アメリカに次ぐ世界第2位の原子力大国になっています。自給率も50%を超え、発電コストが廉価な原子力の推進により、フランスは電気料金が欧州諸国の中で最も低い国の一つとしても有名です。
では、日本ではどうでしょうか。日本は、世界第4位 のエネルギー消費国です。それに引き換え、資源に乏しく、エネルギーの大半を輸入に頼っており、自給率は原子力を含んでも20%程度しかありません。そこで、フランス同様、石油危機を契機に石油にだけ頼るのはよそうということになり、原子力開発と電源の多様化に取り組んできました。数値的にみると、確かに日本ではどれかに偏らず、多様化しています。しかし、最近ではCO2削減ということから原子力発電の開発が中心でしたので、もう一度見直しが必要でしょう。
今回のような事故が起きると見直しが始まります。1986年に発生した旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所での事故の時も見直しが始まり、原子力発電の建設計画は減少傾向をたどっていました。しかし最近では、アメリカでの30年ぶりの新規建設の動きや再処理への方向転換、英国、フィンランドの新規建設促進など、世界的に原子力を見直す動きがみられ、こうした世界的な潮流を「原子力ルネサンス」と呼んでいます。スウェーデンでは、国民投票により段階的な原子力発電所の廃止が決定されましたが、代わりの電力は輸入か火力発電に頼る必要があり、経済性や地球温暖化対策の観点から望ましくないとされました。そのため、脱原子力政策から現状維持の方針に転換しています。このように、世界中が原子力発電に傾いている時の福島原発の事故ですから、世界では大慌てです。
たまたまドイツのニュースを見ていたら、メルケル首相は15日、日本の福島第1原子力発電所の事故を受け、国内の原発17基のうち、1980年以前に稼働を開始した7基について、当面運転を停止すると発表しています。安全性を再点検するためとしていますが、メルケル首相は昨年秋、野党や反原発運動家らの反対を押し切って昨年11月、原油などへの依存がなく、温室効果ガスとされる二酸化炭素排出量が少ないという原発の利点を主張し、その廃止を35年まで延長を決めたばかりでした。ところが、今回の日本での事故を受け、「日本のように高い技術を誇る国で、起こり得ないとされていたことが起こった」「安全が最優先」と述べて、“脱”脱原発の見直しを表明したのです。国内では脱原発をめぐる議論が一層過熱しているようです。ただ、野党が求めるような「原発の早急な閉鎖」については、ドイツのような経済大国では不可能だという指摘があり、原発の廃止によって不足する電力を再生可能エネルギーで十分に補えるようになるまでは、原発を使用していく考えに変わりはないと述べています。
 日本でも、前政権から引き継いだ原子力中心の発電は、早急に見直しの検討に入ってほしいですね。

変化の時

 外国人から見た日本人は、普段の生活態度や感性だけでなく、今回の大地震などの災害や困難にぶち当たった時の行動や精神にも感心しています。1873年(明治6年)から1905年(明治38年)の間、日本で教師として活躍したイギリス人のバジル・ホール・チェンバレンは、「日本事物誌1」にこんなことを書いています。
 「日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。極東の諸国民は(少なくともこの国民は)ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。同様にまた、異教徒の諸国民は(少なくともこの国民は)キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。」
 変化の間での態度に感心しています。変化は、誰にとってもストレスを感じることであり、変化することを避けようとするものです。しかし、いつの時代でもターニングポイントがあり、そのポイントでどのような態度をとるのかに知性を感じることができるのです。その時の日本人の態度を「根本的な逞しさと健康的」と感じています。それは、十分に姿勢が感じられ、道徳的にも優れていると感じています。
 また、違う部分の記述で、バジル・ホール・チェンバレンは、「過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、外交においては日本ほど率直で穏健であり、戦争に際してはこれほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。もし少しでも「黄禍」があるとするならば、ヨーロッパ自身の良き性質にもまさるさらに高度の良き性質を、その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。このように驚くべき成果が生じたのは、日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。」と書いています。「過ちて、改むるに憚ることなかれ」という言葉です。そして、今回の災害に対しても、日本人に対して感じたように「日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。」を実践してほしいですね。
「ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか」とチェンバレンが言っているように、今、日本も「峻烈な気候と貧しい国土にあって、敢然とその任務に当ってきた」ような「かつての日本人がよく知っていた日本人としての素晴らしさ」を新しく学ぶ時かもしれません。それは、大変な時、変化の時、やり直そうとするときこそ学ぶチャンスです。

日本人

今回の東日本大震災で、世界各国では日本の経験から多くの教訓を学ぼうとしています。それは、災害による対応とか、原子力発電についての処理や危険性についてなど、災害についての参考と同時に、その災害に対する人々の行動についてです。20日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、福島第1原発で放射能汚染の危険に立ち向かう作業員の献身ぶりを称賛し、「米国は日本から何かを学び取るべきである」とする論評記事を掲載しています。この論評記事は、元東京支局長であったニコラス・クリストフ氏によるものですが、地震、津波、放射能漏れの三重苦で日本人の「団結が深まった」と指摘しています。そして、「我と欲を捨てる精神と冷静さ、規律を尊重するという日本人の行動規範を福島の原発で危険な作業を続ける作業員が体現している」とたたえています。さらに、日本政府の対応と比べ、苦難に耐える日本人を「立派で高貴だ」とし、米国人は日本人の精神から学ぶべきものがあるとの趣旨を貫いています。
過去にもたびたび外国人から、日本人の国民性に対して称賛されています。シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われたスウェーデン人の医師であり植物学者であったC・P・ツュンベリー氏は、1775年(安永4年)来日しています。そして、「江戸参府随行記」の中で、こんなことを書いています。
「地球上の民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。…その国民性の随所にみられる堅実さ、国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、…飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。(中略)日本人の親切なことと善良なる気質については、私は色々な例について驚きをもって見ることがしばしばあった。それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然と思われる現在でさえも変わらない。国民は大変に寛容でしかも善良である。(中略)正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。」
何とも面映ゆい表現です。「堅実」「熱意」「親切」「善良」「寛容」「正義」という言葉で表わされる日本人は、なんだかここのところ毎日テレビで流れている公共広告機構ACを見ているようです。同じように1856年(安政3年)に来日したあの初代米国総領事タウンゼント・ハリスは、「日本滞在記」の中で、鎖国を解いて外国の文化を日本に持ち込むことに迷いがあることを書いています。「彼ら(日本人)は皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない?これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。」
決して当時の欧米諸国からすると裕福でもない日本人が、とても幸せそうに見えています。それは、本当の幸福とは、「富者も貧者もない」ことであり、「質素と正直」を生きる上での一番の柱にしている日本に感心しています。今回の災害での日本人の行動は、この「質素と正直」が海外から見ると、表面化してきているのかもしれません。もう一度日本人の素晴らしさを復興に向けて見せる時かもしれません。