もしドラ8

 人は、それぞれの立場によって悩みや苦しみがあります。しかし、それを多くの仲間と呼ばれるチーム、社会の中でともに解決していこうとすれば、それはそれで助かります。普段は、お互いに個人を尊重し、口を出さずにいて、一言「助けて」と言えば、手を貸します。それが「頼まれたら いやと言わぬ江戸っ子気質」という表現なのでしょう。しかし、会社などでは、責任のあるものほど、その決断は個人行わなければならない場面が多くなります。相談する相手が少なく、しかもその決断によって評価されてしまうことが多いからです。そのために、責任を他人になすりつけようとしたり、決断をせずに曖昧にしたり、どうにでもとれるような言い方で評論したりします。そして、実際は、「非営利機関でも企業でも、役員は、意思決定にあまり時間を使っていない」とドラッカーは指摘します。それは、成果を上げるためには「意志決定」が大切だからです。それなのに、「彼らは、会議、面談、あるいは、ほんのちょっとの情報を収集するために、ずっと多くの時間を使っている。」という指摘には、耳が痛い話です。いろいろな会議に出ることがありますが、多くの会議は少しもクリエイティブな結論が出ず、堂々めぐり、くりかえし、批判、解説で終始することが多く、終わってから、何が決まったの?と首をかしげることがあります。
 ドラッカーは、「意志決定にこそ、あらゆることが集約され、それが組織として生きるか死ぬかの分かれ目になる」と言います。そのほかのことは、たいてい役員でなくてもできますが、意思決定は役員でなければできません。そして、役員には、効果をあげる意思決定を行うか、効果を上げられない者であることを自ら暴露するか、二つに一つしかないとドラッカーは、言います。その中で、「最も効果を上げられない意思決定者とは、のべつ意思決定するものである。本当に効果をあげる意思決定者は、非常に少ない意思決定しかしない。重要な判断だけに集中する。」多くの意思決定は、過干渉にもなりかねません。職員を信じ、職員に意思決定を任せる部分と、最後の砦として責任を取る覚悟でする意思決定は、リーダーの役目です。また、意思決定を真剣に行う人でも、時間の使い方と間違えていることが多いと言います。重要な決定をいい加減に行い、簡単な決定、あるいは、意味のない決定を必要以上に時間をかけて行うことが多いのです。ドラッカーは、まさに日本で行われている「事業仕分け」や「幼保一体化議論」に似たような議論を例に採っています。
「ある大学が予算不足に直面し、プログラムを削減せざるを得なくなった。しかし、どのプログラムを削るかが問題で、財政問題の決定が課題かのように思われた。そこで、職員間の予算の分捕り戦は、大学そのものの解体の瀬戸際まで追い込んでいった。しかし、理事の一人がこう言った。『私たちは問題を取り違えている。議論すべきは、社会人教育に重点を置くか、それとも、若者の教育に集中したままでいるかということである。意思決定すべきは、そのことである。後は実行の話である。』これを聞いた途端、皆はいかに自分たちが自制を失っていたのかを悟った。決定すべきは予算ではなく、アメリカの高等教育の将来と、それに関する大学の役割だった。そして、そのような意思決定の問題は、善意の人たちの間でも当然意見の相違が起こるべきものだった。足して二で割るというわけにはいかない。」
 なんだか、今の幼保一体化の議論は、足して二で割るような、また、財源的な思惑、また、予算の分捕り合戦に終始しそうな気がします。日本の幼児教育の将来と、その時の幼児機関の役割を議論しないといけないと思います。